第12話 返り討ち


 基本的にシュウという魔物は暇だ。

 魔力制御の練習、魔術の開発、ハグレ魔物の討伐を除けば特にしていることはない。それに、この三つも趣味の範囲に近いので、気が向かないならばやらない日もある。

 アイリスの休日にイルダナへと向かい、愚痴を聞いたり文字を教わったりするのが唯一の用事と言って差し支えないだろう。

 予め聞いておいた彼女の休日は午前中からイルダナに向かい、待ち合わせのカフェで時間を潰してから昼食を食べる。そして午後からは、午前と同じく文字を教わることもあれば、アイリスに付き添って買い物を手伝うこともある。

 そして今日は買い物に付き合う日だった。



「家まで運んでくださってありがとうなのです」

「別にいい。文字を教わっている礼だ」



 そう言ってはいるが、シュウとしても打算はある。

 これからもアイリスには情報源になって欲しいので、こうして良い関係を築いているのだ。特に、聖騎士である彼女からは魔物にとって有用な情報を得らえる可能性もある。意外だが、任務の内容も普通に話してくれるのだ。

 軍と異なり、教会の活動は目立つことも大事だ。

 アピールも兼ねて、聖騎士の任務に関する情報は公開されることが多い。ただし、聖騎士本人から聞ける情報の方が圧倒的に濃密なのだ。こういったところから、シュウは人間の魔装や魔術についても知識を収集していた。



「俺は帰るぞ」

「次の休日は八日後なのです。いつもの場所で待っているのですよ!」

「分かった」



 そして彼女の家の前で別れるのもいつも通りだ。

 シュウはちょっと恋人っぽいとも思ったが、相手は残念ながらアイリスだ。ポンコツさが邪魔をして女性として見るのは難しい。精々、世話のかかる妹という認識だろう。

 ちなみに、彼女は一人暮らしである。

 住んでいる家も小さな借り家であり、もう少し給料が溜まったら引っ越す予定だった。



「忘れたら見つけ出して付き纏ってやるです」

「それは止めろ」



 締まらない挨拶をして、シュウはアイリスの家を後にする。エルデラ森林はイルダナから近いとは言え、集落に帰る頃には日も沈んでいるだろう。

 元は霊体なので疲れることなどないが、精神的には疲れていた。



(女の買い物は長い……か。人間だった時の知識にもあったな)



 世界が違うからか、役に立たない知識も多い。文字や暦は覚え直したし、電子機器に対する知識は全く使えないし、魔装という未知の力があるしで驚くばかりである。

 しかし、人間性のようなものは世界が変わっても共通な部分が多かった。

 夕日に照らされながらイルダナを歩き続け、そのまま郊外まで出てエルデラ森林の方に向かう。そして太陽が山の向こうに隠れてしまう前に、森の中へと入ることが出来た。



(この辺りなら霊体化を解いても良いか)



 念のために周囲を魔力感知で確認する。シュウが魔物であることは絶対の秘密であるため、間違っても霊体化の瞬間を見られる訳にはいかない。

 そうすると、背後に小さな魔力を感じることが出来た。

 距離としてはそれなりに離れていると思われるが、念のために確認する。

 振り返って魔力を感じ取れた場所を凝視した。



(あの草陰の向こうか……)



 この魔力の大きさならば低位レッサー級の魔物だろう。

 そう考えて加速の魔術陣を使った。

 思考力によって即座に描かれた魔術陣に魔力を流し、加速魔術を発動させる。それによって、小さな魔力を発している何かを近くの大木にぶつけようとしたのだ。

 シュウの魔術陣展開速度には対応できなかったのか、何かは一方向に急加速される。そして大きな音を立てて大木にぶつかった。



「ぐあっ!?」



 それは不可視の何かだった。

 大木にぶつかった衝撃で木片が散り、木の葉が舞う。しかし、加速魔術で飛ばした対象の姿は見えず、呻き声だけが聞こえた。

 魔力の大きさから弱い魔物だと思ったが、声からすると恐らく人だ。

 シュウは気を引き締める。



「何者だ?」

「ぐ……僕の魔力隠蔽が見破られるとはね……」



 透明な何かは色を取り戻し、シュウを睨みつける。全身鎧にフルフェイスの兜まで被った騎士を思わせる見た目だった。体格から見て恐らく男だろう。

 男は忌々しそうに立ち上がり、右手で頭部の鎧を外して顔を晒す。

 その人物はシュウも知る男だった。



「お前はユミルだったか」

「僕のことはユミル様と呼べ。図々しいぞ下民」



 アイリスとカフェテラスにいた時、声を掛けてきた貴族の男だったとシュウは記憶している。その時、シュウに対して黒い感情を向けていたのも気付いていた。

 まさかこんな風に再会するとは思わなかったが。

 流石に偶然で片付けるのは無理がある。



「透明化の魔術……ではなく魔装か」

「よく分かったね下民。魔術師を名乗るだけあって、それなりの知能はあるみたいだ」

「それで……俺の後を付けていた理由は聞かせて貰えるのか?」

「理由だって? 下民がおかしなことを聞くね」



 ユミルは紳士的な笑みを、嗜虐的な表情に変えつつ告げた。



「僕のアイリスに着いていた虫を排除するのさ。あの女は僕にこそふさわしい。下賤な下民の魔術師如きが触れていい存在じゃない」

「いや、寧ろ付き纏われているのは俺の方―――」

「だから僕は貴族として、君のような邪魔者を消し去る。未来の夫たる僕の義務だよ。君のような下民がいるせいで、彼女は僕に対して素直になれないみたいだからね」

「話聞けよ」



 シュウは純粋に気持ち悪いと感じた。

 どう育てばここまで勘違いできるのか逆に興味がある。

 アイリスを見れば、彼女がユミルを嫌っているのは明白だ。何をどうすれば、そんな思考に行きつくのか理解できない。



「僕の透明化を見破ったことは褒めてやろう。だが、君はここで終わりだ。邪魔な虫はプチっと潰さなきゃいけないからね」

「お断りだ。今ならなかったことにしてやるから、さっさと帰れ」

「ふ……愚かだね。君は僕に潰される。それは確定事項なんだよ!」



 ユミルは再び兜を被り、腰に刺した剣を抜いた。

 そして魔装の力を発動し、剣以外を透明に変える。シュウは話し合いでの解決を不可能と断じ、力で排除することに決めた。

 襲われたのはこちらなのだ。

 ならば反撃するしかない。

 それが魔物としての感性なのである。



「僕の剣で掃除してあげるよ」



 ユミルが踏み込むと、シュウは即座に加速魔術陣を展開した。運動量を反転させる反射魔術であり、ユミルの剣を簡単に弾き返す。そして予想外の力が手首にかかったからか、ユミルは痛みで叫んだ。



「ぎゃっ!?」

「魔装で透明化できたとしても、剣が見えてたら意味がないな」



 シュウが近接戦闘をするならば、剣だけ見えることにも意味があった。武器を使って戦う場合、相手の動きを見切る必要が生まれる。それは手、足、視線、身体の捻りなどを観察することで瞬間的に予測し、可能としている技術なのだ。

 ところが、身体が透明化して剣だけが見えている場合、その予測が出来ない。

 それどころか、中途半端に剣筋が見えるせいで余計に乱されてしまう。

 しかし、シュウは魔術師だった。

 魔術陣の解析によって、思考力による陣の展開を可能とする魔術師だったのだ。詠唱などは全く必要なく、剣を振るよりも早く魔術を発動させることが出来るので、ユミルは惨めにも自爆してしまったのである。



「ぐ、ぐそぉ……なんなんだその魔術発動速度は!」

「だから言ったはずだ。俺は魔術師、つまり魔術の研究をしている。魔術を即時発動するぐらい余裕。理解できる?」

「そんなはずないだろう! 詠唱もなく魔術を使えるなんて、Sランク聖騎士でも殆ど聞いたことがないんだぞ!」

「知るか。出来るのは事実だ」



 どうやら衝撃を受けると透明化は解除されてしまうらしい。全身鎧姿のユミルが再び現れた。この鎧も魔装とは言え、それなりの重量がある。それを自在に扱うためには身体強化が必要だ。

 身体強化は魔力感知や魔力隠蔽と同じく無系統の魔術であり、基本の技術でもある。魔力制御技術がそのまま効果に反映されるので、如何に基礎を怠っていないかが現れるのだ。

 そして、まだ体が完全に出来上がっていない年齢であるユミルが全身鎧を使いこなしていることから、彼の身体強化はかなりのものだと分かる。その力がそのまま反射され、手首に負担がかかったのだから痛くて当然だった。



「お前もそれなりに能力はあるらしいな。身体強化もだが、魔力隠蔽も大したものだ。俺も小さな魔力しか感じ取れなかったからな。ここが何もない森じゃなければ気づかなかったかもしれない。

 まぁ、感知で見破れた時点で、俺の方が上だけど」

「下民の癖にぃ……殺す!」



 侮辱されたことが許せないのだろう。ユミルは右手の痛みを我慢して再び斬りかかる。その際に透明化することも忘れない。

 更に言えば、今回は剣も透明化した。

 つまり完全にユミルの姿が見えなくなったのである。

 しかし、シュウは落ち着いていた。



「甘いな」



 魔力は感知できるのだ。ならば、その方向に反射魔術を使えば良い。

 再びユミルの剣は弾かれた。



「ぐうぅ……」

「なるほど。今度は手首を集中的に強化したのか。Aランク聖騎士に選ばれるだけはある」

「死ね下民!」



 ユミルは馬鹿の一つ覚えのように再び剣を振り下ろした。

 勿論、透明化しているのでシュウには見えず、魔力感知が頼りとなる。

 再びシュウは反射で弾き返そうとしたのだが、次は今までと違うことに気付いた。ユミルが魔力隠蔽を解除して武器に魔力を注いだのである。Aランク聖騎士の……いや、将来はSランクもあり得ると言われているユミルの魔力が武器を纏っているのだ。



(危険だな)



 即座に判断を下し、一歩分だけ下がる。

 案の定、ユミルの剣は反射の魔術陣を切り裂き、シュウの体を掠めるようにして通り過ぎた。透明なので風圧を感じただけだったが、恐らくはギリギリだったのだろう。

 そしてこれだけの魔力を注いでも問題ない武器となれば、元から魔力の塊である魔装以外にあり得ない。



「その剣も魔装か?」

「良く気付いたね下民。僕の魔装は武器型と防具型の複合タイプ。そして透明化の力を合わせれば攻防一体の最強になれる。これが魔装も使えない貧相な下民と高貴な貴族の違いだよ!」



 思えば、衝撃をそのまま反射しても剣が壊れなかったのは魔装の一部だったからだろう。この加速魔術による反射は全てのエネルギーを反射してしまう。

 本来ならば打ち付けた時に生じる衝撃は全て剣に跳ね返り、音エネルギーや熱エネルギーになるはずだった分も同時に跳ね返される。故に反射しても激しい音はない。

 とても優秀な魔術だが、これにも弱点はある。

 それは魔術陣に流された魔力以上の魔力エネルギーを受けると破壊されることだ。

 これはどんな魔術にもある弱点であり、優秀な聖騎士であるユミルは当然知っていた。



「死ね、死ね!」



 ユミルは身体強化によって速度と力を上げている。更に透明であり、纏った魔力は魔術陣を簡単に破壊するのだ。

 流石のシュウもある程度力を出さなければならない。



(コイツを殺すとまた人間に目を付けられるかもしれないが……仕方ないな)



 シュウはユミル殺害を決意して、集中のために一瞬だけ動きを止めた。

 勿論、そこに生まれた隙をユミルは逃さない。



「これで終わりだ!」

「それはこちらのセリフだな」



 魔術《斬空領域ディバイダー・ライン》。

 一瞬にして地面に巨大魔術陣が描かれる。射程は半径二十メートルほどであり、まるで空間に斬撃が走ったかのような効果を持っている。

 更に言えば、これは領域指定の分解魔術だ。

 極薄の領域を設定し、分解によって分子結合を破壊している。同時に、分解時に生じる衝撃で二つを切り離しているのだ。

 つまり斬撃が走る魔術ではないので、鎧による防御は意味がない。魔術を阻害する魔力も、原子一個分の薄さにある領域ならば魔導『吸命』で消し去れる。

 ユミルは魔装による防御も虚しく、体内で三つの分解が発動した。

 右手首、左足、首の三か所が分断され、ユミルは即死する。



「がっ……!?」



 最後に一瞬だけ意識があったのだろう。

 その一言だけ発して崩れ落ちた。

 剣を持っていた右手が落とされたおかげで最期の一撃も弱り、左足が切断されたせいで軌道がそれた。結果としてシュウは無傷である。

 死体となった聖騎士を見下ろしつつ、シュウは呟いた。



「エルデラ森林で死体が見つかるのは拙いか。移動魔術で適当な場所に飛ばしておこう」



 期待のAランク聖騎士が森で死んでいるのを発見されると、原因解明のために大捜索が行われかねない。それによって魔物集落が見つかるのは困るのだ。

 殆ど日が沈んだ森で移動魔術陣を描き、魔力を流す。

 三つに分かれた死体と流れた血液を対象にしているため、それらはシュウの意思に従って森の外側へと飛んでいく。指定した距離は凡そ一キロ程なので、大都市イルダナの近くで見つかることだろう。

 犯人には人間が疑われるはずだ。



「さて、帰るか」



 飛んでいく死体を見送り、シュウは森の奥に消えるのだった。





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