第133話 霧の対策
エリス帝国の帝都で偶然にも遭遇した『死神』と『若枝』。共に同じ組織の幹部であり、敵同士というわけでもない。『若枝』の案により、二人はカフェでお茶をすることになった。
「ここは私の店なの。好きなものを頼んでいいわ」
「適当なお茶で構わない」
「あら、そう」
ルキア商会という貴族女性向けの商品を扱う『若枝』は、カフェなどの貴族が集まる場を提供する商売にまで手を広げている。この店もその一つであり、二人が入ったのは最高級のもてなしをするために用意した個室だった。
店としても突然のオーナーの訪れに、張り切りつつも緊張しているように見える。
「そうね。これとこれ、あとお茶は最高のものを用意して」
「かしこまりました」
店員の男は下がっていく。
貴族女性に向けた店だけあって、店員のほとんどが美男子だった。シュウとしては落ち着かない。
そして落ち着かない理由は、シュウの服装にもあった。いつもの戦闘服ではなく、高級店に相応しい装いをしていた。ちなみにこの服も魔力で生み出しているので、着脱は一瞬である。また一時的に髪も短くしたので、いつもの不気味さは鳴りを潜めていた。
「似合うじゃない。今度からそんな服も着てみたら?」
「暗殺者が目立つ服を着てどうする」
「それもそうね。ふふ」
シュウは実に不本意そうだ。
しかしそんな恰好をしてまで『若枝』の誘いに応じたのは、ある理由があるからだ。
「確か貴族向けの商品を扱っていたな。石鹸はあるか?」
「勿論よ。最近は色々と開発して、髪専用の石鹸まであるわ。花の香り付きが一番の人気なのよ」
「それをあるだけ用意してくれ」
「どうしたの?」
「少し街から離れたところに住むことにしてな。体を清潔にするものを買いだめしておきたい」
「まぁいいわ。嘘にしろ、本当にしろ、大きな取引になるもの」
暗殺者であるシュウは確かに取引ができるだけの金を持っているだろうと『若枝』は予想する。しかしその用途が不明だった。
まさかアイリスのために買おうとしているとは思わない。
(離れ住むからには、色々買っておくか)
石鹸、服、布などの生活用品も必要になる。
そして『若枝』が運営する商会の商品は貴族向けなので、品質も保証されるだろう。『若枝』との遭遇は偶然だったが、シュウとしてはよい買い物だった。
「持ち運びはどうするのかしら?」
「収納の方法はある」
「あら、空間魔術? 完成していたの?」
「いや、収納に特化した魔導を使う魔物を使役しただけだ」
「便利ね……私もそんな魔物を探してみようかしら? どんな魔物?」
「ただで教えるつもりはない」
「いいわ。三割引きしてあげる」
「まぁ、妥当か。量が量だからな。後で召喚した時に見せてやる」
収納を担う影の精霊は、シュウが独自に生み出した。そのため、自然界に存在するかどうかは不明である。シュウから情報を貰ったところで、『若枝』は手に入れることなどできないだろう。見つけたところで、魔物は人間に従ったりしない。魔物にとって、人間とは多くの魔力を有する食料のような存在なのだ。魔物を従えることができるのは同じ魔物だけである。
「取引成立ね」
そう『若枝』は喜んだ。
「やっぱり私のものにならない? いい待遇で雇うわよ?」
「不要だ」
「残念ね」
ついでとばかりにシュウを勧誘するが、それに応じるわけがない。シュウは瞬時に断った。
だが『若枝』もこれで諦めるほど軟ではない。
王族や貴族を相手に商売する女は強い。
「私はこれでも顔が広いのよ。いい仕事も紹介できると思うのだけど」
「そういう問題じゃない」
「あら、どうすれば引き受けてくれるのかしら?」
「殺したい奴と報酬を出せ。それで『死神』の仕事はしてやる」
「そういうことではないのだけどねぇ」
シュウに応じるつもりはない。
それが分かり、『若枝』も今回の説得は諦めた。そこに丁度、『若枝』が注文したお菓子が届けられる。
(黒猫の幹部、何としても手に入れたいわね。薬を使ってみようかしら?)
分不相応にも、『若枝』はそんなことを考えてしまった。
◆◆◆
海を渡るエリス帝国軍と聖騎士たちは、遂に霧の領域へと踏み込んだ。
シュウの魔力で強化された霧の結界には迷いの効果が付与されている。そのため、普通では突破することができない。しかしエリス帝国の妖精伝説は一般に広がっており、霧への対策は既に取られていた。
「強大な魔力の源泉を探知しました」
「よくやった」
今回、エリス帝国軍には秘策があった。
それは魔力の流れを解析し、幻覚系の魔装や魔導の源を見つけ出す魔道具である。迷いの霧は妖精伝説の中にも登場しており、その研究をしている者たちがいた。その成果が魔道具として完成したのだ。その精度は高いと言えないが、何の手がかりもなく探すよりは建設的である。
方位磁針を見た指揮官である兵士長は航海士に命じた。
「西へ三十度、進行方向を改めよ」
彼らの操る船は帆船だ。風の向きや強さ、そして波によって曲がりやすさが変化する。しかし、魔術という特別な技術がそれを簡単にする。帆に向けて風魔術を発動することで、操船を楽にするのだ。魔力の関係上、常に魔術を使うわけにはいかない。それでも操舵の際に少し使うだけで随分と楽に船を操ることができる。
海に面した国家の知恵だった。
「西へ三十度! 完了いたしました!」
「うむ。目的地までどのくらいかかる?」
「はっ! 魔道具を見ている魔術師によりますと、一日もあれば。長くとも明後日には辿り着くだろうとのことです」
「思ったより近かったのだな。伝承では何十日も彷徨い、意識も朦朧とした時見つけたとなっていたが」
「直線距離にすればその程度だったのでしょうね。厄介な霧です」
「隠れ潜む妖精の島……我々は伝説を目にするのだな」
丁度、彼らが子供の頃はまだ大帝国の時代だった。つまり教会の制限がなく、妖精郷伝説はよく伝わっていた。妖精郷とは今でも子供心をくすぐる伝承なのだ。
他国からやってきた聖騎士には分からない感覚である。
まだ統一から十二年と少ししか経っていないこともあり、教会の司教や聖騎士は神聖グリニアなどから派遣された者しかいない。弟子として従う神官にはエリス帝国出身者も多いが、教会の運営が任されることはない。何故なら、完全な魔神教の教育に染まっていない変遷期の者に任せて教義が捻じ曲がることを恐れているからだ。
神聖グリニアではあまりないが、周辺国では異端が幾つも勢力を伸ばしている。解釈の方向性から現れる教派とは異なり、教義を都合よく捻じ曲げて耳あたりの良い別物として広める異端は危険だ。教派は結局のところ、同じ神を信仰する仲間となり得る。しかし、異端は自分を神の生まれ変わりとして宣言したり、魔装を有する自分たちは神に選ばれたのだから何をしても構わないと勘違いしたり、魔物を拡大解釈して罪人を全て魔に属すると定義してしまうようなものまである。
同じ船に乗るエリス帝国軍兵士と聖騎士では、同じ妖精郷の捜索でも感情に大きな隔たりがあった。
現に聖騎士たちは警戒を強めていた。
「ラザード様、早ければ一日以内に妖精郷を発見できるとお聞きしました」
「ありがとうミカ。そろそろか……」
「はい」
「念のため、魔剣の最終チェックをする。私の部屋まで来てくれ」
「かしこまりました」
ある聖騎士は武器のチェックをする。
魔術が施された武器は非常に整備が難しく、デリケートだ。小さな刀身の歪みで魔力場もひずみ、魔剣の効果が失われることもある。それを防ぐために剣を強化する付与も施されているのだが、絶対ではない。戦い前に魔剣をチェックする重要性は、通常の武器よりも重要なことである。
そして別の船では、もう一人のSランク聖騎士が船首で佇んでいた。
「……」
「ガラン・リーガルド様。一日中に、長ければ二日以内に妖精郷と思しき場所へと到達すると連絡がありました」
「そうか。また魔の巣窟を滅ぼす時だ」
ガランは百五十年を生きる覚醒魔装士だ。これまでに何度も魔物の巣を破壊した経験がある。特に覚醒魔装士が出動する程の魔物が相手の場合、相当な知恵を身に付けているため、配下を揃えて集団と化している場合が多い。魔物の巣の殲滅は慣れたものだった。
しかしガランの従騎士は違う。
不老の覚醒魔装士と異なり、従騎士たちは普通の人間なのだ。彼ほど魔物の巣を殲滅することに慣れておらず、どことなく不安な様子である。
「不安か?」
「は、はい。申し訳ありません」
「謝ることはない。まだお前は若いのだ。経験を積むと良い」
悠然とした態度のガランは自信に満ちていた。一方でまだ従騎士は若く、経験不足である。聖騎士として一人で戦っていくだけの力はないが、特別な魔装を有するために従騎士となるのが普通だ。しかし裏を返せば魔装に強い自信がないということである。彼の不安も当然だ。
しかしガランの力強い言葉を聞き、従騎士も納得した。
(この方について行けば問題はないんだ)
そう、勘違いしてしまった。
彼らの向かう妖精郷が、冥王のものであると知らなかったのだ。
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