第145話 観光地の不穏
小舟を借りたシュウとアイリスは湖の中心付近にまで来ていた。ただ小舟といってもクルーザーのような大きさで、エンジンもついている。
「この辺りは風が気持ちいいですねー」
「それにここから見える王宮も中々のものだ」
アルマンド王国は観光業に力を入れているため、景観には特に気を付けている。湖の南のほとりに王宮が建てられ、その周囲を囲むように新市街地が形成されている。旧市街地は新市街地から東側へと進んだ湖沿いにあるのだ。
この新市街地はかつて農業区域だったのだが、それを全て潰して新市街地にした。街に張り巡らされている水路は、かつて農業用水路だったものだ。そして新しい農業区画は西側にずらされている。
この湖の中心までくれば、国の全体像がよく見えた。
「随分と露骨な造りだ」
「旧市街地のことですか?」
「あの船頭が陸路でしか行けないとか言っていたが、こうしてみるとまるで監獄だな」
メルゲートという新都市は水路によって全てが繋がっている。水路を中心に繁栄があり、あらゆるインフラが水路に沿って形成されているのだ。つまり水路のない旧市街地は繁栄から置いていかれる一方なのである。
「お城も湖から侵入できそうですけど、大丈夫なのです?」
「見た限りだと、水軍が常駐しているな。あれなら侵入者もいないだろう」
「湖に魔物はいないのです?」
「いなさそうだな。それに湖の中は魔力も少ない。魔物も生まれないし、近寄ることもないだろう」
「だから安全なんですねー」
「そうじゃなかったら都市なんて生まれない」
魔力は思念に反応するため、物質にはとどまりにくい。大抵の場合、思念を有する生物へと引き寄せられてしまう。近くに都市もあるので、魔力はそちら側へと引き寄せられる。
(そういえば、旧市街地は魔力が多いな……何かあるのか?)
シュウはその時、何か胸騒ぎのようなものを感じた。
◆◆◆
メルゲート大聖堂は立地に恵まれている。そもそもアルマンド王国は大帝国崩壊後に誕生した国であり、新市街地を計画する際に初めから聖堂の区画が与えられていたのだ。旧市街地はアルマンド王国の前身であった国の都市でもある。そのため、新市街地はアルマンド王国の象徴でもあるのだ。いつまでも古い記憶である旧市街地が残っているのは、アルマンド王国王家にとって良くない。
そういった経緯もあり、王家は積極的に魔神教と手を取り合ってきた。
「司教様、ドロファンス国王陛下より召喚状が届いております」
「そうですか」
「こちらです」
大聖堂の奥の間で、司教は書類を処理していた。だが、その手を止めて神官から召喚状を受け取る。魔神教の力が国家を超えるものとなり、また国家を超え得るものだとしても、流石に国王の命令に逆らうのは体面が良くない。
書状を開いて目を通し、すぐに仕舞った。
そして書きかけだった書類を置いて立ち上がり、司教だけが羽織ることを許された上着を纏う。
「今から参ります」
「お供します」
「月光会のことでしょうし、聖騎士長殿も連れて行きましょう。今は確か、奥の間で休んでいましたね。聖堂地下の船着き場に来るよう伝えてください」
「はい」
メルゲート大聖堂は水路での移動を考慮して、教会所有の専用船が存在する。
司教と聖騎士長は招かれるままに王城へと向かった。
◆◆◆
メルゲートの王宮は新市街地の象徴的な建造物だ。そしてこの新市街地は、先代国王の時代から計画されている。勿論、現国王も完全な都市とするために今も都市計画を進めていた。
「陛下、大公殿下に依頼した地下水道の建設は順調です。しかし市民の増加に伴う電力不足が懸念されますので、新しい発電所をこの辺りに」
「うむ。だがそこは以前に農耕地を作る予定ではなかったのか?」
「はぁ……しかし大公殿下からの計画修正案で、水路を利用した水力発電所にすると」
「兄上は何を考えているのだ……私に相談もなく。やはり弟である私が兄を退けて王位を得たことが許せないのか……?」
ドロファンス・アルマニア国王は先代国王から都市計画を引き継いだ二人の息子の内の弟だ。そして兄バルゲート・アルマニアは元王族である貴族として都市計画の一部を担っている。
伝統を重視した先代国王は、保守的な考えを持つ弟ドロファンスを新国王として選んだ。そのことで国王ドロファンスと大公バルゲートは仲が悪い。
一応はバルゲートも大公として都市計画を進めているが、実を言うとドロファンスも国王として把握できていない開発部分が存在するのだ。
「しかし、修正案で農耕地の場所を再指定しています。特に問題は見当たりません」
「……どうしたものか。問題なさそうに見えるからこそ、逆に怪しい。先生……賢者殿がいてくれたら良かったのだがな。良い助言をくれただろうに」
「陛下……」
「いや、言っても仕方ないことだ」
弟でありながら国王となったこともあり、ドロファンスにはあまり味方がいなかった。今でこそ国王として認められているが、即位当初は大公となった兄を王に推す声もあった。危うく内戦に発展しかけたところを、賢者の仲裁によって収まったという経緯がある。
(ガイスト先生……死んでしまったのだろうか)
ドロファンスにとって、賢者ガイストは今でも信頼する人物だ。自身と兄が幼少の頃は、教師として王の在り方を教わった。そして先代国王が進めていた都市計画についても語られ、そのお蔭で迷うことなくメルゲートの発展に寄与し続けることができている。
またガイストは魔術師としても優秀だった。彼の教えを受けた宮廷魔術師たちが、今ではアルマンド王国に無くてはならない魔術師としてドロファンスを支えてくれている。
しかし賢者ガイストは失踪した。
内乱の危機を救った後、忽然と姿を消したのだ。置手紙も手掛かりもなかった。
ガイスト失踪の頃からバルゲート大公が積極的に都市開発へとかかわり始めたのだ。特に開発が進んでいなかった上下水道の敷設に多大な功績を挙げている。
(やはり兄上が怪しい、か……)
書類を手にしつつ、ドロファンスは関係のないことを考えてしまう。貴族たちが今後の工事日程について話し合っている間、彼だけがボーっとしていた。
そんな時、会議室に丁寧なノックが響く。
ドロファンスは意識を思考の海から引き戻した。
「何事だ?」
「オールドバーグ司教殿がいらっしゃいました」
「そうか」
手にしていた資料を置き、注目する貴族たちに告げる。
「少し席を外す。休憩だ。夜の鐘が鳴ったら始める。それまでに夕食も済ませておけ」
貴族たちは手に持っていた資料を机に置き、ペンを離した。彼らは朝から働き詰めだったのだ。流石に体も精神も疲れている。
だが、ドロファンスだけは休むわけにはいかない。
これから魔神教の司教と話し合いがあるのだ。
会議室から出て、応接間へと向かった。
◆◆◆
国王と対面するオールドバーグ司教は、紅茶を一口含んでから話し始めた。
「今回の召喚ですが、月光会について……ということでよろしいですか?」
「うむ。我が軍の調査協力を拒否し、また調査の遠慮を願っているのだ。報告程度は義務ではないか?」
「仰る通りでございます……が、残念ながら月光会についてはよく分かっておりません。報告とおっしゃられましても、不可能と言わざるを得ません」
つらつらと何事もないかのように言う司教だが、国王としてそれは見過ごせない。
何のために教会に配慮しているのか分からなくなる。
(事情を隠していることも考えられる、か。少し挑発してみるとしよう)
ドロファンスは身を乗り出し、威圧的な声で問う。
「つまり、これだけの時間を与えたにもかかわらず……何の成果も得られていないと?」
「なっ……失礼しました。お恥ずかしながら、そういうことになります」
「月光会は我が民に被害を出している。本来ならば軍の総力を以て捜査し、早急な解決をしなければならない。だが、それを教会の小さな戦力に任せているのは理由があってのことだ。わかるな?」
月光会の最も厄介なところは、誘拐である。更に言えば、誘拐された者が魔装を失って戻ってくるという点にある。
仮に国軍で月光会を始末した場合、魔装を消し去る技術を手に入れることになってしまう。それは教会にとって非常に拙いことだ。また、アルマンド王国としても良いことではない。魔装を重視する教会から危険国家扱いされたくはないのだ。
そうした利害の一致から、月光会の件は教会に任されている。
総勢三十名ほどの聖騎士だけで捜査を続けているのだ。
困った司教を見かね、同行して司教の後ろに立っていた聖騎士長が口を挟む。
「国王陛下。口を挟むことをお許しください」
「何か意見があるのか? ザックス聖騎士長殿」
「月光会は旧市街地に本拠地を構えているということまでは分かっています。しかし旧市街地は正確な地図が失われ、調査が進まないのです。また我々も特殊な魔装で追跡をしているのですが、魔装を消失させる敵ですので慎重にならざるを得ないというのが現状です」
「我が国は観光業に力を入れている。この事業は先代国王たる我が父、そして賢者ガイスト殿が打ち立てたものだ。これ以上の被害は我が国の事業に支障をもたらす。我々はもう、教会に配慮するという理由だけで軍を止めることはできない。具体的なものを提示してもらう」
「はい。司教様」
「うむ。実は陛下、以前より神聖グリニアにある申請をしておりました」
「申請だと?」
「神子殿に依頼し、月光会について探って頂いたのです」
神聖グリニアが未来視や過去視の魔装士を集めていることは周知の事実だ。そして教会の力が大陸全土に浸透した今、申請すればどこの聖堂でもその恩恵を受けることができるようになっていた。通信技術の発展もそれに一役買っている。
ともかく、魔装で探ることができるならばドロファンスとしても不満はない。
「それで、神聖グリニアからの返答は?」
「旧市街地、地下水道の中に月光会の拠点があります。準備を整えた後、聖騎士による強襲作戦を行います。勿論、聖騎士長にも参加して頂きます」
「ならばいいだろう。結果を心待ちにしている。しかしそれとは別に、こちらの被害を教会に請求するが、宜しいな?」
「いいでしょう」
ドロファンスも国王として、教会に好き勝手な真似はさせない。国内事情に干渉する以上、被害を出したならば相応の謝罪が必要なのだ。司教も、今回の呼び出しはこちらがメインであることを承知している。故に嫌な顔はしなかった。
ただ、その代わりとして司教も要求する。
「旧市街地ですが、戦闘の余波で壊れてしまってもよろしいでしょうか?」
「その程度は構わない。だが、住民に被害が及ぶことは許さん」
「ありがとうございます」
旧市街地は新市街地の完成に伴い、壊すことになっている。今壊れても変わらない。それに、旧市街地はスラム街として犯罪組織の温床にもなっている。聖騎士が破壊行為をすることで、多少の圧力になるだろうという思惑があった。
利害の一致を確認し、拠点襲撃のために作戦の確認を進めていく。
国王、司教、聖騎士長による秘密裏の会議は、夜の鐘が鳴るまで続いた。
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