第123話 魔術の研究塔
魔術研究の塔へと侵入したシュウは、透明化を解除して普通に歩いていた。というのも、基本的に魔術師は他者に無頓着だ。研究仲間ならば認識するが、そうでない人間についてはあまり興味を持たない。つまり、多少怪しい恰好で歩いていても、他の魔術研究員だと思ってすぐに忘れてしまう。
(なるほど、幾つかの実験設備は共有で、基本は個人の研究室があるわけか)
巨大な塔は外周部に多数の研究室がある。その内側は螺旋状の階段になっており、中央部の大空間に巨大な実験装置などを置くための共通実験室となっているのだ。
シュウはその螺旋階段を上っていた。
(まずは書庫を探すか)
書庫に揃えている資料を見ても、恐らく空間魔術の先端技術を見つけることはできない。しかし、シュウの目的は研究者の名前を知ることだ。
基本的に、研究室には研究者の名前しか記されていない。そのため、それぞれの研究室がどんな研究をしているのかは一切不明だ。この塔に普段から出入りしている者なら分かるのだろう。しかし、シュウは侵入者であり、そんな事情は知らない。
故に書庫に向かうのだ。
そこに研究者の著書か論文があれば、空間魔術を研究している魔術師の名前を知ることができる。シュウは研究室のプレートに記されている名前を覚えつつ、書庫を探していた。魔物に転生してから、記憶力は格段に向上している。それこそ、コンピュータではないかと思うほどの記憶力になっていた。
(しかし魔術研究にこんな設備を使っていたとはな。紙とペンだけの俺とは大違いだ)
基本的にシュウは魔術を数式で表現している。魔術の法則に則った魔術陣は決まっており、それらは方程式のようなものだ。そこに発動座標や、環境情報を代入して組み上げることで求める魔術の魔術陣が完成する。つまり、シュウのように魔術陣に対応する効果を細分化して理解していれば紙とペンだけで充分に研究ができるのだ。
逆に四属性や二極の魔術のように魔術陣と効果の対応が曖昧なままでは大掛かりな実験が必要になる。
魔装や魔術の発展があることで、自然科学の発達が遅れている。自然現象を数式化するという試みがないのだ。魔力という便利な力があるためである。
(自然科学を知る俺の特権ってことか)
そうして階段を上り続けていると、書庫と記されている部屋を発見した。ただし、第三書庫と記されているので他にも書庫はあるのだろう。これにはシュウも溜息を吐きそうになった。求める情報を探すのに数日程かかるかもしれないからだ。
しかしここで立ち止まっていても、時が無駄に過ぎるだけである。
シュウは書庫の扉を開き、中に入った。
「さて、と……」
目の前に広がる複数の棚と、大量の蔵書。
これを見るだけで研究データの多さを測ることができた。少なくとも、この三倍は塔に蓄えられているということなのだから。
シュウはまず、一番近い棚へと近寄って一冊の本を手に取る。
題名は『魔術による痩せた土地の回復』という、軍事ではなく生活のための魔術だ。パラパラとめくってみると、五年に渡る研究データが記されていた。条件の異なる四種類の土地で、四種類の回復魔術による合計十六パターンからなるデータ群だ。この一冊だけで相当の価値がある。
「これなら期待できそうか……? 次だ」
シュウは棚を一通り調べたが、全てが生活に関わる魔術だった。
畑を耕す魔術、作物を乾燥させて保存に適した状態にする魔術、精密な穴を掘る魔術、木材を加工する魔術、野菜を刻む魔術、煮込んだ肉を柔らかくする魔術……
生活の魔術も際限がない。
「うーむ……欲しい魔術ではないな……」
隣の棚もザックリと調べる。
しかしそのどれもが生活に関係する魔術だ。あるいは、しょうもない効果の魔術ばかりである。仕事を休むために病気っぽい効果を生む仮病魔術などというものもあるのだ。
驚きを通り越して呆れ果てる。
(そもそも軍用魔術の研究がこんな分かりやすいところに、それも持ち出しやすいような書庫に置いてあるはずもないか)
当然のことだ。
軍事機密級の魔術がこのような分かりやすい書庫に置いてある方がおかしい。空間魔術など、最先端の軍用魔術である。兵隊の輸送、兵站の輸送といった補助的な魔術としても優秀だ。そして攻撃魔術に転用すれば、防御不可の壮絶な魔術となるだろう。
(まずは別の書庫を探すか)
シュウは第三書庫から出て、再び階段を上り始めた。
◆◆◆
聖騎士ラザードは真面目な人間だ。
弱きを守るという絶対的な意志によって聖騎士となった男である。そんな彼は神聖グリニアの教皇から直々に命令を受け、スラダ大陸の凶悪な魔物を狩って回っている。
「聖騎士ラザード・ローダ殿、エヴァンスレイン大聖堂に到着いたしました」
「ようこそ。話は聞いています。よくぞ来てくださいました」
夜中であるにもかかわらず、帝都の大聖堂は聖騎士を迎え入れていた。それも当然である。魔神教にとって希少な聖騎士を雑に扱うことなど有り得ない。
「このような時間ですからまともな歓待もできず、申し訳ありません。しかし湯浴みの用意と部屋の用意はしております。今夜はまず、ゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます」
「現在こちらの聖騎士は闇組織の粛清に力を注いでおりまして、魔物への対策を怠っている状態なのです。ラザード殿が来られたことはまさに朗報。助かりました」
「はい。期待に応えてみせます」
ラザードは自信たっぷりだった。
それもそのはずである。彼は六年間にわたり、大陸の魔物を倒し続けてきた。都市を滅ぼすとまでいわれる
「ところで司教様、私には信頼する従騎士がいます。彼女の部屋も私と同じように……彼女にも私と同じ待遇をお願いできますか?」
「従騎士ですか? しかし聖騎士と同じ扱いをするわけには……」
「お願い致します。私が充分な力を振るうためには、彼女の力が必要なのです」
「……そこまでおっしゃるのでしたら、手配しましょう」
「感謝します」
「他に私たち大聖堂が援助することはありますか?」
「できることなら、このエリス帝国で手に入る魔術強化武器を手に入れたいと考えています」
司教は難しい表情を浮かべた。
魔術強化武器とは、魔道具化した武器の総称である。略して魔剣などと呼ばれることもある。槍の場合は魔槍だ。あるいは総じて魔武器とも呼ばれる。
これらの技術は比較的最近になって開発されたものだ。そのため生産技術もそれほど規格化されておらず、高位の魔術師や職人が腕を振るってようやく完成する。聖騎士といえど、簡単に手に入るものではない。また魔武器が完成しても、それが実戦で役に立つとは限らないのだ。通常の武器と大差ない性能では魔武器の意味がない。
それが司教の表情の意味だった。
「……宮廷の魔術師に頼めば、融通してくださるかもしれません」
「宮廷ですか」
「はい。エリス帝国は……その、スバロキア大帝国の面影が残っています。優秀な魔術師や魔装士は国家を始めとした権力者に仕えるという風習が残っておりまして、結果として教会に所属する優秀な者が非常に少ないのです」
「そのようなことが。それでは難しいかもしれませんね」
「しかし魔剣を一本程度でしたら融通してくださるかもしれません。掛け合ってみましょう」
「ああ、いえ」
ラザードは意気込む司教に待ったをかけた。
「できれば、可能な限り沢山欲しいのです」
「は? いや、しかし」
「仰られたいことは分かります。しかし私には必要なのです」
「……分かりました。最高の聖騎士殿のお願いですからね。努力しましょう。安定した品質の保証は難しいですが、実験品を分けてくださるかもしれません」
「構いません。お願いします」
『千手』とも呼ばれる最も新しいSランク聖騎士は魔武器を集めるのが趣味。そんな噂はエヴァンスレイン大聖堂にも流れてきていた。
司教は疑問に思いつつ、手配の手順を頭に浮かべていた。
◆◆◆
魔術研究の塔を捜索するシュウは、遂に最上階まで昇っていた。これまで第四、第五の書庫を回った。しかしそのどれもが生活を豊かにする魔術の研究である。軍用魔術として知られるアポプリス式魔術のアレンジすらない。
『鷹目』の情報が間違いではないかと思うほどだ。
「最上階は……休憩所か?」
塔の最上階は観葉植物や花が飾られ、窓も大きく取られた空間となっていた。またテラスに出れば帝都が一望できるようになっている。扉や窓ガラスは取り付けられておらず、外からの風が優しく花たちを撫でる。そして夜には星空が一望できるのだ。
まさに今は夜。
誘われるようにテラスへと出て、夜空を見上げた。
「……懐かしい感じがするな」
シュウの感じた懐かしさは、最近のものではない。
ずっと昔の、前世に遡る懐かしさだ。
病室で寝ていた記憶ばかりのシュウにとって、このような感覚は新鮮である。ベッドの上から窓の外を眺め、星座でも探していたのだろうかと思いに耽る。
完全な敵地にもかかわらず、シュウは完全にリラックスしていた。
黒の外套で顔は隠していたが、気を抜いていたのだろう。
背後から寄る人の気配に気づかなかった。
「ほほ。夜空を眺めて気分転換かな?」
思わず肩が跳ねた。
聞こえた声は老人そのもの。恐る恐る振り返ると、豊かな髭を蓄えた老人が立っていた。服装は赤や緑の鮮やかな刺繍が施されている。これほどの上着を纏えるのは、よほどの金持ちだけだ。老人がただ者でないことは一目で分かった。
「見慣れん若者だね。新しい魔術師かな?」
「……そんなところだ」
「ほほ。威勢が良さそうだ。どれ、儂の研究室を覗いてみんかね? 研究を見せてやろう」
「いいのか? 普通は素性の知れぬ者に研究を見せたりしないだろう」
「構わんよ。儂の研究の価値を真に理解できるほどの者なら、放っておいても同じ真理に辿り着くというもの。それならば見せて近道をさせてやろう。仮にも塔の魔術師なら、見せる価値はあるとも」
実に大胆な老人である。
研究とは競争の世界だ。先に論文を提出した方が全ての栄誉を勝ち取る。たとえ一秒でも論文提出で負けていれば、絶対的な発見は先であっても無意味だ。そんな世界で自分の研究を見せるということがどれほど致命的か、老人が知らないはずない。
あるいは知的財産は共有するべきというオープンソース主義者なのかもしれないが。
どちらにせよ、シュウとしてはありがたい。
ダメ元だが最新の研究を合法的手段で覗くことができるのだから。
「付いてきなさい」
老人は風で乱れた髭を整えながら塔の中に入っていく。シュウも最後にもう一度だけ夜空の星を眺めてから、テラスを後にした。
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