第144話 水の街


 メルゲートの国防軍本拠地は王宮から見て旧市街地側に位置する。元は国民を守るためにこの位置が便利だという理由だったのだが、今では犯罪者やその予備軍を監視する役目を持つ。旧市街地が半ばスラムとなっているからだ。

 将軍の一人、アーリー・カルトタクスは今日も頭を悩ませていた。



「将軍、先日誘拐されたペルミ中隊長が帰還しました」

「そうか。それで?」

「はい。今までと同じく、魔装を失っていました。本人も眠らされていたらしく、何が起こったのか分からないと言っています。かなり落ち込んでいるようで、かつての部下たちも見ていられないと……」

「分かった」

「やはり月光会でしょうか?」

「間違いない」



 月光会による誘拐事件は留まることを知らない。そして問題は、誘拐された人物は必ず魔装士で、その魔装士は魔装を失って帰ってくる。

 魔装を消す、あるいは奪う技術が完成しているのだろうと思われるが、詳細は不明なままだ。

 またそのせいで魔神教は月光会を目の敵にしている。



「目撃情報から月光会の潜伏場所を特定できないか?」

「難しいです。目撃地点を追跡して潜伏地を推定し、我が軍の兵で調査をしていました。しかしそこに聖騎士も現れ、邪魔をされまして」

「また聖騎士か」

「はい。ただ、奴らも特に成果を上げられなかったらしく、見張らせていた偵察隊からの報告ではすぐに引き上げていったと。このことから、月光会は抜け道などによって移動していると推測できます」

「抜け道か……探し出せないのか?」

「資料にも書きましたが、月光会の連中の足取りが途絶えるのは決まって旧市街地です。あそこは再開発のごたごたで正確な地図も失われて以来、完全に把握できている者はいません」

「要するに、何も分からないと」

「はい」



 アーリーは何度目かも分からない溜息を吐く。

 あれもだめ、これも無理、それは都合が悪い、では話にならない。別に彼も部下に責任を問うてるわけではないのだが、ぶつけようのない不満に対して苛立ちを見せ始めていた。



(旧市街地というのも厄介なものだ。取り壊すこともできず、地図がないから区画整理も進まない。地図を作ろうにも治安が悪すぎる。何より地下水道が放置されっぱなしのせいで酷い臭いが――ん?)



 だが、ここで何気ない思考から一つの答えを得る。

 アーリーにとって、それは天啓にも思えた。



「急いで地下水道を調べろ! おそらく月光会はそこに潜伏している」

「ち、地下水道ですか? しかしあれは複雑すぎます。一度迷えば二度と出られないと言われる場所ですよ? 放置され過ぎて魔物の巣窟になっているという噂もあります。月光会がそんな危険な場所を潜伏地や抜け道にしているとはとても……」

「いや、そうだな。なら月光会が消えた付近に地下水道へ入れる場所がないか探ってくれ」

「承知しました。すぐに部隊を派遣します!」



 部下が出ていった後、静かな部屋で一人となったアーリーは思案する。



(仮に私の考えが正しいとしたら……月光会は予想以上に大きな組織なのかもしれない。我々が見ていたのが一角に過ぎないのだとしたら……)



 自らの予想に身震いした。






 ◆◆◆







 窓から入る日差しでアイリスは目を覚ます。そして眼をこすり、しばらくボーっとした後、ようやく頭が回り始めた。



(そっか。ここホテル)



 周囲を見回すと、シュウは既に起きてソファで寛いでいた。

 二人が宿泊しているのはムーライトホテルの最上階。その最も格式高い部屋である。ベッドは包むように身体を受け止め、敷き詰められた絨毯は沈み込むほど柔らかく、調度品も下品にならないようにかつ豪華さを演出している。一泊で一般家庭が一月を過ごせるほどの金額がかかるのも頷ける快適さだ。

 シュウは備え付けの紅茶セットでお茶を入れ、新聞を読んでいた。



「起きたか、アイリス」

「おはようございますー……」

「まだ眠そうだな。別に急ぐ用事もないし、まだ寝ていてもいいぞ」

「シュウさんの膝でもいいですか?」

「まぁ、いい」



 そう聞いてアイリスはベッドから降り、ペタペタと歩いてシュウの座るソファまでやってくる。そしてソファに寝転がり、膝枕のような恰好でゴロゴロとし始めた。

 シュウもアイリスに対して随分と丸くなったものである。



「何か事件でもあったのです?」

「昨日、船頭に誘拐事件について言われただろ。だからフロントスタッフに言って、ここ最近の新聞を取り寄せてもらった」

「観光地なのに怖いですよねー」

「ああ。だが、意外にも行方不明者は少ないらしい」

「そうなのです?」

「誘拐されて数日後には保護されているみたいだな。ただ、偶に見つからない者もいるみたいだ。誘拐犯については確証まで言及されていないな。まだ分からないのか、どこかで情報が握り潰されているのか……」



 シュウは少し考えこむ。

 新聞を見る限り、誘拐された人物に共通点らしきものはない。ただ、比較的若い者が多いようだ。シュウはこの国に来たばかりなので何とも言えない部分も多いが、結局新聞の情報だけでは判断しかねた。

 ただ、シュウにも一つだけおかしいと感じる部分がある。



「おかしなところがあるとすれば、教会がやけに調査に力を入れていることだ」

「シュウさんシュウさん。それっておかしいのですよ!」

「ああ」



 元聖騎士のアイリスはよく分かっているため、シュウの疑問点にすぐ同意した。

 元々、魔神教は魔物から人々を守るために聖騎士を配置している。また魔装神エル・マギアからの祝福である魔装を野良の魔装士に使わせないため、教会に仕える者か軍人でなければ魔装の使用を認めていない。最近は自衛のためなら魔装の使用も止む無しという風に臨機応変な態度だが、不正に魔装を使用した者は厳しく取り締まられている。

 つまり聖騎士の基本的な仕事は魔物の討伐と、野良の魔装士の摘発だ。

 間違っても誘拐事件の調査が仕事ではない。寧ろそれは軍や警察の仕事であり、普通ならば領分を侵されたとしてアルマンド王国側から抗議されてもおかしくない事態だ。

 だが、新聞を読む限りはそんな事態に発展していない。

 これがシュウとアイリスの疑問点である。



「だが、おかしいからこそ事件の深いところを推察できる。この誘拐事件、魔装士がメインの闇組織がやっているんじゃないか?」

「確かにそれなら教会が出張ってきても不思議ではないのですよ。闇組織でないにしろ、教会にとって不都合な組織がかかわっていることは間違いないのです!」

「しかし誘拐してすぐに解放とはよく分からない事件だな。身代金請求もない。身に着けていた金品が奪われることはあったみたいだが、それだけだ。単なる旅行客を狙った金銭目的の事件か……? ずいぶんとみみっちい闇組織だ」

「シュウさん。黒猫の規模がおかしいだけなのですよ。大抵の闇組織はそんな程度です」



 闇組織もピンからキリで、弱小組織は数人の魔装士が恐喝で金品を巻き上げるチンピラのようなことしかしていない。逆に大組織になると、黒猫のように様々な分野で活躍する。今はもう黒猫のような組織はほとんどなく、各都市のスラム街を仕切る程度の組織ばかりだ。

 ただ、スラム街を統治する闇組織は治安の面から放置されることもある。スラムは法律が及ばないことも多く、独自のルールで支配する闇組織も時には必要なのだ。また組織の中には教会に賄賂を贈って見逃してもらっているようなものもある。

 全体的な利益や教会の腐敗といった様々な要因で、大したことのない闇組織が一定数存在するようになってきた。



「誘拐している組織は教会が邪魔に思うような大きな組織なのですよ! 誘拐は何か別の理由があると思うのです」

「アイリスの言うことも一理あるか」

「『鷹目』さんを呼びますか?」

「今は旅行中だ。別に呼んでまで調べることもないだろ」

「そうですね!」



 誘拐事件は気になる話だが、シュウとアイリスの実力ならあまり関係ないだろう。そう考え、今回の件は無視することに決めた。






 ◆◆◆






 シュウとアイリスがホテルを出たのは午後になってからだった。ムーライトホテル最上階から一つ下にレストランがあり、そこで昼食を取ってからの外出である。



「広いですねー」

「ああ。思った以上だ」



 そして二人がやってきたのはメルゲートが誇る湖である。アルマンド王国はこの湖を中心に栄えてきたと言っても過言ではない。

 魚料理は勿論だが、小舟に乗って湖を渡ることもできる。ただ、季節の問題で泳ぐには少し水が冷たい。アイリスにとってそれは少しだけ残念だった。



「早速船に乗りますか?」

「船と言っても色々あるみたいだな。大型の遊覧船、魚釣りができる船、それに一人から二人用の小舟。釣りもいいな」

「釣りなら妖精郷でよくしているじゃないですか」

「それもそうか。アイリスはどれがいい?」

「私は小舟もいいですけど、遊覧船も乗ってみたいです!」

「贅沢だな」



 シュウは船についての看板を読みながら、予定を考える。

 流石に観光地の目玉だけあって、船の種類も様々だ。遊覧船にもグレードがあり、最高クラスのものとなればレストランまで付いている。



(夕食は船上レストランってのもありだな。それに小舟も大きめのものを借りるか。魔術で動かせば労力もかからないし)



 小舟といっても、実質中型規模のものもある。このサイズの船は船上で寛げるスペースが確保されており、プライベートを重視するカップルや家族専用のタイプだ。どうせなら、狭い小舟よりこちらの方がいいだろう。



「船着き場に行くぞ。小舟に乗って湖を見て回ろう。夜は遊覧船に乗りながら夕食を食べる。それでいいか?」

「賛成なのです!」

「あっちだ。迷子になるなよ」

「大丈夫です。流石の私もこの程度で迷子になったりしません」

「どうだか?」



 この後、案の定アイリスは迷子になった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る