第141話 時間操作
冥王シュウ・アークライトは早くからアイリスの魔装の正体に気付いていた。あらゆる傷を致命傷すら自動的に癒してしまうばかりか、餓死すらも回避する不死性。その仕組みについて察していた。
アイリスの魔装は時間操作。
不死性を体現していた再生力は時間回帰だ。
今まではアイリスの魔力量の関係もあり、一部の力しか使えていなかった。局所的時間回帰、あるいは時間停止によって不死性を得ていた。
時間操作は莫大な魔力を必要とする。あらゆる変化は勿論、他者の意思すら停止させる能力だ。物質的には勿論、他者の精神にも干渉する程の魔力がなければ時間操作の本来の力は使えない。もしも不充分な魔力で時間操作を十全に使ってしまえば、生命力を魔力に変換しても足りず、そのまま衰弱死していただろう。それを防ぐために、無意識のストッパーをかけていた。
しかし、その抑制も必要ない。
アイリスは覚醒によって充分な魔力を確保したのだ。
(これ、は……)
首の皮を一枚だけ切り裂いて止まった魔剣のシミター。
絶望的な表情のアレリアンヌ。
音の消えた世界。
あらゆるものが停止したこの世界において、思考能力を保持しているのはアイリスだけだった。
(そっか、これが私の魔装)
覚醒したことで、アイリスは自分の力を完全に把握した。
時を操る能力。
それは絶対者の如き力だ。
(まずは……)
停止した世界で、まずアイリスは心臓に刺さった魔剣を回帰させる。すると魔剣はするりと抜けていき、空間中で静止した。そのままアイリスは傷を回帰して修復。
続いて首元に触れているシミターに時間回帰を発動した。すると魔剣のシミターは位置情報ではなく状態が回帰されていく。魔剣は魔術が付与される前のただのシミターとなり、シミターの刀身は鍛えられる前の鉄塊になり、やがて鉄塊は精錬される前の鉄鉱石となった。
ただ、ラザードの魔手に柄だけが握られている。
そこで時間停止が解除された。
「―――ああああああああああっ! え?」
アイリスの首をすり抜けた魔剣を見て、ラザードは素に戻った。刀身が消え去り、柄だけとなっている。これで決まると思っていた誰もが手を止めてしまった。
「ぐあああああっ!」
「ぎゃああああああ!」
「ひぐっ!? ぐはあああっ!」
その間に三人の聖騎士と従騎士が大樹の枝に貫かれる。枝は体内で更に枝分かれし、内部から体を貫く。即死だった。
これで仲間が死に、聖騎士たちは陣形を崩される。
また聖騎士ガランは異変を同時に察知した。
「まずいぞ。冥王が脱出した」
ガランの声を聞いて幾人かが天を見上げた。すると、二つあった太陽が一つに戻っている。同時に、悍ましいほどの大魔力を感知した。
『王』の魔力。
それは死だ。
冥王の魔力は死である。
妖精郷にいる人間は誰もが死の迫りを実感してしまった。
「撤退だラザード殿。任務は失敗だ」
「はい!」
ラザードは魔剣すら放置してアイリスから離れた。
だが、アレリアンヌは逃さない。アイリスが何故か無事であることに疑問は感じたが、これはチャンスだ。大樹を操り、攻撃を畳みかける。陣形が崩れた聖騎士たちは大ダメージを受けた。
更に覚醒で魔力を回復させたアイリスも追撃する。
「《
アイリスは撤退しようとする聖騎士の一人を狙った。だが、かざした手からは何も出てこない。しかし、狙われた聖騎士はビクンと震えて倒れた。
周囲の聖騎士たちはいきなり倒れた仲間を見て驚く。
これはアイリスの魔装と魔術を組み合わせた戦闘方法だ。魔術を時間操作で過去に送り込み、当たったということにする。つまり過去の改変だ。心臓部に《
「うおおおおっ! 乗れ!」
ガランは浮遊城を生み出し、仲間を守るようにして包む。パズルブロックのように岩石が組み合わさり、あっという間に小さな浮遊要塞が完成する。
仲間を収容したことを確認し、ガランは最後に自分自身を包み始めた。
だが、次の瞬間には驚愕することになる。
転移したかのように一瞬でアイリスが距離を詰め、ガランの腕に触れていたのだ。
「何っ!? この!」
「遅いのですよ」
「消えた!?」
反射的に剣を振るうも、またアイリスは消えた。
時間停止中の移動。これによりアイリスは疑似的な瞬間移動能力を手にした。時間操作の対象を上手くコントロールすれば、自分だけが動ける世界を構築できる。これが時間操作の最も恐ろしい力の一つである。
更にアイリスが触れた部分には異変が生じていた。
ガランは違和感を覚え、触れられた左腕の肘を確認する。
「これは……なんだ?」
彼の疑問に、アイリスは律義に答えた。
「それは呪いなのですよ」
「呪いだと?」
「時を進ませる呪いなのです。肉体状態を強制的に進ませる……つまり老化の呪いなのですよ」
「馬鹿な! 私は覚醒魔装士……老いなど……」
「私の能力は時間操作。つまりあなたの肉体状態を強制的に進ませたのですよ。通常の老化とは一味違うのです」
覚醒魔装士は無制限に溢れでる魔力のお蔭で老化が停止している。本来は減っていく一方の生命力が魔力で補完され、老化が止まっているに過ぎない。つまり、肉体状態が停止しているのだ。
しかしアイリスの魔装は時間操作。
肉体状態という時間的状況すら変化させる。肉体状態を強制的に未来へと加速させることで、覚醒魔装士も例外なく老化するのだ。
つまりガランは百五十年ぶりに老いを感じていた。それも急速に。
「ぐっ……」
時間加速の呪いは徐々に侵食し、腕全体へと広がりつつある。肉体の死も時間の問題だろう。
肉が衰え、皮膚に皺が増えていく。
だがガランは魔装を展開し、自分を包んで浮遊城を完成させた。そのまま浮遊城は浮かび上がり、透明になって姿を消す。風の第二階梯《
「逃さない!」
「待つのですよ!」
「どうしてですかアイリス様! ここで奴らを!」
「脅威を伝えるには充分なのです」
アイリスはそう告げた。
時間停止してただ呪いをかけるだけにしたのは、脅しという理由があったからだ。
「それに、あとはシュウさんに任せるのですよ」
そう告げて、巨大な魔術陣を展開した。
「私は妖精郷で残党始末なのですよ! 《
魔力を自動回復できるようになったアイリスは、戦術級魔術の連発により帝国兵の殲滅を開始した。
◆◆◆
封印からの脱出に成功したシュウは、ゆっくりと下に降りていた。《神炎》の影響で海は蒸発し、周囲には深い霧が立ち込めている。
そして霧に紛れて妖精郷から離れていく大きな魔力を感知した。
それは
(あれは……)
だが、シュウは一度目を離した。
まずは望遠の魔術で妖精郷を確認する。戦いにより大樹神殿は大破していたが、今はもうアレリアンヌが修復しつつあった。シュウが手を出すまでもなく戦いは終わったのだ。
今回の戦果はアイリスの覚醒である。
計画外ではあったが、アイリスの無事に安堵した。とはいえ、元からそれほど心配はしていない。どうせ死なないと思っていたのだから。
(目を離している間に聖騎士の戦いは終わったか。アイリスが始末したのか? なら、俺は逃げようとしているアレを消すか)
姿と魔力を消しているガランの浮遊城のことには気付いていない。それでシュウはアイリスとアレリアンヌで始末したものだと思い込んでいた。
シュウは離れていく巨大鳥の魔装を視認する。そして手を伸ばし、魔力を掌握した。
「消えろ、『
魔装は消失し、魔装の内部に入っていた五人の兵士が海に投げ出された。糸の魔装も消えたので、
(やはり捕まっていたか)
予想はしていた。
巨大鳥の魔装が飛翔していた位置から見て、五人の兵士はかなり前から妖精郷を脱出したと分かる。だが彼らは皇帝の命令を受けた兵士であり、敵前逃亡はあり得ない。あるとすれば、何か別の後ろめたいものを抱えている場合だ。
シュウは
そこで全ての魔力を殺して奪い取るのではなく、魔装の魔力に限定して死魔法を使った。
(溺れているか。自業自得だ。わざわざ殺すまでもない)
武器や防具を付けたまま海に落ちたのだ。もう人間は助からないだろう。解放された
つまりシュウのするべきことは別にある。
「警告だ。取りあえず滅びろ」
シュウの周りに立体魔術陣が浮かぶ。
その手の上には黒い小さな物体が形成されていた。その数は五つ。五発の《
反物質で構成され魔力で保護されたそれは、加速魔術陣の上に乗る。
さらにシュウは目の中に魔術陣を浮かべた。
望遠魔術により着弾座標を特定する。狙うは勿論、エリス帝国の首都および主要都市だ。この一撃で国家としての基盤を砕き、更には都市に建設されている聖堂を完全破壊する。妖精郷に手を出せばこうなると、世界に知らしめるためだ。
五つの《
その五つは空の彼方へと消えていき、放物線を描いて予定通りの場所へと着弾する。着弾した途端、反物質を覆っていた魔力は結界となって破壊範囲を指定する。一方で対消滅反応により膨大な熱エネルギーを生み出し、魔力結界の内部は凄まじい熱で焼き尽くされる。
冥王の目に、五つの都市が完全消滅する光景が映った。
「ふん……」
戦争は終わった。
エリス帝国と妖精郷の戦いは、一方的な形で決着がついた。
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