第124話 後悔と復讐


「それで、君の名前は何というのかね?」

「シュウだ。魔術師シュウ」

「どんな研究をしているのかな?」

「今は空間魔術を応用した結界術、それと空間転移だ」

「中々難しいテーマに挑戦しておるではないか。若いわりに野心的よの」



 老人は階段をゆっくり降りながら、シュウに話しかける。

 そしてシュウはボロを出さないようにしつつ、表向きの経歴や話して良い情報だけを口にしていた。



「おお、そうじゃ。儂の自己紹介を忘れていたの。皆、儂のことをよく知ってくれておるから自己紹介など久しぶりでな」

「それは無知の新人で悪かった」

「いやいや。謝ることはない。挨拶は礼の基本。儂はジュードという者でな。塔の魔術師でもあるが、ここの管理も任されておる」



 ジュードは高価な衣服を着ているだけあって、塔を管理するほどの者だった。シュウは多少驚くが、予想していたことなので態度には見せない。



「しかしシュウとやら。難しいテーマに挑んでおるようだが、成果はあるかな?」

「空間を飛び越える方法は幾つか思いついている。だが、それを魔術式として記述するのは難しいな。既存を越えた新しい概念が必要だと思っている」

「ほう。なるほど。しかしアイデアは充分のようだな。良いことだ」

「手法は紙とペンだけあれば考えつく」

「それができる者は少ないのだ。嘆かわしいことだがな」



 魔術師の魔術開発は実験が中心だ。

 それも魔術の原理が原因である。魔力に思念を伝えることで世界に事象を具現化するのが一般的な魔術なのだ。シュウのように意図的に魔術陣を描く方が異端なのである。普通の魔術師は自分のイメージ通りの魔術が完成するまで、実験を繰り返すのだ。

 ジュードとしてはシュウのように紙とペンだけで理論構築するのが珍しくもあり、先進的であると考えていた。



「儂は魔術という技術は曖昧なものではないと考えておる。現に魔術陣には決まったパターンがあると報告されているのだ。四属性魔術の魔術陣をよく観察し、似たパターンが多くみられることが最近になって分かったのだよ」

「そうか」

「どうやら、シュウは儂寄りの魔術師らしい。ますます、儂の研究室に招き入れる甲斐があるというもの」



 髭を触り続けるジュードは実に嬉しそうだ。

 シュウに関わるのは、怪しんだからではなく喜んでいるからなのだ。軽快な笑い声をあげていた。シュウには裏があるように見えなかった。

 塔の管理人であるジュードと擦れ違う魔術師は全員、一礼してから通り過ぎる。同時に機嫌良さそうなジュードを見て驚いていたが。



「是非とも、君のような魔術師に儂の研究室を見て欲しい。儂の、時間魔術の研究をな」







 ◆◆◆






 塔の一階に降りたシュウは小さく首を傾げていた。

 ジュードは塔の柱の一つに手を当てていた。そして軽く魔力を流すと柱の表面がパズルのように変化し、人が通れるほどの穴になる。



「驚いているようだな。ここは一部の魔術師しか入れん地下への道だよ」

「どうして一部しか入れないんだ?」

「軍事機密級の研究でな。特に皇室の命令で進めておる研究が多い。儂の時間魔術もその一つ。一筋縄ではいかんテーマばかりよ」



 宮殿の中にある魔術研究所であっても、機密は存在する。

 シュウが探しても見つからなかった軍事機密の研究所は塔の地下にあった。



「まさか、こんな場所がな」

「機密は隠して当然。特に各国は教会から研究所を隠すようになった。教会はあらゆる技術の提出を求めておる。だが、国家としての有利性を得るためにはこのような最先端の研究所が必要なのだ」

「それもそうか」



 柱の内部に隠されていた階段はかなり狭い。一人でギリギリの幅だ。半身にすれば擦れ違うことはできるかもしれない。また魔術の明かりが灯されているものの、かなり暗い。年老いたジュードでは足を踏み外してしまうかもしれない危険な地下への道である。



「エレベータでもあれば便利なのにな」



 シュウは思わずそう漏らしてしまった。

 それを耳に留めたジュードは反射的に聞き返す。



「ほう? エレベータとはなんだね?」

「箱を上下に移動させることで人間や荷物を運ぶ大型装置だ。箱の移動方法は色々あるが、魔術を使えば簡単に解決できる」

「老体には嬉しい魔術よの。開発してみるのも良いか」



 狭い階段を降りると、一気に光が飛び込んできた。 

 地下とは思えない広大な空間が広がっていたのである。塔の上のように幾つもの研究室の他、実験室が用意されている。更にはシュウの探していた第一書庫、第二書庫もここにあった。

 ジュードはそれぞれの施設の説明をする。



「ここの研究室は全部で六つ、そして実験設備が三か所、書庫が二つ。その内の一つが儂の研究室というわけだな」

「他の研究室は?」

「空間魔術の研究室が二つ、それと禁呪の解析が一つ、陰魔術の開発が一つ、そして魔物の魔導を魔術に転用する研究が一つ、最後が儂の時間魔術の研究だよ」

「空間魔術の研究が二つか」

「転移の研究室と、亜空間作製の研究室の二つだよ。とはいえ、成果は芳しくないようだ」

「そうなのか?」

「実験室レベルでも成功した試しはないと聞いておるよ」



 塔の管理人たるジュードに語られた内容ならば、嘘ではないだろう。少なくともシュウが求めるレベルには至っていないのだ。



「儂の研究室はここだよ」



 ジュードは扉の一つの前まで移動し、指し示した。扉のプレートには『ジュード』としか記されていないため、貴族ではないと推察できる。大帝国の影響が強いこともあり、平民でも充分に成り上がれるシステムができあがっている。

 扉を開くジュードは、慣れた手つきで壁を探る。

 そして部屋の明かりを付けた。



「助手はいないのか?」

「儂の概念を真に理解できる者はおらんよ」



 次々と明かりを付けて行き、部屋全体が明るくなる。

 そしてシュウが見回してみると、壁には大量の紙が貼ってある。それらにはみっちりと図や数式が記されていた。魔術式ではなく、数式だ。

 ジュードは自然科学の研究をしていた。



「時間という概念は難しい。しかし絶対的なもの。儂はそれを自在にコントロールする術を考えてきた」



 そしてジュードは一枚の紙を手にして、シュウに渡す。

 シュウが読んでみると、未成熟ながら座標の概念によって空間と時間を記述していた。自然科学の発達において、座標の概念は非常に重要である。空間を示すのは勿論だが、時間の流れすら記述することができるのだ。これがなくては数式を完成させることはできない。



「儂は考えた。過去とは何だね? シュウはどう思うかな?」

「どう、とは?」

「君は時間を遡り、過去を変えることはできると思うかね?」

「不可能だ」

「その理由は?」

「過去を認識することはできない。魔術で過去を変えるには、過去の時間の環境を把握しなければならない。つまり魔術の発動に重要な環境情報の入力ができない。だから不可能だ。魔術によって変化させることができるのは現在だけだ。あるいは少し先の未来だな」

「ははははは。儂と同じ意見よの」



 同じく自然科学による数式からの魔術式構築を心掛けているからこその意見だ。環境情報のない過去や未来で魔術を発動させることはできない。それが二人の共通意見である。

 だが、ジュードはもう一つの紙を渡した。



「これは……?」

「儂の考えている理論の概要だよ」

「過去を遡り、環境情報を算出する魔術か」

「そうだ。環境情報が分からないのなら、環境情報を逆算する魔術をワンクッション挟めばよいのだ。数式上は時間を逆向きに進ませることも不可能ではないからの」

「まぁ、確かに」



 紙の上での理論。

 つまり数式だけならば過去への遡行は簡単だ。方程式の時間パラメータを逆向きに進ませるだけでいい。そして思念を伝える魔力を利用し、魔術式で実行すれば確かに過去の環境データすら算出できる。魔術を計算のために使うというのは、シュウにもなかった発想だった。



「過去の環境データを算出する魔術は理解した。その発想なら過去に向けて魔術を発動できる可能性も上がるな。だが、根本的に過去に対して魔術を発動するにはどうする? 過去を検索するだけなら、教会の神子姫が持つ過去視の魔装と同じだ。過去という世界が過ぎ去った以上、ベースとなる世界は消えている。魔術を発動する場所がないはずだ」

「うむ。それは確かに難しい問題だな。だが不可能ではないと考えておる」

「その理由は?」

「儂は過去の出来事、つまり数式で記述できる事象は全て世界に記録されていると考えているのだ。魔術式は現在の数式に干渉する技術だ。過去の数式もどこかに保存されているのではないかね? 儂の予想では過去の数式に魔術を挟み込むことができると思うわけだ」



 ある時間の、ある座標で何が起こっていたのか。

 その情報が常に破棄されているならば、過去に干渉することはできない。しかしそれらがどこかの次元に記録されて残っていたとしたら干渉の余地がある。

 魔術によって過去の環境データを算出し、同時に過去の記録へと魔術を発動。それによって過去を変化させるのだ。

 過去から現在は連続した連なりになっている。

 蝶が羽ばたくだけで大陸の反対側では台風が起こるかもしれない。

 世界はそれほど繊細にできているのだ。

 過去を変えれば現在が変わる。

 過去の何かを変えるだけで、現在の誰かが死に、誰かが生き返るかもしれない。

 ジュードは棚の中から本を一冊取り出す。



「君は過去を変えたいと願ったことはあるかね?」

「いや……」



 パラパラと本を捲るジュードを眺めつつ、シュウは答えあぐねていた。

 塔の屋上で星を眺めた時、どこか懐かしいものを感じた。シュウは自分の過去について曖昧にしか覚えていない。変えたいと思うほどの過去はないのだ。

 ジュードはとあるページで手を止め、顔を上げる。



「儂には変えたい過去がある」

「へぇ?」

「この歳になると後悔が多くてな。だが変えたいと思うほどの過去はただ一つ……」



 開いた本を見せつける。

 そこには複雑な魔術陣がいっぱいに記されていた。

 魔術陣に魔力が流され、青白く光る。



「……貴様を殺すことだ。冥王アークライト」

「っ!?」



 シュウは即座に死魔法を発動する。

 だが、魔術陣は消えなかった。



「この魔術は過去に向かって発動しておる。貴様の死魔法は熟知しているぞ! 貴様は認識したものを殺すことしかできんのだ。その対策のため、儂は時間魔術を研究した!」

「ちっ……」



 ジュードの言っていることは事実だ。

 シュウが殺せるのは認識したものだけだ。認識したあらゆるエネルギーを掌握し、殺す。それが死魔法の手順である。

 過去に飛ばされた魔力、そして魔術は今のシュウに掌握できていなかった。

 時間を飛び越える魔力は通常の感知では把握できない。

 シュウが焦る間、ジュードは得意気に語る。



「もはや儂を殺しても無駄だ。儂の魔術は時間遡行。貴様の精神を産まれる前に戻すのだ。知っておるぞ。貴様が誕生した時期は教会が調べたのだ」

「……俺に何の怨みがある? まぁ、恨みなら無数に買ってる自信があるけど」

「ふん。貴様にとってはその程度だろう。だが儂は一日たりとも忘れたことはないぞ! 儂の娘、ルト・レイヴァンを忘れたとは言わせん!」



 シュウは思い出した。

 十二年以上前、『死神』として始末した覚醒魔装士である。重力という法則へと干渉した恐ろしき力の持ち主だった。しかし、シュウとアイリスの策略であえなく散ったのだ。



「この怨みを晴らすため、儂は全てを投げうってきた。この日、この時に貴様をおびき寄せるために全財産すら投資した!」

「……『鷹目』の奴。俺を売りやがったな」

「同じ黒猫の幹部に足を掬われるとはな!」



 これは『鷹目』を信頼できないと考えるべきか、『鷹目』に信頼されていると見るべきか。

 難しいところだ。



(しかし俺も上手く嵌められたもんだ)



 平静を保ちつつも、シュウは焦っていた。





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