滅亡篇 1章・賢者の石

第143話 観光旅行


 スラダ大陸は神聖グリニアを中心とした統治の下、魔術ではない技術の発展が強くなっていった。つまり自然科学の発達である。

 教会は聖騎士や軍人以外での魔装士を認めていないため、一般民衆はそれ以外に力を求めた。それは科学技術という新しい武器である。数学の急激な発達に伴い、自然現象を数式によって記述する手法が一般的になりつつあった。過程を飛ばして発動する魔術とは真逆の発想であるが、人々は過程を学び始めたのだ。



「アイリス、乗り遅れるぞ」

「待って下さいよー!」



 そしてシュウとアイリスは列車・・へ乗り込む。

 二本の並行なレールの上を走る大規模輸送システム。つまり列車が開発され、大陸全土に張り巡らされていた。

 神聖暦六十年頃に蒸気機関が発明され、あらゆる産業が自動化される。いわゆる産業革命が起こった。そこからの発展は早く、神聖暦一〇四年となった現代では蒸気機関車が一般的になるほどであった。



「何とか間に合ったのですよー」

「すぐに迷子になるな。大体はお前のせいだからな?」

「メルゲート行き最終列車に間に合ったんだからいいじゃないですかー」

「これで間に合わなかったら切符の買い直しだったんだからな。気を付けてくれよ」



 一息ついたシュウとアイリスは、個室に入りつつそんな会話をする。

 ここは大陸西側、自由の国アルマンド王国だ。産業と観光業で発展したこの王国の首都メルゲートは、巨大な湖を中心に発展してきた水の都である。水資源に恵まれており、リゾート地として有名だった。今回、シュウとアイリスはメルゲートへと遊びに来たのだ。

 そして二人が乗った列車こそ、メルゲート行きの高級列車だ。



「ま、妖精郷に引きこもるのも息が詰まる。リラックスしてくれているのは何よりだ」



 溜息を吐きつつも、シュウはアイリスを赦した。彼女の方向音痴は今更なのだ。もう百年以上の付き合いなので、流石に慣れてきた。



(思えば百年で世界が変わったな……)



 流れるような景色の変遷は前世を思い出させる。流石に前世の蒸気機関車とはデザインが異なるものの、機構としては蒸気機関車と同じだ。このまま発展すれば、あと数百年で前世にあった文明レベルに追いつくはずだ。寧ろ魔術がある分、前世の技術力を遥かに凌駕するかもしれない。

 アイリスからすれば全てが新鮮なのかもしれないが、シュウにとっては懐かしいばかりだった。



「何回乗っても早いですねー」

「これのお蔭で貿易もやりやすくなったらしい。最近じゃ、どこでも何でも買える。便利な世の中になったもんだ」

「仕入れも楽になりましたよねー」



 この百年で妖精郷での暮らしも楽になった。妖精郷から一番近い沿岸部の旧エリス帝国領はまだ復興途中だ。冥王に滅ぼされた経緯から移民も少ないため、シュウたちが仕入れるにも不便である。それ故、復興物資を大量輸送できる列車というシステムはとてもありがたかった。

 妖精郷周辺の都市部での仕入れにも困らなくなりつつある。

 今回の旅行は、ある意味で余裕ができたからだ。

 またアルマンド王国で『死神』の仕事もあったので、今回はついでとばかりに旅行を計画したという経緯もある。



「それより、メルゲートに着くのは明日の朝だ。アイリスはもう寝ておけ」

「はーい」



 窓の外は暗い。最終列車であることから分かる通り、もう夜だ。

 しかしシュウが取ったチケットは高級寝台列車のもの。つまり、この個室にも大きなベッドが配置されている。

 欠伸をしたアイリスは、ベッドによじ登って体を横にした。



「シュウさんは寝ないのです?」

「いつも通り、俺は起きているさ」

「はーい」





 ◆◆◆





 アルマンド王国首都メルゲート。

 湖を中心に栄えてきたこの都市は、精強な軍隊によって守護されている。国防軍の一角を担う将軍、アーリー・カルトタクスは執務室で書類を睨みつけていた。



(……またか)



 彼は溜息を吐く。

 そしてこの書類を持ってきた彼の部下に詳細を訪ねた。



「それで、月光会の仕業で確定なのだな?」

「はい。そのせいで聖堂側が調査をすると言い張り、こちらにはほとんどの情報を流してくれません」

「馬鹿が……面子ばかり気にしおって」

「我が国の事件ですから情報を請求する権利はあると主張もしました。しかしこちらの問題だと言って取り合ってくれません」

「そんなものは建前だ。おそらくは月光会と我が軍の上層部に繋がりがあるのだろう。聖堂に多額の献金をすることで何かしらの優遇措置をしているに違いあるまい」



 表面化しているわけではないが、教会にも不正を働く者は多い。資本主義国家だけあって、やはり金こそがものを言う。



「ふぅ……教会に頼るのは止めだ。調査に予算を回す。何とかしてくれ」

「分かりました将軍。月光会による魔装士誘拐事件……なんとしてでも突き止めてみせます」

「頼む」



 メルゲートでは不穏な蠢きが既に始まっていた。





 ◆◆◆




 メルゲート行き寝台急行列車。

 シュウたちが乗るその列車がようやくメルゲート駅へと到着した。水を湛える街だけあって、駅の周辺にも美しい水路や噴水が並んでいる。都市交通として小舟が使用されており、まるでタクシーのようだとシュウは感じていた。



「眠いですねー」

「あまり眠れなかったのか?」

「音と揺れがありますからね」

「まぁ、仕方ないか。取りあえずホテルに行くぞ」



 シュウは暗殺業を終えたばかりで金も沢山ある。それに普段から宝石や黄金などを持ち歩いているので、金に困ることは滅多にない。

 目指すは一番の高級ホテルだ。

 折角の旅行なのだから、贅を尽くすつもりだった。



「でもシュウさん。ホテルの場所は分かるのです?」

「アレに連れて行ってもらう」



 そう言って指差すのは水路の小舟だ。観光業を一番の収入源としているだけあって、水路は国家事業として管理されている。勿論、タクシー代わりの小舟も国が管理する事業だ。ホテルの場所を聞けば、問題なく連れて行ってくれるだろう。

 シュウは舗装された道路から階段で下っていき、水路へと降りていく。

 鉄道駅から最も近い水路の駅だけあって、かなりの人混みだ。しかし、その分だけ小舟も待機している。並ぶ人々は次々と小舟に乗り、行先を告げて水路を進んでいった。



「珍しい移動ですね」

「この街の看板だな。だが、無闇に歩くよりは観光しやすい。頼めば面白い場所にも連れて行ってくれるだろうし」

「楽しみですねー」

「取りあえずはホテルだけどな」



 小舟もエンジンではなく、手漕ぎなので非常に静かだ。水の音が涼しく聞こえる。この国では小舟の操舵に免許が必要なので、シュウとしては前世の自動車みたいだと感じていた。



「次の方ー。おや、夫婦ですか?」

「そうなのですよ!」

「……ああ」

「はっはっは。いいですねぇ。はい、気を付けて乗ってね」



 別にシュウとアイリスは夫婦ではないのだが、怪しまれないために夫婦ということにしている。最近、街に二人で出る時はそういうことにしていた。



(その内、本当に夫婦になっていそうだよな)



 もう百年以上の付き合いなのだ。

 シュウとしてはそんなつもりなどなかったし、まだ体の関係もない。しかし、実質的には夫婦と変わりないだろう。

 取りあえず船頭に従って小舟に乗り、座席に座る。



「んで、お客さん。どこへ行きます?」

「この辺りで一番のホテルに行ってくれ。まだこの街に来たばかりでな」

「へぇ。ってことは今朝の列車ですかい? いやー。金持ちですね」



 流石に船頭をしているだけあって、今朝に到着した高級列車についても把握しているらしい。観光客慣れしていることもあり、シュウとアイリスが金持ちであることも見抜いた。



「一番のホテルといいますと……ムーライトホテルですねぇ。あそこは湖にも近くて、いい景色の部屋が沢山あるんですよ。何より食事が美味い。是非ともあそこの魚料理を食べていってくださいよ!」

「なら、そこに行ってくれ。アイリスもいいな?」

「いいですよー。楽しみなのです」

「あいよ! ジッとしていてくださいね。暴れると船が横転してしまうんでね」



 小舟は岸を離れ、水路の流れに乗った。



「ここからムーライトホテルまではしばらくかかるんでね。ちょっとしたお話でも致しましょう。このメルゲートは大抵の場所に水路で行けるんですが、旧市街地は陸路じゃないと行けないんです」

「旧市街地なのです?」

「そうですよ奥さん」

「お、奥さん……えへへへ」

「旧市街地は今スラム化しつつあるんでね。観光の方は近づかない方がいいですよ」

「近づかないようにします!」



 今のアイリスは覚醒魔装士だ。その辺のチンピラ程度なら返り討ちだろう。しかしそれは言わぬが花。船頭も親切心で言っているのだ。



「それに、最近は嫌な噂もありますからね。夜は出歩かないようにしてください」

「夜は危ないのです?」

「ええ。誘拐事件が多発しているんですよ。奥さんみたいな美人さんは危険ですよ。旦那さんも守ってやってくださいね」

「ああ。だが誘拐か……だから兵士が見回っているのか?」

「そうですよ」



 シュウが目を向けた先には陸路を歩く三人の軍人がいた。ただ、軍人と言っても百年前とは大きく変わっている。彼らは拳銃を腰に下げていた。ただ、単発のピストルであるため、予備武器としてサーベルも腰に差している。

 先程から見回りの軍人たちを何人も見ていたので、シュウとしても少し気になっていたのだ。



「昼間は軍人さんが警備してくれているんですが、夜は危険ですからね」

「忠告、感謝する」

「ありがとうなのですよ!」



 水路を進む小舟は、船頭の操舵によって岸側へと近づいた。



「そろそろ到着です。船が止まるまで立ち上がらないでくださいよ」



 船頭は見事な操作で小舟を減速させ接岸する。小舟を操るのはたった一本の棒だ。棒で水路の底を突き、反作用で船を操るのである。意外にも難しい職人技というやつだ。



「面白そうですね。船に乗れる場所はないのです?」

「おや。興味が湧きましたか奥さん。実は湖に行けば乗れるんですよ」

「シュウさん!」

「ああ。明日にでも行ってみるか」



 ゆっくりと小舟は停止する。

 シュウは軽い足取りで岸へと移り、アイリスに手を差し伸べる。アイリスは手を取り、岸へと引き上げてもらった。



「ムーライトホテルはそこを上がって奥ですよ。良い日をお過ごしください」

「ああ」

「ありがとうなのですよ!」



 船頭に別れを告げ、二人は階段を上がっていく。最高級ホテルに繋がる岸だけあって、美しい装飾が施されている。まだホテルの敷地でないにもかかわらずこのような景色だ。ホテルの中が一層楽しみである。

 花や水で囲まれた階段を上って陸路へと上がり、奥へと目を向ける。

 船頭の言った通り、ホテルらしき高層建造物があった。



「凄いですねー」

「あっち側が湖と王城らしいな」

「まずは部屋を取るのですよ! どんな部屋ですかねー」

「これなら期待できるだろ。それに泊まるのは一番いい部屋だからな」

「楽しみなのです!」



 アイリスはシュウの左腕に体を擦り寄せ、ニコニコとした表情を崩さない。これで百歳超えのおばあちゃんなのだから驚きだ。時間操作の魔装は肉体年齢を止めるだけでなく、精神年齢も止めているのかもしれない。

 ともかく、二人は期待を込めてムーライトホテルへと入っていった。








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