第120話 『千手』の聖騎士


 シュウとアイリスは妖精郷を出て、海上を飛んでいた。

 相変わらず霧の深い海域であり、魔力のマーキングがなければ迷ってしまう。



「アイリス、アレを見ろ」

「……船です?」

「ああ。それに生きている人間が乗っている」

「遭難者なのです?」

「さぁな? あるいは……」



 空中で一度止まったシュウは、下降して船に近づく。アイリスもそれに付き添った。そして近寄ってみると乗っている人間の状態がよく分かる。



「……ぁ」

「っ……ぃ、ぁ……」



 碌に話すこともできない状況。

 そして虚ろな視線。



「脱水症状、それに栄養失調か? あるいは壊血病か?」



 様々な症状が同時に発症しているので、専門家でないシュウでは正確な判断は難しい。しかし、もはや手遅れだろう。体力は底を突き、水を飲むことすら不可能なハズだ。寧ろよく生きていると言える。魔力による強化で無理やり生かされているのだ。



「この男たち、漁師というわけでもなさそうだ。網はあるが、漁のものじゃない。それに魚を入れておくような場所もなさそうだ。妖精郷の噂を聞いてやってきた密猟者だな」

「そうなのです?」

「間違いないだろう。もしかすると、この男たちだけじゃないかもしれない」

「妖精郷、大丈夫なのです?」

「さぁな。小妖精フェアリーが貴族に捕まっていたぐらいだ。他の小妖精フェアリーも捕まって妖精郷の話を聞いた奴がいたかもしれない。というかアレリアンヌの話を聞く限り間違いないだろうな」

小妖精フェアリーを大陸に放っていたみたいですからねー」



 二人の予想は正しい。

 そして密猟者が幾人も海域を彷徨っていた。シュウとアイリスがこの船を見つけたのは偶然である。しかし偶然が重なるほどに、密猟者は多かった。

 妖精を探せと喚いたホムフェルト・フリベルシュタインは勿論だが、それ以外の貴族や有力者たちも妖精を求めたのだ。昔から、エリス帝国の地域では妖精伝説が伝わっており、権力者が求めるのも当然であった。



「気にするな。愚か者の末路だ」

「助けてあげないのです?」

「妖精郷が脅威に晒されたら、困るのは俺たちだ。それに霧の結界の有用性も直に確認できた。やはりこの結界は会得しておきたいな。妖精郷を離れることになったとしても、新しい拠点を作れる」

「やっぱりそれが狙いだったんですねー」

「俺も考え無しに妖精郷に君臨したわけじゃない」



 シュウはスバロキア大帝国との戦いの中で、弱者としての地位を思い出した。弱かった頃、知恵と力を尽くして生き抜いていた。

 秘奥剣聖ハイレインとの戦いにおいて、シュウは久しく苦戦させられたのだ。そしてアイリスにも傷を負わせてしまった。たとえ『王』となったとこで、無敵ではない。終焉アポカリプス級に至っても最善を尽くすべきだ。

 剣技の奥義にまで至った秘奥剣聖ハイレインを、シュウはある意味で認めていた。

 あの戦いでは遂に見逃してしまったが。



「『鷹目』との約束もあるからな。神聖グリニアを勝手に滅ぼすわけにもいかない。隠れ家はキッチリと用意する。アイリスとの十二年前の約束だ」

「まだ覚えていたのです!?」



 シュウとアイリスは船を放置して、再び上空へと上がって行った。





 ◆◆◆





 エリス帝国フリベルシュタイン領。

 統治する貴族当主ホムフェルトは今日も震えていた。



「なぜだ! なぜ儂の小妖精フェアリーが見つからないのだ!」



 あまりにも恐怖した彼は、もう何日も食べていない。そのせいか、醜いその姿が幾分かマシになっていた。痩せているというよりもゲッソリとやつれているように見えるが。



「誰か! 誰か!」

「旦那様! お呼びでしょうか!」

「儂の小妖精フェアリーはどうなっているのだ!」

「そ、捜索中でございます!」



 そのような答えは聞き飽きている。

 ホムフェルトは近くにあったペンを使用人に投げつけた。同時に怒鳴る。



「馬鹿者! 早く見つけるのだ!」

「はい!」



 ホムフェルトの機嫌次第で、使用人は物理的に首が飛ぶ。

 誰もが必死だった。



「さ、昨夜も殺された……つ、次は儂かもしれん……」



 この期に及んでも教会に頼ることはせず、彼は幸運の象徴を求め続けた。

 その浅ましさ、欲深さが彼の破滅を促進させる。






 ◆◆◆






 魔神教はスラダ大陸の全てを制覇した。神聖グリニアを総本山とするこの教えは、今や全ての国に隅々まで広がっている。土着信仰すらほぼ全て消え去り、魔神教が浸透している。

 尤も、隠れて信仰している者たちはいるが。



「聖騎士ラザード。帰還いたしました」

「おお。戻りましたか」



 聖騎士ラザード・ローダは期待の聖騎士だ。

 六年前に覚醒した、新しいSランク魔装士でもある。彼は新しいSランク聖騎士としての修行の意味も含め、各地に派遣されていた。今は旧大帝国領の新しい聖堂を拠点として活動している。



「このエルドラード王国での活動は充分でしょう。レインヴァルド王からも称賛を頂いております」

「それは喜ばしいことです」

「この辺りはやはり大帝国の影響が強く残っております。我らが神の威光を示さなければなりません」

「はい。存じております」



 聖騎士に限らず、教会に属する者は誰もが危惧することだ。神聖暦となり、大帝国崩壊から十二年以上が経っても影響力は薄れない。やはり世代が変わるほどに年月が経たなければ、完全とはならないだろう。

 そして魔神教は影響力を強めるため、新しい聖騎士の発掘にも力を注いでいる。

 ラザードもそうして見込まれた魔装士であり、強い力を持った魔物との戦いを経て覚醒魔装士へと至ったのだ。そしてラザード以外にも、覚醒へと至る可能性の高い実力者を教会は探している。



「してラザード様。次は南の任務です」

「はい。その準備もしております」

「では三日の休暇を与えます。そして三日後、南へと発ってください。エリス帝国の帝都大聖堂が迎えてくださる手筈となっております」

「エリス帝国、ですか? 聞いたことがありませんが……」

「建国されたばかりの大国ですからね。しかし元は周辺を従えていた大貴族が皇帝となり、統治している国家です。国そのものは安定しているとか。尤も、私とて人伝てに聞いただけです」

「かしこまりました」



 ラザードは下がった。

 そうして彼が姿を消した後、司教は一人で祈りをささげる。

 静かな時が流れ、やがて蝋燭の一本に灯っていた火がフッと消えた。司教は目を開く。



「あの帝国、妖精伝説がありましたね。ラザード様に言って消滅させましょう。信じるべき存在は一つ、エル・マギア神でなければなりません」



 聖騎士の手が、妖精郷にまで及ぼうとしていた。






 ◆◆◆






 無事に海を越えたシュウとアイリスは、海岸近くの街に滞在していた。しかし、大陸の街は全て魔神教の影響が及んでいる。ここでは顔を隠さなければならない。

 深くフードを被った怪しい恰好で街を歩く。



「とりあえず、『鷹目』を探す必要があるからな。黒猫の酒場を探す。確かこの辺りだったはずだ」

「それにしても海辺の町だけあって、魚介類が多いですねー。あの焼きエビが美味しそうなのです」

「後でな?」

「はーいなのですよー」



 それでも呑気でいられるのは、強者ゆえの余裕である。

 また教会の威光がほとんど届いていない大陸南西部だからこそ、多少の油断も許されるというだけの話だが。



「ここだな」



 まだ昼間なので繁盛しているようには見えない。

 しかし、営業中ではあった。シュウは扉を開けて中に入る。アイリスも続いた。

 内装はごく一般的で、特に変わった様子もない。しかし奥にいる店主からはどこか裏の人間の匂いが漂っていた。シュウは『死神』のコインを取り出し、人差し指と中指で挟んで見せつける。



「ふん。用は何だ?」

「『鷹目』と連絡を取りたい」

「いいだろう。あんたほどの人物からの頼みだ。すぐに『鷹目』からも連絡があるはずだ。ただ、一日は時間がいる」

「それぐらいは待てる。それよりここは宿泊できるか?」

「地下になるがな」

「それでいい」

「ふん。流石は冥王と魔女だ。指名手配のせいでまともな宿泊ができないってか?」

「そういうことだ」



 大陸全土に冥王と魔女の手配書が回ったせいもあり、シュウとアイリスは普通の宿に泊まれない。稀に情報に疎い宿屋の店主もいるが、そんな面倒なものを探すよりは黒猫の手が入った場所に泊まる方が安全である。

 なにせ、黒猫は今や世界最高の闇組織だ。規模は勿論、力の大きさも世界一である。そして指名手配犯どころか魔物でさえ受け入れる。シュウとアイリスがまともに暮らせるのは黒猫の影響下だけだ。



「それにしても地下か。逃げ道の確保は?」

「心配すんなよ。ちゃんと抜け道もあるからよ」

「そうか。地下室への階段は?」

「そこだよ」



 店主が指したのはカウンターの内側。箱が詰み上がった場所である。

 つまり、箱を積み上げて地下室へと通じる階段を隠しているわけだ。シュウは移動魔術で箱を動かし、床に隠された階段を顕わにした。かつては魔術を使うのも最低限にするほど魔力を節約していたが、今では魔力など使い放題である。



「なるほど、それか。もう少し後にくる。食料を買い込んでくるつもりだ」

「そうかい」

「行くぞアイリス」

「はーい。あ、焼きエビを買って欲しいのです」

「ああ」



 シュウは店を出る前に、影の精霊を呼び出す。シュウの影から黒い小さな蛇が現れ、肩まで這い上った。そして紙幣の束を吐き出す。

 影空間を操る魔導であり、これもシュウには再現不可能な技術だ。

 それを見て、シュウはふと考えた。



(専用の精霊を生み出すという手もあったか)



 少し面倒だが、良い手法である。

 しかし考え事をしながらでは、アイリスは怒るだろう。シュウにとってはただの買い出しでも、アイリスにとってはデートなのだから。

 ひとまず精霊については頭の片隅へと追いやった。







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