第118話 皇妃の欲


 妖精郷の神となったシュウは早速命令した。



「取りあえず、家を作れ。俺たちの住む家な」



 シュウの目的は安住の地である。

 霧の結界に守られ、自然豊かな場所は確保した。そして次は住むための家である。シュウもアイリスも原始人ではないのだ。好んで森の中にそのまま住もうとは思わない。

 そしてアレリアンヌは当然のように是とした。



「かしこまりました。すぐにご用意いたします」



 アレリアンヌは伏したまま、自らの寄生先である大樹を操る。

 大樹の枝葉が編み込まれるように蠢き、徐々に形を成していく。足りない分は新しい枝が生じ、柱や壁となった。また枝や葉という形状に囚われず、それでいて素材はそのままに変形する。

 大樹の中腹ほどの高さで、自然が建物へと形成されていく。

 一分足らずで、空中宮殿の完成である。



「家をくれと言ったが、まさかここまでとは」

「宮殿……というより神殿みたいなのですよ!」

「神の寝所となるのです。この程度は当然と言えましょう」



 物腰柔らかに話すアレリアンヌは、更に大樹を操作する。すると屋根として編み込まれた枝に花が咲き、枯れて実となった。そして木の実は淡く輝く。

 木の実の形状をした明かりである。

 繊細で緻密で、非常に美しい神殿だ。



(なかなかやる。建物なんて初めて作るだろうに。アレリアンヌ、想像以上に知能が高い)



 荘厳というより、調和を感じさせる神殿だ。

 シュウは勿論、アイリスも気に入った。



「凄いですねー」

「ああ。住みやすそうだ」

「やっと安心して暮らせるのですよ!」



 魔神教が大陸を支配した今、指名手配犯のアイリスや冥王アークライトは討伐対象だ。常に隠れて暮らさなければならず、安心できるとは言えない。

 しかし、これで本当に安心して暮らせる。

 心に余裕が生じた。



「神よ。私たちはどのようにいたしましょう。何なりとご命令ください」



 そして神樹妖精セラフ・ドライアドへと進化したアレリアンヌは、神に仕える御使いのように跪いている。彼女は進化にあたり、正統進化ではなく特別な変異へと至った。受け入れた魔力のほとんどを大樹へと注ぎ込んだのだ。力の大部分は大樹へと移り、自らは貧弱なままではあるが、強大な魔力を宿す大樹を自在に操るようになったのだ。

 神殿の建造もその力の一部である。

 今の彼女は、妖精郷の自然環境すら自在に造り替えるだろう。

 シュウの願いは大抵叶えることができるはずである。



「いや、しばらくは休む。お前たちは普段通りに過ごせ。いくぞアイリス。取りあえず寝る」

「はーいなのです。ベッドが大きいといいですねー」

「寝る場所は別だ」

「えー……」



 シュウとアイリスに、久しく休息の時が訪れた。







 ◆◆◆






 密猟者たちは霧の海を漂っていた。

 妖精郷を守る最強の結界だ。



「ちっ……」



 八人が三隻の船に乗って海へと乗り出したまでは良かった。しかし、霧の結界の前には無力だった。既に三隻とも逸れてしまい、この船に乗っている三人も苛立っている。



「ダメだ。魔力通信も使えねぇ」

「何だってんだ……この霧はよぉ……」

「もう朝なのか夜なのかも分からん。クソ……」



 霧は深く、昼と夜の区別すらつかない。

 どういうわけか、霧の結界は夜でも淡く光るのだ。



「畜生が!」



 違法魔装士でもある彼らは、それなりの魔装使いだ。

 そもそも野良の魔装士は、聖騎士になるほどの実力がない。しかしそれでも魔装を手放せない者たちがほとんどだ。基本的に魔力も高いわけではなく、魔装士としての実力も低い。中には驚くべき実力者も混じっているが、基本的には弱い魔装士ばかりである。

 霧の結界を抜けることなど不可能だった。



「もう、戻ることもできねぇのか……」

「馬鹿野郎! 弱気になるんじゃねぇ!」

「だがよ……」

「魔術だ! そうだ! 魔術を!」

「何の魔術だってんだ? 攻撃の魔術や魔装で何ができるってんだ!」



 彼らはあまりにも中途半端だった。

 あらゆる事態を覆す圧倒的な力もなければ、あらゆる事態に対応できる万策の力もない。

 密猟者は霧の世界に呑まれた。







 ◆◆◆







 旧大帝国の南部は新しい国となっていた。元はスバロキア大帝国の大貴族だったが、国家の崩壊に乗じて自らが皇帝となった。

 新興国、エリス帝国である。

 ちなみに皇帝となった元大貴族の派閥として従っていた貴族たちが、そのままエリス帝国の貴族となっている。



「ねぇ」

「はい。エリス皇妃殿下」

「知っているかしら? 幸運の象徴、小妖精フェアリーが各地で見つかっているそうよ?」

「聞き及んでおります」



 この新しい帝国は皇帝の妻の名を国名としている。

 皇妃はこの上なく愛されていた。



「欲しいわね。小妖精フェアリー

「しかし殿下……教会は魔物を観賞用に捕獲することを禁じております。如何に皇妃殿下といえど、教会に逆らうのは下策かと」

「問題ないわ。あの人に頼めば、何でも叶えてくれるもの」



 エリスは小さく笑った。

 端的に語れば彼女は典型的な悪女だ。

 大貴族である夫を誑かし、大帝国の解体に乗じて建国させた。自らが皇妃となり、強大な権力を手に入れるために悪意の計略を施した。それは結果として成功し、彼女は皇妃となった。

 しかし、人間の欲望は底知れない。

 一つの欲望が満たされた時、新しい欲望に目覚める。人は欲を満たすことで満足はしない。そのようにできている。



「しかしいくら陛下でも……」

「いいのよ。教会もこんな大陸の端にまで目を光らせてはいないわ」



 間違いではない。

 魔神教の総本山、神聖グリニアはスラダ大陸の北東に位置する。一方でエリス帝国は南西の端。確かに教会の権威は大陸全土に広がっているが、流石に遠く離れた土地にまで完全な威光が届くわけではなかった。

 つまるところ、エリスは教会を侮っていた。

 スバロキア大帝国の考え方は実力主義。その考え方が根強く残っている。野良の魔装士も比較的多く潜んでいるような地域だ。自然と上の人間も教会を侮るような思想になる。



「いいわね?」

「はい」

「陛下に伝えて頂戴。私は小妖精フェアリーが欲しいわ」



 悪意に満ちたわけではない。

 ただ、欲望の果てない女の願いだ。

 純粋なだけに、たちが悪い。



「この国をもっともっと繁栄させないといけないわ。最近の目撃情報はどこかしら?」

「……フリベルシュタイン家の領地で発見されました」

「あの幸運狂の豚ね」

「殿下、そのような言い方は」

「いいのよ事実だから。でも、あそこは魔除け石が採れるのよね。関係あるのかしら?」



 侍女は密かに溜息を吐いた。





 ◆◆◆





 目を覚ましたシュウは見慣れない部屋の様子に一瞬だけ戸惑った。だが、すぐに思い出した。



(新しい家……中々に心地いい)



 霊系魔物であるシュウに肉体の疲れはない。故に睡眠は必要のない行為だ。しかし、精神を休めるためには睡眠を必要とする。眠らずとも死にはしないが、少しずつ疲弊していくのだ。

 ここ何年も、アイリスを守るためにシュウは眠っていなかった。

 思ったより精神は疲れていたらしく、意識をシャットダウンしてから一日近く経っていた。



「あ、シュウさんも起きたのですね」

「先に起きていたのか」

「アレリアンヌさんに果物を貰ってきたのですよ!」



 アイリスは両手に抱える籠を見せつけた。赤色や黄色などの色鮮やかな果物が山盛りにされている。妖精郷の恵みだ。ここでは多種多様な果実や野菜が実っている。その一部である。



「それ、貰うぞ」



 シュウは立ちあがり、籠から果物を一つ取る。

 そして魔術で適度な大きさに切り裂いた。等分された果実は、魔術で宙に浮く。シュウはその一つを取って食べた。一方、それを見ていたアイリスは溜息を吐いている。



「相変わらず無駄に技術力が高いのですよ……」

「そもそも魔術を攻撃に使うという考えが間違っている。魔術も技術の一つだ。包丁で切るのも、魔術で切るのも変わらん」

「便利ですけど、普通はシュウさんのように器用な魔術は使えないのですよ」

「そりゃ、魔術の分類が違うからな」



 アポプリス式魔術が四系統二極で属性分けしているのに対し、シュウは現象別に魔術陣レベルで分類している。今回も加重魔術で浮かせつつ、分解魔術で切断した。方式が異なるだけで、ここまで応用が変わる。

 シュウは一口サイズに等分した果物を次々と口に放り込み、あっという間に食べきってしまった。



「俺は果物だけでも問題ないが……アイリス用に肉類を調達した方がいいな」

「肉類なのです?」

「ああ。妖精郷は環境もいいし、妖精や霊たちに飼育でもさせてみるか」

「でもシュウさん。動物を連れてくるのは大変なのですよ」

「問題はそこだ。今のところは地道に一匹ずつ連れてくるしかないな。ただ、長時間の空中移動でストレス死しないといいんだが……」



 妖精郷は良くも悪くも魔物のための島だ。

 過ごしやすさに間違いはないのだが、人間のアイリスが住むにはもう少し足りない。摂取したエネルギーを問答無用で魔力に変換する魔物と異なり、人間のアイリスには栄養バランスが必要だ。不老不死の魔装で無理やり維持できなくもないが、健康的とは言えないだろう。



(肉は無理だとしても、豆は何とか揃えるか。というか、豆なら既にあるんじゃないか?)



 住処を見つければ、次は環境整備である。

 シュウは大樹神殿を出た。






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