第125話 時間魔術


 ジュード・レイヴァンはスバロキア大帝国の元貴族である。

 彼は子供に恵まれず、結婚して五年後にようやく長男を得た。そして長男が充分に大人となって結婚した時、ジュードは家督を譲って隠居することに決めた。

 隠居して二年後、思いがけずまた子供を授かった。

 それがルト・レイヴァンだった。



(ルト、ようやく仇を取れる……)



 歳を取ってから得た、眼に入れても痛くないほど可愛い娘。

 彼にとってルトは生き甲斐のようなものだった。

 魔装士となってからは毎日心配もしていたが、誇らしくもあった。

 だが、ルトは『死神』にして冥王であるシュウ・アークライトに殺された。それはジュードにとって発狂するほどの悲しみとなる。そして彼は復讐のために余生を使うと決めた。

 隠居してから趣味となった自然科学や魔術の研究を続け、『死神』を殺すために情報を集め続けた。隠居したことで帝都から離れていたこともあり、ジュードは大帝国崩壊の巻き添えからも免れる。これは彼にとって運命のように思えた。

 ジュードは娘の復讐のために研究していたが、息子、孫、そして滅びた大帝国のためにも復讐を考えるようになったのだ。



(……これほどの準備をしても、儂の魔力ではギリギリか)



 彼の研究室は、部屋そのものが魔術儀式場だ。

 部屋全体に様々な魔術陣が仕込んである。それらによって時間遡行の魔術を発動させた。シュウほどの魔力を持つ存在に対して時間の巻き戻しは難しい。またシュウ自身に魔術をかけた場合、死魔法によって術式ごと魔力を消されてしまう。

 そこでジュードは過去という世界に魔術を発動させることを考えた。

 シュウ・アークライトという雑種ウィード級の幽霊ゴーストが誕生した瞬間まで過去を遡り、その環境情報を魔術陣に入れた。つまり過去の、弱かったシュウに対して精神遡行を実行したのだ。

 長い時間を遡るのは非現実的であり、また魔力量の観点でも難がある。

 しかし誕生してすぐの幽霊ゴーストに小さな精神状態遡行を仕掛けるだけなら何とかなる。



「貴様がこの部屋に入った瞬間から、過去の情報を得るための魔術演算式は始まっていたのだ。まもなく、貴様は生まれる前の精神へと戻るだろう」

「精神に干渉する術か。その割には俺の記憶は健在だが?」

「当然だ。儂の魔術は貴様の過去に干渉しておる。貴様の現在の記憶は関係ない。だが、過去で発動しようとしている儂の魔術が完成すれば記憶などまとめて消え去るのだ」

「なるほど」



 シュウは納得して周囲を見渡す。

 この部屋が一つの魔術儀式場であることは分かっているが、あくまでもシュウの過去の情報を探るための儀式場だ。精神状態遡行の魔術は既に過去で発動準備段階である。目視はできないが、おそらくは魔術陣を形成している段階なのだろう。

 過去そのものに干渉できないシュウでは手の施しようがない。



(死魔力を使えば時間軸もぶち抜けるか? だがミスって俺の過去そのものを消し去っては意味がない。俺の過去が消滅すれば、今の俺も消える)



 終焉アポカリプス級の強さへ至ったシュウは、ほとんど無敵だ。殺す方法など限られてくる。

 その限られた手段の一つを、ジュードは見事に突いてみせた。

 復讐の心がもたらしたとはいえ、冥王のことを研究し尽くしたのだろう。全財産すら投じて倒す方法を構築したに違いない。そしてこの部屋へと誘い出すまで、憎しみを完全に隠して人の好い老人を演じてみせた。驚くべき意思の力である。



「終わりだ冥王」



 魔力を使い果たしたジュードはゆっくりとそう告げる。

 息を切らし、額からは汗を流していた。

 いかに冥王でも成す術がないと踏んだ彼の予想は正しく、シュウは精神状態遡行の魔術にかかった。たった今、過去のシュウに対して魔術が発動する。

 シュウは頭の中に幾つもフラッシュが瞬くような感覚に襲われ、倒れた。





………………

…………

……





 灰色の空。


 地上には崩れたビル群。そして多数の兵器。


 巨大な物体が埋め尽くし、爆炎が降り注ぐ。


 地上からは連続して光が飛ぶが、それらは全て撃ち落とされた。


 やがて地上が不可思議な紋様に包まれる。


 その後、瞬時に大爆発が起こった。元から崩れていたビル群は完全に消滅し、密集していた兵器は搭載している火薬に引火して爆散する。


 人間が生き残れるはずもなかった。





………………

…………

……





 男の前には群衆が詰め寄っている。


 そして群衆はひたすら男を責め立てていた。


 水、食べ物、衣服、住処、そして何よりも安全。群衆は男にそれらを求める。


 だが、男は言い訳することしかできなかった。


 計画を進めている。


 男は最後までそう言い続けた。






………………

…………

……





 様々な機器が置かれた白い部屋。


 いや、病室。


 ベッドの側には群衆から責め立てられていた男の姿があった。


 男は涙を流し、頷く。


 そしてすぐにどこかへと電話を掛けた。





………………

…………

……



 どうしてだ。


 なぜ『敵』はここまで来た?


 胸が苦しい。


 心が苦しい。


 だが、それも今日で終わる。


 ボロボロの肉体は捨て去り、生まれ変わる。


 命を懸け、いや賭けて反撃の一手になってみせる。『敵』を滅ぼすために決めた。


 もう少し。


 あと僅かな時があれば。『敵』が『ここ』を発見するのがもう少し遅ければ―――





………………

…………

……





「『――成功したかもしれないのに』……か」



 シュウはそんなことを呟き、倒れていた自身を起こす。

 一方でジュードは尻餅をついてワナワナと震えつつ指差す。その表情は驚愕であり、あり得ないものを見たかのようだった。



「馬鹿な……儂の、儂の魔術が失敗した……ごふっ! ごほっ!」

「いや、成功したよ」

「儂には感じ取れた! 過去で発動した魔術陣が急に書き換わったのだ! いや、書き加えられた……儂の生命力を強制的に吸い取って……ごほっごほっ……」



 ジュードは精神状態遡行の魔術に対し、ほとんどの魔力を費やした。精神状態遡行の魔術によって生まれる前になったシュウという魔物は、魔力を維持できずに四散するはずだったのだ。つまりシュウは過去という世界で殺され、その結果として現在のシュウも死ぬはずだった。

 しかし過去で形成された魔術陣は、ジュードの意思に反して追加の術式が構築された。

 しかも強制的にジュードの魔力を吸い取り、更に足りない分は生命力から補って。

 元から老体だったジュードでは、生命力をほぼ全て使い切ることになってしまう。

 もはや死に体だった。



「はぁ……ぐ……おの、れ……冥王おおおおおおおおおっ!」



 最後にそう叫び、ジュードは力尽きた。そして体が崩れ、塵となって消えていく。衣服だけが残り、ペタンと潰れた。

 一方でシュウもかなり疲弊している。

 それには理由があった。



「まさか、こんな魔術のお蔭で前世の記憶が完全に戻るとはな……」



 圧倒的な情報量により、シュウは疲れ果てていたのだ。

 シュウが幽霊ゴーストとして誕生した瞬間、その精神が形成されたわけではない。シュウには生まれる前の精神が残っている。

 つまり前世、高光たかみつおさむとしての記憶だ。その精神性はかなり薄れ、記憶もほとんどない。しかし精神状態遡行の魔術により、それらが一気に回復した。



「全部思い出した。不本意だが、ジュードのお蔭か……」



 本来ならば精神状態が無となり、魔力が霧散して消滅するハズだった。

 しかしシュウには魔物として誕生する以前の状態が存在する。つまり精神状態が過去の段階で戻され、シュウは魔物として誕生したと同時に前世の全てを思い出したということになった。

 つまり前世をほとんど覚えていなかったという過去が、全てを思い出して転生したという過去に置き換わったのである。結果として現在のシュウも全てを覚えていることになった。

 過去の改変に伴う現在の改変である。



「ジュード先生! 先生! どうなさいましたか!」



 激しく扉を叩き、呼びかける声がする。

 流石にあれだけ騒ぎを起こせば、外にも気付かれてしまう。まして塔の管理人であるジュードの研究室なのだ。あまり他人に興味を示さない魔術師たちですら、気を使ってこうして呼びかけていた。

 しかしシュウからすれば面倒な事態である。

 精神的な疲労もあって、あまり戦いたい気分ではない。



「先生! 入りますよ」



 しかし面倒だとも言っていられない。

 扉を開いて入ってきた魔術師を、シュウは死魔法で片付けた。そして倒れた魔術師を蹴り飛ばし、おぼつかない足取りで部屋から出る。

 揺れる船から降りた後のような感覚であり、頭もフラフラする。

 シュウの思考回路が魔力によって形成されていなければショック死していたかもしれない。それほどの情報量だったのだ。なにせ、シュウの前世の記憶を一瞬に凝縮して思い出したのだから。



(さっさと帰って休みたい)



 ジュードの研究室から出たシュウは、目に映る人間を瞬時に殺す。全て死魔法で片付け、一切の目撃者を消した。

 そして塔の地下にいる魔術師を殺し尽くした後、壁にもたれかかって座った。



「召喚、資料を集めろ」



 シュウは魔術で影の精霊を呼び出す。影の精霊は独自の影空間を有しており、そこにかなりのものを収納できる。今のシュウには資料を判別する気力もないので、とにかく全てを持ち去ることにしたのだ。その仕事は影の精霊に任せ、シュウは休息である。

 確かに『鷹目』に嵌められたが、何も得ずに帰るのは気が進まないのだ。

 そして休む合間に思い出した記憶を整理する。



(ふん。まさか前世で命を懸けたのに、失敗してこんな異世界に生まれ変わるなんてな。だがこうなったってことは、あの世界は……)



 前世のシュウは病により、死が確定していた。

 だが、死が確定しているからこそ賭けに出た。命を対価に、望みを叶えようとしたのだ。全てを思い出したシュウにはその記憶がある。



(今更、この記憶に何の意味があるんだかな)



 ここはまるで別世界だ。

 もはや転生に意味はない。



「帰るか。今の生きる理由は、アイリスだ」



 資料を丸呑みした影の精霊が戻ってきたのを見計らい、シュウも霊体化して塔を脱出した。








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