第119話 弱い皇帝


 シュウは森の中を歩いていた。森といっても、無駄に生い茂ったジャングルのような場所ではない。しっかりと管理された森だ。枝の剪定や雑草の除去はしっかり行われていた。



「キノコやイモは充分。果物の木も驚くほどあるな」



 中には人間にとって毒となる植物もある。だが、魔物にとっては毒ではない。勿論、シュウが食べても死にはしない。しかしアイリスには害となる。



「しかし、肉類はまるでなし。まさか鳥すらいないとはな。どういうことだアレリアンヌ?」



 シュウの背後には神樹妖精セラフ・ドライアドのアレリアンヌが控えていた。彼女は神として崇めるシュウに一礼して返答する。



「今は私たちが駆逐しました」

「その理由は?」

「脅威となるからです。動物は小さな存在であっても、私たちを喰らおうとします。故に滅ぼしました」

「なるほど」



 魔物にとっては人間も動物も変わらない。そのため、弱い魔物からすればただの動物でも脅威となり得るのだ。この妖精郷は弱い魔物が多い。脅威となる前に全滅させられたのである。



(そうなると、不用意に動物を持ってくるのは止めておくか)



 一応は妖精郷に君臨しているのだ。

 下々のことも考慮しなければならない。あまり嫌がることはやめておいた方がいいだろう。それに、まだ互いの距離感を探り合っているところだ。

 妖精や霊系魔物たちからしてもアイリスのことをよく思っていない者もいる。圧倒的な魔力を有するシュウはともかく、アイリスは人間なのだから。

 その点で、シュウからしても完全に信用しているわけではない。何かの間違いでアイリスに危害が加えらえることのないよう、気を付けている。



「アレリアンヌ、正直に答えろ」

「はい」

「お前たちはアイリスのことをどう考えている」

「……」

「受け入れるか、排除するべきか……悩んでいるか?」

「……確かに意見は割れています。純粋な弱い妖精や霊はあの方を受け入れているようです。しかし強い魔物たちは人間をよく思っていません。人間に追い詰められ、逃げた者たちですから。私も同じように」

「なるほどな」



 大帝国は教会の影響がなかった地域だ。魔物狩りが行われ、幸運の象徴とも言われた妖精系の魔物は次々と捕らえられた。逃げ切った僅かな妖精たちが、この妖精郷を生み出したのである。

 魔物が集まった影響で稀に霊系の魔物も生まれ、今の妖精郷になった。

 新しく誕生した魔物はともかく、古くから妖精郷に住む強い魔物たちは人間を嫌っていた。



「我らの神が連れた人間です。良くは思っていなくとも、危害は加えないでしょう。しかし助けてはくれないはずです」

「そうか」

「命令しますか? 神の御告げでしたら、彼らも従うでしょう」

「必要ない。その内慣れるだろう。無理に従わせるのは後々に面倒なことになる」

「さようでございますか」



 シュウはこの妖精郷に長く住むつもりだ。君臨した以上、それなりの誠意は示すつもりでもある。恐怖政治や独裁政治はしたくない。

 アイリスに危害が加わらないのならば、横着はするべきでないのだ。

 無論、余計なことをするようなら妖精郷もろとも消し去るつもりだった。シュウにはその力がある。



「まぁいい。次は妖精郷の結界を見せてもらう」

「はい」






 ◆◆◆






 エリス帝国の皇帝は優秀だが、気弱で指導者らしくない。

 それが家臣たちの口癖だった。



「陛下! ロベレーヌ川の氾濫で耕作地が三割ほど壊滅しました!」

「それよりも鉱山の崩落で……」

「首都近郊で盗賊団が出没しています! 早く騎士団を……いえ、魔装士兵団を!」

「賊に聖堂が襲撃されたと報告があります。それで魔神教から抗議文も届いておりますが」



 家臣団から資料片手に迫られる皇帝は随分と弱気だ。



「ああ、うん。ちょっと待ってくれ。少し考えるよ」

「そのような暇はありません! 治水に予算を!」

「それより鉱山の崩落の処置が……」

「魔装士の派遣を!」

「教会の対応が先です!」

「待ってくれ! だから少し待ってくれ!」



 エリス帝国の皇帝は、元大貴族だ。故に領地の統治についてはプロフェッショナルと言える。しかし、彼は皇帝らしい振る舞いが得意ではない。



「処理はしておくから、少し一人にしてくれ」



 そう告げた皇帝は、家臣たちから資料を受け取った。

 また命令されたならば引き下がるしかない。家臣たちは念を押して部屋を出て行った。

 一人になった皇帝は溜息を吐く。



(みんな怖いんだよね……)



 彼はあまりにも指導者に向いていない。

 というのも、全く威厳がないのだ。民や家臣、そして家族や友人を想う素晴らしい人格者ではある。統治者としての厳しい判断もできる男だ。

 しかし致命的にコミュニケーションが苦手である。

 最低限の対話は可能だが、残念ながら威厳のある話し方が苦手だった。どうしても押されてしまう。



(さて、まずは治水だけど……)



 彼は手渡された書類に目を通し、対応策を考える。対応策といっても、専門家に仕事を依頼するための依頼書作成と予算の捻出が皇帝の仕事である。



(鉱山はこれでよし、聖騎士の派遣を教会に依頼するか……盗賊はウチの兵士で充分だろうけど、魔物も増加しているしな)



 皇帝としては不十分なのだろう。

 スバロキア大帝国という影がエリス帝国にもチラついている。強い皇帝こそが求められるのだ。彼は優秀であり、皇帝として弱い。

 その弱さは夫としての姿にも表れていた。



「ねぇ、アレス!」



 唐突に扉が開かれ、彼の皇妃が入ってくる。



「エリスか。ここは執務室だ。勝手に入らないでくれ」

「いいじゃない! それより、あの頼みは聞いてくれた?」

「あの頼み……? まさか妖精のことかな?」

「それよそれ」

「許可できないと言っただろう。流石に魔物だ。君に危険があるかもしれない。それに教会だって許さないだろう」

「また教会? アレスの権力があれば問題ないでしょ?」

「あのね君……権力はそんなことに使うための力じゃないんだよ……」



 まともなことを言う皇帝だが、その実は大きな権力が怖いのだ。

 相手の権力は勿論、自分自身が強大な権力を有することを怖がる。小心者といっても良い。大陸全土を監視する教会に対し、皇帝ともあろう者が恐れるのは実に滑稽である。

 そして皇妃エリスはそこが気に入らなかった。



「教会が何よ! あんな狂信者共に気を使う必要なんてないわ。ここはあなたと私の国なのよ! 教会なんかに好き勝手なことはさせないわ!」

「ちょっと君、それは言いすぎだよ。聖騎士には世話になっている。魔物の対処は聖騎士に任せるのが一番だ。それは君も分かっているだろう? わざわざ種々の危険を冒して妖精系の魔物を手に入れる必要なんてないんだ」

「そう……私にも考えがあります」

「ちょっとエリス!?」



 エリスは出ていく。

 怒った彼女を止める術など、皇帝にはない。情けない皇帝である。

 執務室に残された彼は深く溜息を吐いた。







 ◆◆◆






 一方、部屋を飛び出したエリスは心の底からイライラしていた。彼女にとって、皇帝は愉快に暮らすための駒に過ぎない。その駒が役に立たないがために怒っているのだ。



「本当に小心者ね。教会如きにあんな……かのスバロキア大帝国の皇帝を見習って欲しいものだわ」



 エリスは自室に戻るなり、そんなことを呟いた。

 誰かに聞かれでもしたら反逆罪で皇妃でも処刑されかねない。しかし、彼女は恐れることなく文句を垂れ流す。



「やっぱり傀儡にしておくべきかしら? だとすると準備が必要ね」



 皇帝は人が良い。

 その性格もあって、多くの人から愛されている。

 しかしそこが付け入る隙となるのだ。



「証拠を残さないようにするなら黒猫に依頼かしら? 確か『若枝』が近くにいたわね。薬で操ってしまいましょうか」



 エリスは鈴を鳴らす。

 風が吹き抜けたような、涼やかな音が部屋で響いた。直後、音もなくエリスの足元で影が揺らいだ。その影はエリスのものとはかけ離れ、悪魔のような笑みを浮かべて揺らぎ続ける。

 そして影はエリスへと話しかけた。



「殿下あぁぁぁ。お呼びでしょうかぁぁぁぁぁ?」

「黒猫の『若枝』とコンタクトしなさい。特に催眠効果のある薬を調達するのよ」

「はあぁぁぁいいいぃぃぃぃい!」



 影は消えた。

 そして部屋にはエリスの高笑いが響いていた。








 ◆◆◆






 シュウは大樹神殿に戻り、大樹そのものを観察していた。その魔力の流れや、術式の構築を見るのがメインである。

 だが、あまり表情は芳しくなかった。



「やっぱり魔導に近かったな。魔術での再現は難しそうか」

「魔導ということは、魔物の能力なのです?」

「ああ。大樹というより、アレリアンヌの能力だな」



 シュウもかつては魔力を吸収する魔導を持っていた。なので感覚は掴んでいる。そのため、妖精郷を覆う霧の結界がアレリアンヌの魔導であると判断できた。また、魔術での再現が難しいことも。



「霧の結界はあまりにも概念が多過ぎる。俺の魔術では系統を細分化した上での理論構築が不可能だ。特に精神干渉とも迷いの概念干渉とも言えるよく分からん効果が再現できない」

「そうなのです?」

「ああ。俺の専門外だ」

「シュウさんにもできないことがあるんですねー」

「空間転移も未完成のままだ。やりたいことは色々とある」



 妖精郷の中心で威容を放つ大樹はアレリアンヌそのものだ。神樹妖精セラフ・ドライアドという莫大な魔力を有する魔物が、その魔力のほとんどを寄生先の木へと注ぎ込んだ姿。特殊なケースであり、人間の定めるランクでは測れないだろう。

 当然、有する魔導も特殊なものとなる。

 魔術による再現が難しい、概念的なものだ。シュウが特に苦手とする魔術構成である。どちらかと言えば四属性二極の魔術の方が概念的な魔術が得意だ。



「精神そのものを解明するか……その手の研究はどこかでされているかもしれないな」

「探すのです?」

「まずは『鷹目』に事情を聴く。奴なら何か知っているだろ」

「それなら私も行くのです」

「ああ」



 シュウは妖精郷の座標を把握した。それに大樹に魔力を注ぎ込んだことで登録され、霧の結界に惑わされることなく妖精郷へと辿り着くことができるようになっている。

 再び、二人は大陸へと降り立つことになった。






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