第142話 妖精郷伝説


 エリス帝国の滅亡は周辺諸国に衝撃を与えた。

 特にその原因が冥王アークライトにあるということが周辺国家を震え上がらせた。かつてスバロキア大帝国を滅亡に追い込んだ『王』の魔物の一体だ。一般人は勿論、国家までもが冥王を畏れた。そして『王』には決して手を出すなという世論が主流となり始めていた。

 困ったのは魔神教である。

 神聖グリニアの首都マギアにて、教皇はある人物の寝室を訪れていた。



「お加減は如何ですか。聖騎士ガラン・リーガルド」

「……教、皇……猊下」

「ああ、そのままでいてください。もう起き上がるのも辛いでしょう」



 部屋の主は聖騎士ガラン。

 だが、Sランク聖騎士として活躍していた頃の姿は影も形もない。すっかりと痩せて、今にも死にそうな表情だった。もう耳も目も悪くなり、コミュニケーションすら困難となっている。

 アイリスによる老化の呪いを受けてから一月。

 治療の甲斐も虚しく、まもなくガランに寿命が訪れようとしていた。



「あなたが命懸けで手に入れてくださった『時の魔女』アイリス・シルバーブレットの情報。改めて各地に配布することができました。ありがとうございます」

「あ、あぁ、い」

「聖騎士ラザード・ローダは迎えた妻と共に研鑽を積んでいます」



 妖精郷の討伐作戦に失敗した彼らは、そこで見たものを教会に報告した。そして魔神教は魔女アイリスを更なる脅威として認定したのだ。

 時を操る脅威的な敵として。

 そして呪いを受けたガランはすぐに解除を試みられた。しかし時を加速させる呪いを解くことはできず、彼は今、死の間際へと誘われている。



「ぃ、ぁ……あ」

「聖騎士ガラン、長きに渡る聖堂の任務……お疲れ様です。どうか神の御許で安らかに」



 教皇はガランの手を握り、祈る。

 その魂が安らかに召されるように。そして平安があるようにと。

 ガランは徐々に生気を失っていき、心臓の鼓動も弱くなっていく。遂に彼の命は途絶えた。



「どうか、後は任せてください」



 そう告げて、教皇は部屋を後にする。

 翌日、偉大な聖騎士ガラン・リーガルドの葬儀が行われた。







 ◆◆◆






 エリス帝国崩壊の知らせを聞いて、胸を撫で下ろした者がいる。

 それは黒猫の幹部、『若枝』だった。荷物のほとんどを置いて逃げるように……実際にエリス帝国から逃げ出した彼女は、何とか生き残っていた。《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》の破壊から逃れ、彼女は命を実感していた。



「恐ろしい経験だったわ」

「それは大変でしたね」

「他人事じゃないわよ『鷹目』! あの冥王よ! それに『死神』からも殺されそうになるし、散々だったわよ!」

「おや? まさか『死神』さんを怒らせてしまったのですか? よく生きていましたね」

「ええ。見逃されたわ。でもあの爆発で『死神』も死んだかもしれないわね」



 冥王が『死神』と同一人物だと知っている『鷹目』からすれば、よくぞ殺されなかったものだと驚く話だった。何も知らない『若枝』は幸せだろう。勘違いもしているほどだ。



「ねぇ、『鷹目』。安全な国を知らないかしら?」

「難しい問題を出しますね。それは魔物の脅威から守られているという意味ですか? それとも仕事がしやすい国という意味ですか?」

「どちらもよ!」

「では三千万マギで情報を売りましょう」

「高いわね……いいわ。ここにある」

「用意がいいですね」



 交渉の席へと既に金を持ってきていたので、取引は簡単に成立した。

 ケースを受け取った『鷹目』はそれを開き、金を数える。しばらくはパラパラと紙幣を数える音だけが部屋に響いた。そして中に入っていた三千万分の紙幣を抜き取った。



「ぴったり、頂きました。さて、安全な国といいますと私の候補では三つですね。ここから北にあるロアザ皇国などは仕事のしやすい国です。魔物の脅威も少ないですね。あとは東の山を越えた場所にある国、カイルイアーザ。それにカイルイアーザの更に東にあるモール王国。この辺りでしょうか」

「あなたのおすすめはどこ?」

「安全性は変わりませんね。あとは好みでしょうか? 私は食べ物が美味しいカイルイアーザがお勧めですね」

「東の山の先だったわね。感謝するわ」



 そう言うと『若枝』はさっさと部屋を出ていった。

 よほどのトラウマなのだろう。

 部屋に残された『鷹目』はポツリと呟く。



「もう人間に冥王は倒せないでしょうね」



 『鷹目』の目的は神聖グリニアが自滅することである。力を蓄え、その傲慢によって『王』へと挑み、見事に砕け散るところを見たい。それが望みだ。

 ディブロ大陸の七大魔王に滅ぼされるという展開を計画しているが、このままならば冥王によって滅ぼされる可能性もある。



「人の世界は、いつか終わるのかもしれません」



 それは予言か妄想か。

 まだ、分からない。





 ◆◆◆





 霧に包まれた海。その中に妖精郷は存在する。

 だが、その霧はかつてよりも遥かに濃くなっていた。

 しかし深い霧の中で、一部だけ太陽の光が届く場所が存在する。それが妖精郷の周辺だ。ドーナツのように霧の結界の中央部だけ、晴れた空間が存在する。改良された霧の結界により、妖精郷には太陽の光が大量に注がれていた。



「……結局、ひと悶着あったな」



 大樹神殿の屋根で横たわるシュウは、そう呟いた。

 安住の地を探して妖精郷を見つけたにもかかわらず、いきなり人間に襲われたのだ。しかもやってきたのは国軍と覚醒した聖騎士が二人である。鬱陶しいにもほどがあった。

 何よりも厄介なのが、聖騎士による封印術である。

 シュウですら、一定時間ではあったが行動不能に陥ってしまった。



「まぁ、《神炎》の実験ができたから良しとしよう。《暗黒》の方は実験できなかったな。その内、どこかで使ってみるか」



 シュウは封印破りのため、幾つかの術を考案している。

 その一つが《神炎》であり、もう一つが《暗黒》だ。この《暗黒》は以前にシュウが打ち上げた魔術のことである。相対位置固定により常にシュウの頭上に待機するように設定した魔術陣だが、今回の戦いでは使うことがなかった。

 それに《暗黒》はシュウが魔力すら使えない状況で使う本当の切り札。

 まだ世間に晒すつもりはない。



「シュウさん!」

「急に現れるな紛らわしい」

「魔装を使う練習なのですよ!」



 アイリスは時を操る魔装を使いこなすため、この妖精郷でもたびたび使っている。時を加速させて煮物を素早く完成させたり、時を戻して破損した武器を修理したり、時を止めて疑似瞬間移動したり。その特性を掴むためにいろいろと試していた。



「で、練習は進んでいるのか?」

「時間操作の対象を区別する練習ですか? それはまだ時間がかかると思うのですよ!」

「簡単にはいかないか」



 アイリスの魔装は領域型。時間操作という究極の覚醒魔装だ。

 元々は拡張型の不老不死という能力だと勘違いしていたが、覚醒により真の力へと至った。領域型ゆえに時間操作は範囲内を無差別に対象としてしまう。そこで、その範囲を操る練習をしていた。

 極めれば敵の時間だけを止めることも可能となるだろう。

 まさに無敵の力だ。



「我が神、アイリス様」



 そこにアレリアンヌがやってきた。

 大樹神殿の屋根に波紋が浮かび、そこから上半身だけを出している。アイリスもそうだが、唐突さでいえば彼女も大概だ。



「本日の午後は雨に致します。どうぞ中へ」

「ああ、そろそろか」

「はい。森に雨の恵みを与える日です」

「分かった。アイリス」

「はーいなのですよー」



 シュウとアイリスは頷き合い、大樹神殿の中へと入っていった。

 一人屋根に残ったアレリアンヌは、両手を天に向ける。すると徐々に雲が立ち込め、空が暗くなり始めた。霧の結界を生み出す応用で、天候すら操れるようになった。災害ほどの天気を生み出すには相当な魔力が必要だが、雨を降らせる程度なら全く問題ない。

 妖精郷は深い森なので、定期的に水を供給する必要があるのだ。そのために開発したのが雨を降らせる魔導だった。

 ポツリと一滴の水がアレリアンヌの頬に落ちる。

 落ちてくる水滴は徐々に増え、周囲の葉を打ち始めた。




 スラダ大陸の南西部には妖精郷の伝説がある。


 妖精郷を見つければ、三代は過ごせる金が手に入る。


 万病に効く薬がある。


 最上の幸運に恵まれる。


 噂は様々だが、それらの最後には必ず警告の一文が付随していた。


 決して手を出してはならない。


 それは黒き終焉を呼ぶ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る