第130話 妖精郷討伐令
神聖グリニアのマギア大聖堂では司教たちと教皇が難しい顔で円卓に並んでいた。そして現教皇は着任して二年目となる。そして彼にとっては初めての難関だった。
「また冥王が……十年は姿を消していたはずですが」
「どうやら意図的に姿を隠していたようですね。知恵のある魔物……厄介です」
「あの冥王を相手に聖騎士ラザードだけで挑むのは無謀でしょう。かつて聖騎士アロマは命懸けで『王』を封印しました。封印するとしても、覚醒した聖騎士が命を懸けなければならないというのは割に合いませんね」
「しかしどうする? 放置というわけにもいかん」
冥王は魔神教に対して直接的な被害を与えている。それはラムザ王国の王都を消滅させ、Sランク聖騎士セルスターを殺害したことだ。更には仮想敵国だったとはいえ、大陸の半分を支配したスバロキア大帝国の壊滅に一役を買っている。
魔神教としては絶対に倒さなければならない敵なのだ。
しかしそう望んで倒せるなら苦労はしない。冥王アークライトは
「不死王は西の僻地で引きこもっている、緋王は封印した。やはり目下の問題は冥王。奴め……いつも面倒を起こしてくれる!」
「そう言うものではありませんよ。これもエル・マギア神の試練なのです」
「しかしなぁ……厄介なことは確かだ。少なくともラザードだけで対応できる問題ではない。援護役にもう一人は送るべきだろう。せめて冥王の居場所は知っておきたい」
「余計なことはするべきではありません。下手に手を出せば、また国が滅びますよ!」
「何を言う。既に大きな被害が出ている。早急に対処しなければ教会そのものの威光が疑われるぞ」
人間にとって『王』の魔物とは天災だ。
しかし魔物の殲滅を謳う魔神教が、被害が怖いからといって魔物を放置するようでは存在意義が疑われてしまう。少なくとも何かしらのポーズは取らなければならない。
問題はその加減だ。
どこまでが冥王の逆鱗に触れることのない範囲なのか、彼らは知らない。
「……分かった。『浮城』を送る。彼ならば移動も早い」
教皇の一声で全てが決定する。
異論を唱える司教はいなかった。
◆◆◆
エリス帝国には異常とも言うべき事態が起こっていた。
それは皇帝による妖精討伐命令である。
「陛下のお言葉を賜る。傾聴せよ」
宮殿の前の広場に三百もの帝国軍人が並んでいた。彼らは全員が魔装士、あるいは魔術師である。エリス帝国が保有する侵略部隊だ。
現在、スラダ大陸は教会の管理の下、平和が保たれている。そのため侵略戦争など許されない。そのため各国が保有する軍は、実質上の警備隊だった。
しかしそうでない国もある。
名目上は国防軍だが、侵略を目的とした運用をする専門部隊を揃えている国は少なくない。特に西側の旧帝国の影響下にあった地域はその傾向があった。
宮殿のテラスに皇帝アレスが現れた。
「聞け、エリス帝国の勇士たち。我が国に邪悪な魔物が紛れ込んだ」
アレスは堂々と、力強く語る。
声は魔術で拡散され、広く響いていた。
「敵は妖精だ。滅ぼし尽くせ。正義は我にあり!」
拳を天に掲げるアレスは、まさに強い皇帝だ。
大陸西側の文化を象徴するかのようなその姿に、兵士たちは歓声をあげる。
魔物は敵。
つまり妖精も敵だ。
そしてこの地域には妖精が住まうといわれる妖精郷の伝説もある。見つければ永劫の幸福が約束されるという曖昧な噂が、彼らをより奮い立たせていた。
ある者は莫大な財を、ある者は万病の薬を、ある者は最高の権力を、ある者は女を、ある者は永遠の命を求めて妖精郷を目指す。幸福が約束されるという実に曖昧な伝承が捻じれた結果だ。しかしヤル気の起爆剤としては充分だった。
何より、魔物の殲滅は魔神教のお墨付きだ。
正義という甘美に満ちた響き。
これが兵士たちを酔わせる。
「進め!」
皇帝の号令と共に、三百人もの兵士が規律正しく出陣した。
◆◆◆
エリス帝国軍が出陣して数日が経った頃、宮殿では皇妃エリスが報告を聞いていた。
「軍が海岸線に陣を敷きました。現在は船の準備をしているそうです」
「そう。教会は?」
「手を貸してくださると聞いています。聖騎士の中でも格別の方々が来られるとか。それに神聖グリニアからも援軍が来られると噂になっています」
「数は?」
「申し訳ございません。そこまでは……しかし十名もいないと思われます」
「それなら問題にならないわね」
皇妃エリスは、『若枝』が調合した魅惑の香水を利用して皇帝を誑かした。半ば洗脳にも似た効果が及び、妖精郷を探すために軍を出すまでにした。
ここまではエリスの計画通りである。
幸運を呼ぶ妖精を手に入れるための、愚かな計画だ。
「聖騎士の目を欺ける者を用意したのでしょうね?」
「抜かりありません。陛下が用意してくださりました。殿下、一番の問題は妖精郷の発見です。幾つかの伝承こそ残っていますが、探しに出た冒険家が発見に至ったという話は聞きません」
エリスの策は簡単だ。
国家権力で妖精郷を探し出し、同時に大義名分によって教会の戦力を借りる。そして妖精郷殲滅作戦を装い、密かに軍へと潜ませた者に妖精を奪取させる。
単純だが、効果的だ。
難関である妖精郷発見さえ乗り越えてしまえば、成功はほぼ確実である。殲滅戦が行われるとして、聖騎士は全ての兵士をチェックする余裕はないだろう。
「そういえば」
ソファに深く背を預けつつ、エリスは話題を変える。
「冥王とかいう恐ろしい魔物が近くで見つかったそうね? 教会は何をしているのかしら」
「海岸線の傭兵団や貴族の私兵が一掃され、戦力を失った領地では魔物の被害が増加したようです」
「それで冥王はどこへ行ったの?」
「いえ……それが冥王を目撃した者はいません。海岸線を破壊した跡が冥王固有の術によるものだと判明し、そこから冥王の仕業だと推察されているに過ぎないのです」
「そうだったのね」
「そして教会の対応ですが、調査にSランク聖騎士を送ってくださるとのことでした」
「妥当なところね」
「はい」
エリスはまだ妖精郷と冥王の関係性を知らない。
そして永久に知ることがない。
◆◆◆
大陸南西部の海岸にエリス帝国の旗が並んでいた。
そして少し離れた海上には大型の船が並ぶ。国家事業で建造した軍用木造船である。海に隣接した国家だけあって、海洋資源の発掘にも熱心だ。そのため造船技術はそれなりに保有している。頑丈な軍用の大型船の建造ノウハウもあった。
「これは壮観ですね」
「ラザード殿は戦艦は初めてか?」
「はい」
そそり立った崖の上に二人の男がいた。
聖騎士制服を纏ったその二人こそ魔神教の最強戦力、『千手』のラザードと『浮城』のガランである。そしてラザードから見てガランは同僚にして先輩だ。ラザードは敬意を払い、普段より丁寧な話し方を心掛けている。
「しかしガラン殿からすればあれほどの戦艦も大したものではないでしょう? 空を飛ぶ城を召喚できる方ですから」
「ふむ。それもそうだが、船旅はまた違った味があるものだ」
「此度の出航も任務でなければ楽しめるのですが……」
「楽しめばよい。常に気を張る必要もなかろう。戦闘と同じだ。敵に呼吸を読ませず、こちらが気を休めている瞬間を悟らせない。なおかつ、敵の気を読む。これぞ戦闘の真理だ」
「はい」
「尤も、休む間もない剣戟を操るラザード殿には無縁の話か。ははははは」
ガランは冥王の調査のため、形だけの援軍としてエリス帝国に出向した。だがそこで妖精郷殲滅作戦が丁度実行されることになり、流れでガランも参加することになった。
人間は冥王と妖精郷の繋がりを知らない。
シュウは冥王の存在を示唆することで教会を大人しくしようとしたが、それとは別の国家としての動きによって妖精郷殲滅が決行されてしまったのだ。ただ、その裏に妖精捕獲という愚かな皇妃の策略があるのも確かで、黒猫の幹部『若枝』が一役買っているという不運によってシュウの細工も無に帰したが。
「ラザード様! ガラン様!」
叫びながら走り寄る一人の従騎士に二人は振り返る。
「ミカか」
「はい。出航の日取りが確定しました。六日後です」
「そうか。わざわざありがとう」
「いえ! この程度は従騎士として当然です」
それだけ伝えて、ミカは一礼してから走り去る。
去っていく彼女の背が小さくなったところでガランは呟く。
「確か彼女が婚約者だったか?」
「はい。今回の旅が終わって神聖グリニアに戻った時に結婚しようと考えています」
「そうか」
覚醒した魔装士は老いることのない体となる。つまり覚醒していないミカと結婚したところで、いずれは別れることになるのだ。
だが、それでもラザードは数十年を共にする決意をした。
いずれくる大きな悲しみを覚悟して。
ガランはその覚悟を見せたラザードに敬意を示す。覚醒魔装士は不老であるため、家庭を築くことは滅多にない。大切な者、あるいは家族が先に死ぬと分かっているからだ。
「式には是非とも呼んでもらいたい」
「ええ、勿論です」
何に挑もうとしているかも知らない二人は、海の向こうの水平線に妖精郷を幻視していた。
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