第121話 空間魔術の情報
翌朝、というより翌昼にアイリスは目を覚ました。彼女は基本的によく眠る。魔力の多い者によくあることだが、それは休息により魔力を回復させるためだ。飛行の魔術でかなりの魔力を使ったので、大量の睡眠と食事を必要とした。
「シュウさん、起きていたのです?」
「ああ」
一方でシュウは着替えを済ませ、お茶を飲んでいた。黒猫の酒場に泊まっているとはいえ、警戒を怠ることはできない。それでほとんど寝ずに周囲を感知していた。
「流石にもう昼だ。『鷹目』も来ているだろう」
「うーん。ですねー」
「早く着替えろ」
アイリスは気怠そうにベッドから抜け出し、シャツを脱ぐ。シュウは全く恥じらいのない彼女の代わりに目を逸らした。ちなみにシュウには食欲も睡眠欲も性欲もない。男の本能に負けることもない。
ただ、アイリスとしては残念そうだった。
(私って魅力がないのです?)
そんなことを考えてしまうが、アイリスのそれは勘違いである。アイリスは美人で、充分に魅力的だ。しかしシュウの性格的に、がつがつと来る女が苦手なのである。
シュウはアイリスが着替える間にお茶を飲み尽くし、影の精霊に片付けさせた。
「着替えたか?」
「はーい」
「それなら行くぞ」
シュウとアイリスは部屋から出た。
◆◆◆
黒猫の酒場で仮面の男が一人で水を飲んでいた。
情報屋の『鷹目』である。一応は仕事中なので、酒は控えていた。
そこにシュウとアイリスが現れる。
「もういたのか」
「遅かったですね『死神』さん。それにアイリスさん」
「お久しぶりなのですよ!」
シュウは『鷹目』の隣に、アイリスはシュウの隣に座る。
「適当な飲み物をくれ。二つだ」
「ああ」
店主が準備している間に、シュウは早速とばかりに話を切り出した。
勿論、『鷹目』に目的の話を聞くためである。
「『鷹目』、空間を移動する魔術の研究を知らないか?」
「おや。もしや『死神』さんは転移魔術をご所望ですか?」
「そういうことだ。まぁ、それだけじゃないがな。空間を操作する魔術を応用して、ちょっとした結界を作りたい」
「しかし空間に作用する魔術は難易度が高いのは勿論ですが、秘匿された研究ばかりです」
「やはりか」
空間に作用する魔装は昔から確認されていた。そして魔術で再現するように研究されている。しかし再現が難しく、未だに実用へと至った魔術は存在しない。
『鷹目』はどこからともなく紙の束を取り出し、シュウに渡した。
「これは?」
「私が集めた空間転移の研究に関する情報です。私も転移を使いますからね。警戒はしていましたよ」
「……やはり神聖グリニアが一番進んだ研究をしているな」
「はい。大国ですし、教会を通じて研究論文を集めていますからね。効率よく研究が進むのも当然と言えば当然です」
「だが俺の求めるほどのレベルではないな」
「難しい概念ですから。炎、水、風、土はまだ分かりやすいですからね。陰と陽は分かりにくいですから少し技術が遅れ、空間のように理解不能な魔術は未発展。まだ新しい魔術体系があるのかもしれませんね」
「そうだな。俺の《
「ええ」
シュウの扱う魔術を分類の方式は、魔術陣の意味から法則を導き出すというものである。曖昧なイメージに頼っていないため、手掛かりさえあれば完成までは早い。
つまり、欠片でも空間魔術の魔術陣が手に入れば充分である。
「それで、ここから一番近い研究所はどこだ?」
「この国、エリス帝国ですよ。アレス皇帝は技術面に莫大な投資をしていますからね。その結果といえばいいのか、この国は魔術が発展しています。元は大帝国ですから、その風潮や資産も残っていますし」
「なるほど。昔から研究はされていたってことか」
「ええ。スバロキア大帝国は軍事国家でしたからね。移動に特化した魔術は戦略的価値があると判断していたのでしょう。現に私も潜入中は皇帝に重宝されていました。研究の遺産を引き継ぐ研究所は幾つも存在していますよ。流石の教会も、国家機密まで差し出せとは言いませんからね。そもそも教会にすら秘密にするからこそ国家機密ですから」
「それを調べてくるお前も大概だがな……で、その研究所の場所は?」
「帝都ですよ。詳しい場所は……これを」
『鷹目』はサラサラとメモに記して渡した。シュウは受け取り、確認する。しっかりと記憶した後、魔術で燃やした。
「しかし転移魔術なんて会得されたら、私もお役御免になってしまいますね」
「お前の本分は情報屋だろう……」
「はははは。そうでした」
転移の魔装という、情報屋にピッタリな能力を持つ『鷹目』。放出系の魔術や魔装攻撃なら強制転移で跳ね返すなど、戦闘もできる男である。しかし彼の真骨頂は情報収集と情報操作。下手をすればシュウですら手玉に取られ、利用されてしまう。目標を同じくする同志ではあるが、完全な仲間ではないということを常に覚えておかなくてはならない。
彼は以前、魔神教への復讐と同時に、アイリスに恩を返すために動いていると言った。それ故に全く信頼しないわけではないが、彼の性質を考えると完全に身を預けることはできない。
今回の魔術奪取の件も、どういうわけか『鷹目』の掌の上ではないかと思ってしまう。
「用件はそれだけだが、聞きたいことは他にもある」
「他にですか?」
「教会の動向だ。変わったことはあるか?」
「そうですね。『死神』さんやアイリスさんに関係のあることとなると……ああ、そういえば以前に新しいSランク聖騎士の話をしましたよね?」
「確か……『千手』のラザードなのですよ!」
「それですアイリスさん。実はその聖騎士がエリス帝国に来るんですよ」
「あの聖騎士は大陸の各地を回って魔物討伐をしていた気がするんだが……なるほどな、遂にここまで来たってことか」
「ええ。実際は教会の威光を示すために、という理由ですがね。まぁ、六年も前から各地を回っていますし、そろそろこちらに来る頃でしたから」
聖騎士ラザード・ローダ。
彼は『千手』という二つ名を与えられた新しい覚醒魔装士である。シュウとアイリスも六年前の時点でその話を聞いていた。しかし既にシュウは
シュウもアイリスも今思い出したくらいである。
「まぁ、来るというのなら警戒に値するな」
「なのですよ!」
「しかし『死神』さんでも直接戦うというのなら問題ないでしょうね。問題はこの辺りで『若枝』さんが動き出したという話も聞いています。もしかすると、教会の粛清が吹き荒れるかもしれませんよ?」
「またタイミングの悪い」
スバロキア大帝国崩壊の日、黒猫の幹部たちもかなりの数が失われた。リーダーの『黒猫』はすぐに補充を行い、十二年以上が経った今では新しい黒猫幹部が揃っている。黒猫の幹部会議で一度会っているので、シュウも『若枝』のことは知っていた。
そしてシュウはその時のことを思い出して苦い表情を浮かべる。
「……あの女、苦手なんだが」
「そうなのです?」
「化粧が濃い。それと見境なく男を誘惑する。あと香水がきつい」
「わかりますわかります」
シュウの言葉に『鷹目』も同意する。
アイリスは微妙な表情を浮かべていた。シュウが押しの強い、しかも自己顕示の強い女を苦手としていることはよく知っている。アイリス自身で確かめたのだから間違いない。
「あの女、余計なことをしなければいいがな……」
「そうですよねぇ……」
二人の幹部が遠くを見つめながら、そんな相談をしていた。
◆◆◆
同僚から散々なことを言われていると知らない『若枝』だが、彼女はエリス帝国の帝都に訪れていた。それも薄暗い裏の地区ではない。華々しい商業地区である。
この帝都の商業地区には、貴族の女性に人気の店舗がある。
その名もルキア商会。
化粧品、香水、石鹸などを販売する大陸西側で勢力を伸ばし続ける大商会である。そして『若枝』はその会長なのだ。
「どうでしょうか会長。新作の香水です」
「ふぅん……中々ね。いいわ、店舗で出しなさい」
「ありがとうございます」
店長は冷や汗を拭って頭を下げた。
その相手は美しく着飾った女である。全身を見事に飾るばかりか、素肌にも化粧を施しているのだ。このメイクアップにどれだけの時間がかかるか、男では予想することもできないだろう。女が見れば羨望の目を向けるほどのメイク技術だ。
ただし、シュウのような男からすれば苦手な人種と言える。
「それとこの辺りで私への直接依頼はあったかしら?」
「はい。エリス皇妃殿下から書簡を預かっております」
「あら、お得意様ね」
そう言った『若枝』は店長から手紙を受け取った。封を切り、開いて読む。
その間、店長は様子を窺うだけだった。
「……なるほどね」
「私どもにお手伝いできることはあるでしょうか?」
「これは私だけでやるわ。研究所を二十日ほど使うわよ」
「かしこまりました」
商会の会長であると同時に、『若枝』は研究者でもある。
そしてやんごとなき人物から特注依頼を承った場合、彼女自身が調合するのだ。彼女だけが生み出す、特別な薬品である。その性能は折り紙付きだ。そして何より、とても表に出すことのできない違法薬物である。
(ふふっ。男を操る魅惑の香水……任せなさい)
彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
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