第131話 魔装の究明


 シュウは妖精郷の端まで歩いてきた。

 そこは海で削られた断崖の絶壁。間違って落ちれば死ぬであろうほどの岸壁だ。



「シュウさん」

「ああ。少し集中する」



 アイリス、妖精、霊たちが見守る中、シュウは魔術を構築していた。球状に表面だけ記述された術式は順調に膨らみ、その内部は黒く染まる。

 そして球状魔術陣はシュウの真上を上昇していく。

 相対位置を固定しつつ、その距離を変化させる魔術だ。相対位置が固定されているので、シュウが移動しても球状魔術陣はシュウの真上で維持される。この維持が新魔術のポイントだった。



(移動魔術の応用……意外と難しいな)



 本来、移動魔術は物質の移動のためにある。しかし移動の概念を拡張すれば停止も可能だ。そもそも移動速度は必ず何かの基準を必要とする。速度ゼロの基準だ。

 どの状態を速度ゼロとして定義するかによって、計算式は変わる。

 たとえば星の自転や公転を考慮して地上での速度計算を行う場合、地上の物体には常に自転による移動と公転による移動が付与されていることになる。そのため、自転や公転の影響を受けないように速度の基準を設定するのだ。

 少し専門的な用語を使うとすれば、慣性系を定めるとも言える。

 つまりシュウそのものを慣性系の基準とすることで、常に移動魔術で速度ゼロを保つのだ。これにより、常にシュウの真上に魔術が待機していることになる。



「一応、完成か……?」

「見えなくなったのですよ」

「これで魔術が待機状態になった。俺が魔術を維持できなくなるか、俺が必要だと思えば解放されるってわけだ。封印術対策としては、取りあえずこの辺りか」

「あれで封印対策になるのですか?」

「物理的な封印なら、多分壊せる。それにこの魔術は保険だからな。基本は別の方法で壊す。この魔術は魔力すら使えないときの本当の切り札だ。もう一つ、物理的封印の対策用魔術は考えている。空間的な封印はどちらにせよ対処方法がないから後回しだ。後で何とかする」

「シュウさんにしては適当ですねー」

「俺も弱点は早急に潰しておきたいが……こればかりは仕方ない。対策できるまで引き籠っているわけにもいかないだろ」



 何でもできるわけではないので、ある程度の妥協は必要だ。

 それに滅多なことでシュウも封印されるつもりはない。



「私も行きたいです……」

「仕方ないだろ。今回は移動が多くなる」

「はぁ……なのですよ」



 シュウが大陸に戻る目的は金銭の交換だ。神聖グリニアが実質的に大陸を統治して以降、大陸で一般流通しているのは紙幣だ。かつて大帝国で用いられていた金貨や銀貨などの貨幣は全て鋳つぶされ、細工品に変えられている。

 紙幣は非常に便利だ。

 持ち運びも、数えるのも、作るのも簡単である。偽造しやすいという弱点こそあるが、そこは偽造の難しいデザインなどで対策する。

 しかし紙幣の価値は国家の価値と直結している。そのため、神聖グリニアの支配が終われば、紙幣には何の価値もなくなるのだ。シュウやアイリスのように国家よりも長生きする存在からすれば、紙幣ほど不安な金銭はない。

 そこでシュウは手持ちの紙幣を現物に変えることにした。

 金塊、宝石のような価値の変わらないものに変換する。今回の目的はそれである。流石に一か所に留まって仕入れるのは難しいので、各地を回ることにした。

 また幸いにもエリス帝国フリベルシュタイン領は宝石の産地として有名だ。安く、質の良い宝石を手に入れることができる。以前にフリベルシュタイン家当主の暗殺を宝石剣の魔物に任せたまま放置したので、その結果を確かめるつもりでもあった。



「じゃあ、行ってくる」

「早く戻ってきてほしいのですよ!」

「分かった」



 シュウは霧の空へと飛び立った。







 ◆◆◆








 妖精郷に残ったアイリスだが、非常に暇だった。

 一応シュウから宿題は言い渡されている。それは魔装の研究である。



(私の魔装の応用……どうしたらいいのかサッパリなのですよー)



 アイリスは大樹神殿へと戻り、一人で唸っていた。それもそのはずである。彼女の魔装は不老不死。何をどう応用すればいいのか分からないのだ。

 少なくとも、アイリスはこの魔装に何度も助けられている。そのため、応用方法がなかったとしても困ることはなく、感謝を捨てることもない。

 だが、シュウはそれを良しとしなかった。

 故にアイリスに命じたのである。



「アイリス様、本当に宜しいのですか?」

「大丈夫なのですよ!」



 そこでアイリスはアレリアンヌに頼みごとをした。



「では……」



 アレリアンヌは自身が寄生する大樹に命じて枝を伸ばした。鋭く尖った枝の先端が勢いよくアイリスへと向かって行く。そのまま貫くかに思えたが、枝は僅かにアイリスの腕を掠るだけだった。

 それでも血が滲み、その傷口から流れ出る。

 アイリスは僅かに痛みで表情を変えたが、それもすぐに戻った。傷が瞬時に修復されたのである。



「これがアイリス様の魔装……」

「魔力が続く限り死なないのですよ!」

「これは驚きました」



 アレリアンヌも一種の不死性を有している。

 神樹妖精セラフ・ドライアドは妖精郷を支える大樹……あるいは神樹ともいうべきものに寄生している。そしてこの大樹が消えない限り、アレリアンヌも死なない。魔力のほぼ全てを大樹へと注ぎ込んでいるので、アレリアンヌ本体は弱いし魔力も低い。その代わり、アレリアンヌ本体がやられても大樹が自動的にアレリアンヌを再構築する。限定的だが不死性を備えていた。

 彼女は美女の姿も神樹の姿も共に本当の体なのである。



「ではアイリス様、ご覚悟を」

「お願いするのですよ!」



 無茶な修行ではある。

 何度も攻撃を受けて回復し、不老不死の魔装についてその特性を理解しようとしたのだ。勿論、こんな修行をするなどとシュウには言っていない。

 だがアイリスはこれ以上の無茶をシュウがやって来たということを知っている。いつまでも大人しく守られているつもりはなかった。

 このままシュウに守られるだけでは、ただの愛玩人形と同じである。

 アイリスが目指すのはシュウの相棒だ。



「まだまだなのです」

「では少し速度を上げます」



 この後、部屋が血で真っ赤に染まったのは言うまでもない。そしてシュウへの言い訳にアイリスは悩んだのだった。






 ◆◆◆







 霧の中を飛ぶシュウは、真っ直ぐ北東を目指していた。フリベルシュタイン領へと真っ直ぐ向かう方向である。

 今や妖精郷の大樹は霧の結界を維持し、広範囲に迷いの霧を放っている。しかし妖精郷の主となったシュウに霧は効かない。大樹が自動的に判別してシュウを迷わせないようにしているからだ。しかし霧は健在であるため、物理的に方向音痴ならば意味がない。その点でアイリスを一人で妖精郷から出すことはない。



(海の下にはあまり魔力がないな)



 空を飛びながら、シュウはそんなことを考える。

 世界には魔力が流れ続け、その魔力が偶然か意図的かで一か所に集まると魔物として誕生することがある。しかし海の中はあまり魔力が集まらない。基本的に魔力は空中を流れており、液体や固体に留まることが少ない。しかしそれは物質としての問題ではなく、魔力の性質によるものだ。

 魔力は思念を伝達する物質かつエネルギーである。

 つまり強い思念の多い地上でこそ多く留まるのだ。

 動物、鳥、魚、まして無機物と比較すれば人間は莫大な思念を有する。その人間の思念に反応して魔力は地上に留まり、魔物が生まれる。その魔物の思念も魔力を呼ぶ。

 こうした循環があるため、海の中は地上に比べて魔力が少ない。



(だが海の中にはかなり大きな魔力が稀に見えるな。天敵がいないからじっくりゆっくり育ったって訳か)



 尤も、海には大した野心はない。

 暇があれば海中資源を確保するかもしれないが、今は進出の予定もない。それに妖精郷は広大な海という一種の壁によって守られている。下手に手を出して、海の主に目を付けられても厄介だ。シュウの感知範囲にはいないが、海を支配する『王』の魔物がいても不思議ではない。



(だが、候補地ではあるな。空か、深海か……結界魔術を考えておかないと)



 妖精郷もいずれは見つかるとシュウは考えている。人間の欲に限りはなく、欲のために創意工夫を凝らす種族だ。それがどのような欲であれ、シュウにとっては迷惑極まりない。霧の結界に阻まれた妖精郷へと辿り着く手段など、あっという間に開発してしまうだろう。

 シュウは既にその対策について練っていた。

 妖精郷を丸ごと天空へと打ち上げるか、結界で囲って深海に沈めるかである。その場合は移動のために転移魔術か結界魔術が必須となるので、まだ現実的とは言えないが。

 何をするにしても空間魔術が欲しい。

 そんなことを考えている内に、霧を抜けた。






 ◆◆◆





 妖精郷征伐を掲げたエリス帝国と魔神教の合同軍は、遂に出航の時を迎えていた。猛々しく太鼓と笛が鳴らされ、激しく旗が振られる。

 海岸に集合した全員が船に乗って妖精郷を目指すわけではなく、一部の部隊は陣地の維持のため帰還まで海岸線に残ることになっている。いざ帰ってきたとき、海岸が魔物の巣になっていたら目も当てられない事態となるからだ。

 特に物資を使い尽くしているであろうと予想される帰還時に、帰還場所が失われているのは痛い。



「もう陸があんな遠くに……。船とは凄いですね」

「ああ。私も初めてだ。とても興味深いな」



 船尾から陸を眺める聖騎士ラザードと従騎士ミカは、共に感嘆していた。二人は船に乗るのが初めてであり、当然ながら海を渡るのも初めてである。

 人間社会は大陸で完結しているので、船に乗ることは滅多にない。

 海岸線の漁師たちか、橋を架けるのが難しい幅の広い川でのみ船は使われる。二人のように船に乗ったことのない者は多いのだ。そのため操船技術も一般的ではなく、この軍船を操る航海士がいなくなれば海の上で立ち往生することになる。海上で魔物に襲われた場合、何よりも優先して船と航海士を守らなければならない。普段とは異なる立ち回りを求められる。



「ラザード様、あれは何でしょう」



 ミカが指差したのは、甲板から海側へと棒を差し向けている航海士の姿だった。重労働である航海士の仕事はシフト制によって管理されており、ミカが気になったのは休憩中の航海士たちである。

 突き出された棒の先からは糸が垂らされていた。

 それを見てラザードはすぐに理解する。



「あれは釣りだ。食料は持ち込んでいるが、保存食は貴重だからな。自給自足のため、魚を釣ろうとしているのだろう」

「釣りですか……? あのようなもので魚が……普通は網で獲るものではないでしょうか」

「ミカは投網漁しか知らないのか? 確かに網が一般的だが、釣りという方法もある。それにあの航海士たちは休憩中のようだ。釣りも趣味の一環なのだろう。網で獲るとなると、それは労働になってしまう」

「なるほど。そういうことでしたか」



 十五隻の軍船が隊列を組んで並ぶ今、脅威はほとんどない。合計三百人のエリス帝国兵士と、各船に最低一人の聖騎士という贅沢な守りだ。

 ラザードもミカも暇なのである。



(そういえばガラン殿も航海中ぐらいは気を抜けと言っておられたな)



 油断とリラックスは似て非なるものだ。

 ラザードにはその違いをよく理解できているし、油断するつもりもない。



「釣りの様子を見てみよう。面白そうなら、やってみるのも良いかもしれない」

「はい。ありがとうございます」

「気にしなくていい。大まかな感知だが、海中には魔物もいないようだ」



 その後、甲板で釣りをする聖騎士という珍しい光景が見られた。





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