第155話 不気味な予言の絵
神聖グリニアのマギア大聖堂の奥で、予言が行われていた。
今代の神子姫は話すことのできない少女だ。未来視によって知覚した未来を言葉にすることはできず、その代わりに絵を描いてそれを表現する。
椅子に座った彼女の前には何本もの筆、何色ものインク、そして何枚もの紙がある。そして紙の内の三枚には既に絵が完成していた。彼女が今描いているのは、夥しい数の死体だ。いや、この紙だけでなく、既に描き終えた全ての絵が死体で埋め尽くされている。
「また、死体のようだな」
扉が開かれ、司教の一人が入ってきた。
今代の神子は予言に時間がかかるので、司教たちはそれぞれの仕事をしつつ、空いた時間に予言を見に来る。常に一人以上の司教と神官が付き添うことになっているため、付き添いをしていた別の司教が答えた。
「そのようだ。何とも不吉なことよ……」
「しかし不可解だ。また傷無しか」
「うむ。血も、傷も、何も描かれていない。だが死体だけがある」
「不気味だ。魂が抜けていくような、この絵が」
血もなければ傷も描かれていない。それでも倒れた人間を死体と表現したのは、倒れた人間から魂のような何かが抜け出ているからだ。魂のような何かは、苦しみ呻くような表情をしている。悶え苦しむその魂と比べて、死体は安らかに眠っている。
「どうやらアルマンド王国に滅亡の危機が迫っているようだな」
「それは間違いないだろう。神子姫が描き切れない死体。しかし戦争とも魔物の襲撃とも違うような気がする。何が起こるというのか……」
「これが予言の欠点だ。具体的なことは滅多に分からない」
「普通ならば聖騎士を派遣し、調査して実態を掴むのだが……今回は間に合うだろうか」
「既にアルマンド王国の……メルゲート大聖堂では聖騎士が壊滅したと聞く。月光会なる闇組織が暗躍しているらしい。今のところはそれが一番怪しいだろう」
「ここからは誰を送る?」
「これはまさに災害。Sランク聖騎士を送るべき案件だ」
「誰が良いだろうか?」
「フロリアはどうだ? 『天眼』のだ」
「彼女の魔装ならば遠くからでも様子見ができる」
「それがいい」
今の魔神教は覚醒魔装士を三人しか保有していない。
『封印』のセルスター・アルトレイン、『浮城』のガラン・リーガルドは冥王に殺された。『樹海』のアロマ・フィデアは命を賭して緋王を封印した。
数少ない覚醒魔装士は凶悪な魔物を倒すために忙しく大陸を飛び回っている。動かすとすれば慎重に慎重を重ねる必要がある。軽々しく動かして、何かの間違いで死んだとあっては目も当てられない事態となる。
その点、『天眼』の二つ名を与えられたフロリア・レイバーンは丁度良い。
国を越えての超長射程攻撃を有する彼女なら、危険な場所の調査にも向いている。
「今夜の会議で提案するとしよう」
「そうだな。さて、神子姫の見張りを交代しよう」
「頼もう」
滅びを予見した時、そこにあるのはいつも魔物だ。しかし、その類の予言には常に血が伴う。一切の流血を感じないその滅びは、実に不気味だった。
◆◆◆
ムーライトホテルへと戻ったシュウとアイリスは、手に入れた魔石と魔術陣の解析をしていた。特に魔石を生み出す魔術陣を要素として分解し、その仕組みを手に入れるためである。
「シュウさん、魔術陣を自動で組む機能ですけど、これを利用したら魔装士が体内で無意識に組んでいる魔術陣を投影できるんじゃないですか?」
「なるほど。それならアイリスの魔装から時間魔術を取り出せるかもな。前に奪った時間魔術はコストパフォーマンスが悪い。それに発動に時間もかかるし準備もいる。正直、アイリスみたいに戦闘には使えないからな」
「シュウさんが悩んでいる空間魔術も完成するかもしれないですよ」
「空間に干渉する魔装士がいればな」
「あ、そうでしたねー」
「その辺は『鷹目』に聞いてみるか。奴なら空間に干渉する魔装士も知っているだろうし……というか、それ以前にその技術を開発しないとダメだろ」
解析すればするほど、この技術の凄さが分かってくる。
シュウからすれば魔石などまるで必要のないもので、興味もあまりない。だが、この魔石を生み出す機構は色々と応用ができそうだと気付いた。
アイリスの勘に従った結果だが、良い方向に傾いた。
「それとアイリス。この魔石だけど、原料は水銀だな」
「水銀なのです?」
「ああ。固体化しているから気づかなかった。解析の魔術を使ったらすぐに分かった」
「だから見た目の割に重かったんですねー」
「水銀に魔力が混ぜ込まれている。それに水銀の流動性が魔術陣の自動生成を補助しているんじゃないか? 正直、固体化している理由はよく分からん」
だが、これで月光会の背後に大公がいるという話に信憑性が出た。
水銀は非常に高価で、更に伝手の関係から一般人では購入することのできない物質だ。しかし大公というスポンサーがいるのならば問題なく手に入る。それも大量に。
「賢者の石か……賢者と呼ばれるだけはあったらしいな」
「その賢者さんですけど、調べてみます?」
「それもいいな」
賢者の石が欲しくなり、月光会教祖にして賢者ガイストと協力関係を結んだまではよい。しかしこれは一方的な脅しによるもの。ガイストが全てを正直話したとは思っていない。人間とは欲深く、悪知恵が働き、そして浅ましい生き物だ。死を目の前にした時、愚者は生を求めるが賢者は利を求める。
ガイストは賢い者だ。
必要とあらば、自らの命を賭けの対象にする。
死ぬときは死ぬと分かっているからこその判断だ。どう考えても死ぬと考えた時、生き残る最善の手段と共に最大の利益を弾きだすための算段を立てるのが賢者である。この場合、冥王アークライトという鬼札を利用して賢者の石を完成させることを優先させるはずだ。
つまりガイストは賢者の石さえ完成させれば何とでもなると考えている。
「……そうだな。アイリス、今夜は大公とやらの屋敷に行く。奴のスポンサーらしいからな。色々と面白い話を知っているはずだ」
「潜入ならお任せなのですよ!」
時間停止の魔装を使いこなすようになってから、アイリスもシュウの暗殺に加担することが多くなった。時を止めてからの死魔法など、誰が防げるというのか。『死神』はますます、それらしさを増している。
狙われた者は、更なる金を積んで暗殺依頼そのものを取り下げさせるくらいしか方法がない。
最早『死神』は理不尽の権化を表す名だ。
「奴らに加担して、月光会を魔神教に並ぶ組織にしてみるのも面白いかもな」
「そんなことできるのです?」
「ああ、『鷹目』に頼んで情報操作してもらったらすぐだろ。あとは面倒な奴らを俺らで暗殺すれば……十年以内には月光会も一大組織になる」
アルマンド王国からすれば悪夢のような企みである。
いや、月光会からしても悪夢かもしれない。
冥王と魔女を止める者が現れない限り、夢で終わることなどない。
◆◆◆
アルマンド王国において、独立した王族は大公家となる。現国王の兄であるバルゲートも大公としての立場と役目を持つ人物だ。
彼の仕事は王都の水道を整備することである。他にも旧市街地の管理なども任されているが、そちらは真面目にするつもりなどない。彼は旧市街地に潜む月光会と繋がり、画策しているのだから。
「先生、聞こえますか?」
『バルゲートか。聞こえている』
「計画は大詰めです。しかし神聖グリニアが介入を決めました。邪魔ならば追い返しますが」
『不要だ』
「は? しかし」
『不要だ。新しい協力者を得た。神聖グリニアの介入など、問題にならん』
バルゲートは耳を疑う。
神聖グリニアが介入するということは、魔神教が本気を出したということだ。予言で計画を察知されたり、強力な魔装を有する聖騎士が援軍として送られてくる可能性すらある。それはあまりにも致命的な事態だ。全ての計画が崩れ去りかねない。
「先生の仰ることならば間違いないでしょう。しかし私を納得させるだけの理由を説明して頂きます」
『よかろう』
「いや、不要だ。俺が自ら説明してやる」
「っ! 何奴!?」
唐突な知らない声。
これでもバルゲートは元王族であり、屋敷の警備も厳重だ。暗殺者への対策も重ねている。侵入者など有り得ないことは勿論、仮に侵入者がいたとしても騒ぎになっているはずだ。
バルゲートは恐る恐る、扉の方へと目を向ける。
そこには死を連想させる目つきの男と、美女がいた。
「名乗っておこう。俺は冥王アークライトだ。ガイストに協力することにした」
「アイリス・シルバーブレットなのですよ!」
「なっ! ば、馬鹿な……」
「その手の驚きはもう見慣れた」
やれやれ、という仕草をわざとらしく見せつけるシュウ。完全な煽りである。
そんな煽りの中でも、バルゲートはすぐに冷静さを取り戻した。
「……理解しました。先生が計画の修正をしない理由を」
『我々は計画通りに進める。邪魔者は全て冥王が消し去ってくれるそうだ』
「そういうわけだ。安心しろ」
バルゲートからすれば何一つ安心できる要素がない。
しかし、ここは縦に頷く以外の選択肢などないのだ。冥王の不興を買うなど、愚かな行為である。ここまで何の騒ぎも起こさず侵入したその手腕からしても、バルゲートではどうしようもない相手であることを証明している。
もう今すぐにでもお帰り願いたいというのが彼の本音だ。
(くっ、どうしてだ……先生はこんな危険物を……)
キリキリと胃が痛み、デスクに隠れた両足が無意識に震える。
「では神聖グリニアは気にしなくともよいのですね」
『そういうことだ。我々は計画を進める。あと数日で全てが成就する』
「はい……ええ、はい」
そして思い出す。
賢者の石さえ完成すれば、何も心配する必要はないと。
『では、時を待て』
「はい。楽しみにさせて頂きます。先生こそ、しくじらぬように」
『私は今夜から仕上げに入る。時が来るまで連絡は密にする』
「はい」
侵入者を交えた通信は途絶えた。
そして通信が終わり、バルゲートはその侵入者たちへと問いかけた。
「……君たちは帰らないのか?」
「ああ。俺はお前に用事があってな。お前たちの計画とやらを見せてもらうつもりだ。いいから話せ。ガイストさえいれば、もうお前は必要のない男だ……とだけ先に言っておく」
「そうか。全て話そう」
バルゲートに選択肢はなかった。
実際、計画は最終段階に至っている。確かにバルゲートの後ろ盾など必要のない状況だ。冥王がバルゲートを殺したところで、損をする人物はいない。
完全な脅しだったが、屈する以外の選択肢はなかった。
まして助けを呼ぶなどという恐ろしい真似などできるはずもない。
「とは言え、話すまでもない。これをやる。処分しようと思っていたものだ。この場で読んで、処分して欲しい」
デスクから鍵付きの箱を取り出したバルゲートは、それを開いて紙の束を取り出す。アイリスと共に近寄ったシュウは受け取り、すぐに読み解いた。ここ百年で言語体系も少しずつ変化しており、シュウも時代に合わせて言語を覚え直している。
「……ほう。面白いな」
「そうなのです?」
「ああ。中々センスがあるじゃないか。これは増々見ておきたいな」
シュウは一通り読み終えた書類を魔術で燃やし尽くした。
「用件は終わりだ。アイリス」
「はーい」
そして冥王と魔女は消え失せる。
バルゲートからすれば、まるで嵐のような怒涛の展開だった。
(数日だ……数日で私は真の王となる)
冥王という死の脅威は気まぐれだ。
師にして賢者たるガイストの協力者ならば、信用はできずとも信頼はある。あの冥王が力を貸すと言った以上、失敗はあり得ないように思えた。
弟に王位を奪われた屈辱に比べれば、魔物の手を借りることなど何ということもない。
彼の目には野望の炎が宿っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます