第135話 冥王と『浮城』
霧の海上は不気味だ。
人間の最も頼りになる情報器官、眼が使えないからである。
「……感じる」
エリス帝国軍の船上で座するガランは、目を閉じて魔力を感じていた。覚醒した彼は百五十年もの研鑽を積んでおり、基礎的な技能である魔力の感知術も桁違いに優秀である。
また『浮城』の二つ名を有するだけあって、彼の魔装は宙に浮く巨大な建造物を生み出す能力だ。それを自在に操るという性質上、視覚に頼らない感知技術は必須である。巨大すぎて、全貌を視認することなど不可能だからだ。
「もうすぐだ」
ガランは目を開き、立ち上がった。
彼が目を向けるのは船首の更に先である。まだ霧に包まれた先にある妖精郷だ。もう、あと僅かといったところまでやってきた。ガランの感知範囲にも入っている。霧の結界のせいで乱されているが、ここまで近づけば巨大な魔力の塊を感知することができた。
距離感はよく分からない。
しかし存在感はハッキリ知覚できる。
「ガラン・リーガルド聖騎士殿、船長からの伝言です。間もなく到着と」
「うむ」
「聖騎士の方々も戦闘準備をお願いします」
伝令兵はそれだけ告げて、また別の部隊の方へと走っていった。
ガランの背後に控えていた従騎士が口を開く。
「ようやくですね。武器を出します」
「頼む」
従騎士が懐から小さな袋を取り出す。その中からはナイフよりも小さな剣が入っていた。だが、従騎士が魔装を発動させた途端、それは巨大化する。いや、元の大きさに戻った。
そうして本来の姿となった剣を、ガランに差し出す。
「……ふむ」
ガランは剣を腰に差し、その重さを確かめた。
彼の従騎士の能力は、物体を縮小化させると共に重量を小さくするというものだ。強力ではあるのだが、直接戦闘では役に立たない。これで拡大化と重量強化の能力もあれば優秀な聖騎士として活躍できたかもしれないが、彼では従騎士が限界だった。
しかし、彼には彼なりの役目がある。
ガランにとって彼の能力は非常に有用だった。
「では参……何っ!?」
唐突だった。
彼は妖精郷を見つけたことで感知を切らなかった自分自身を褒めた。
北東から急速接近する尋常でない魔力と、魔術の兆候を捉えたからだ。
「衝撃に備えよ!」
それで彼は咄嗟に風の魔術で声を拡散させ、同時に巨大な城を出現させる。彼の魔装によって出現した浮遊城は、空中で瞬時に質量を増し続ける。
急な巨大建造物の出現に、周囲の人間も、また周囲の船に乗る人間も驚いたことだろう。
だがガランには気を使っている余裕がなかった。
「来るぞ……」
彼が浮遊城を出現させた位置に、何かが軌跡を描いて落ちた。
◆◆◆
シュウは早くもエリス帝国軍の船団を発見していた。
そして発見と同時に《
勿論、《
しかし、爆発は抑え込まれた。
(どういうことだ?)
破壊的な爆発によって、浮遊する巨大建造物は内部から崩壊している。破壊の勢いで多少の衝撃波も放出された。しかし、本来の威力からはかけ離れた弱い爆発だ。
魔力の回収もほとんどできていないので、収支としてはマイナスである。
これにはシュウも驚かされた。
(この魔力、どこかで……)
シュウの大魔術《
どこかで感じた魔力、巨大な建造物を生み出す能力、覚醒魔装士、そんな三つの情報が揃えば自然と相手を特定可能だ。
(思い出した。『浮城』の聖騎士か!)
流石のシュウも名前までは忘れた。
だがその能力は覚えている。かつてスバロキア大帝国と
(なるほどな。まさか神聖グリニアから援軍があったとは。妖精郷はそこまで警戒されていたか……いや、それとも冥王が警戒されたのか? まぁいい。《
シュウは黒い服と髪をはためかせ、船へと急降下した。
◆◆◆
ガランはすぐに警戒命令を出していた。
Sランク聖騎士として名を馳せている彼の警戒だ。エリス帝国軍もすぐに信用し、戦闘態勢へと入る。シュウが降り立った船には、武器を構えた兵士や聖騎士が幾人もいた。
「敵襲!」
しかし、遅い。
シュウは冥王にして死魔法の使い手。魔物の最強種だ。
人間が一呼吸する間に虐殺できる。
「
魔力の全てを掌握したシュウは、甲板にいた兵士や聖騎士を皆殺しにした。死魔法で簡単に殺せたので、この中には覚醒魔装士はいない。
「この程度か」
そう告げて《
シュウは沈みゆく船を確認することもなく、隣の船へと飛び移る。
そしてまた死魔法で片付けた。
虐殺の法。
冥府への送り道。
王の裁断。
あるいは終焉の畏怖。
冥王アークライトの力を表す言葉だ。
人に抗うことはできず、生きることも許されない。
あっという間に三隻が沈んだ。
(覚醒魔装士はどこだ……奴の力さえ消せば、《
シュウは四隻目を破壊するため、また船を飛び移った。
◆◆◆
軍船が沈められていることを知ったガランは、すぐに従騎士に命じて同僚であるラザードへと通信の魔装を繋げていた。魔力登録した人物に対して、どのような距離であっても言葉を伝えることのできる便利な魔装であり、ガランは従騎士として確保していたのだ。
「ではラザード様にお繋ぎいたします」
「うむ」
従騎士はガランに触れつつ、魔装を発動した。
そしてガランの意思とラザードの意思を繋ぎ合わせる。
「ガランだ。ラザード殿か?」
『……これはガラン殿でしたか。状況は分かりますか?』
「敵により船が三隻……今、四隻目が沈んだ。敵は恐らく強力な魔物だ。私が対処する」
『分かりました。囮ですね。頼みます』
「任せよ」
ラザードの魔装は魔力腕を生み出すというものだ。一方でガランは浮遊する建造物を生み出す。海上での選択肢という面で、どちらが有効的か判断できないわけがない。
二つ返事で了承したラザードに対し、ガランも安心した。
「では私は行く」
「ご武運を」
「無事にご帰還ください」
「勝利を信じております」
従騎士や聖騎士がガランを見送る。
最強の聖騎士に味方は要らない。彼らが出る時、それは人外の戦いとなる。仲間は邪魔にしかならない。ガランと肩を並べて戦うとすれば、同じ領域に立つ者だけだ。
甲板から飛び降りたガランは、足元に岩のキューブを生み出した。また周囲に同じ岩のキューブを大量に浮かべる。これから空中戦かつ海上戦を繰り広げるつもりなのだ。足場と予備の足場、そして疑似的な障害物を生み出すことで戦いを有利に進める基本戦術である。
「妖精郷を目指せ。私がアレを仕留めよう」
ガランは敵が数の通用しないレベルであることを理解していた。
(
その二つであれば、ガランに倒せる敵だ。
しかし甘い想定である。
人間の生活圏ではない領域において、魔物は未知の進化を遂げていることが多い。世で知られる凶悪な魔物は全て、外界から現れたのだ。そしてこの海上も、人の住む領域からは外れている。そのため、どんな凶悪な魔物が出現したとしても驚きはない。
未知の領域では、突如として世界を終わらせる
霧で覆われた世界。
正面から、白いカーテンを引き裂いて、死の魔物が姿を見せた。
◆◆◆
先に進むことを任されたラザードは、後ろ髪を引かれる思いで先を進んでいた。
船団は十五隻から十一隻に減らされ、原因と思われる魔物はガランが一人で抑えている。従騎士ミカは不安そうにしているラザードを後ろから支えた。
「心配しないでください。あの『浮城』様が身を挺してくださったのです」
「ああ。しかし……」
ラザードも人の世界から外れた領域の怖さを知っている。人間の生活圏は、あくまでも魔物によって支配されなかったから安全なのだ。僅かでもそこから外れると、太刀打ちできない凶悪な魔物が現れる。
船団を襲った魔物も人間の把握していない魔物かもしれない。
また襲ってくる魔物は一体だけではないかもしれない。
経験の浅いラザードは、様々な『かもしれない』で不安を感じてしまう。
『千手』の二つ名を与えられた優秀な魔装士である一方、その戦いは人間の命運を分けるほどのものであることが多い。敗北したが故に全滅、逃走したせいで街が壊滅、逃したことで国家崩壊……と、責任重大な戦場ばかりだ。
(……ここからは私の選択一つで人が死ぬ。私の弱さが人を殺す)
彼は深呼吸した。
そして気を張る。
既に愛用の魔剣は全てチェックした。準備は万全である。
「ここからは常時戦闘態勢を取る。ミカ、魔剣を」
「はい」
ミカの魔装により、異空間へと収納された魔剣が出現する。そしてラザードの魔手が全ての魔剣を掴み取った。
船団が妖精郷に辿り着くまで、あと僅か。
「見えたぞー! 島だ! 島だああああああ!」
霧の向こうで、巨大な影が姿を現した。
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