第11話 貴族の男


 アイリスがめでたくも聖騎士になって数か月経った。今までは田舎者の魔物だったシュウも、大都市イルダナに慣れ始め、人間の常識もある程度は身に着いた。

 例えば、月日の流れである。

 これまでは太陽が昇ったか沈んだかで時間を把握していたが、今は人間風の暦を使っている。ただし、人間の暦はあまり正確ではないことも知っていた。太陽暦や陰暦のように計算された暦ではなく、大体の季節感覚や太陽の大まかな位置から経験則で作られた暦だったからだ。

 かなり正確に近い暦ではあるものの、微妙なずれがあるらしい。

 それを修正するために、何年かに一度だけ月が一つ増えたりする。

 あとは文字を会得した。

 シュウは霊系の魔物であり、テレパシーの応用で人間の言語を理解していた。しかし流石に文字は分からないので、それも習得しておいたのである。尤も、会得したのはラムザ王国周辺で使える文字だ。他国に行くならば覚え直さなければならない。

 また、ラムザ王国の文字も完璧ではない。

 今日も、シュウは本を読みながら練習をしていた。



「……アイリス。これは何て読むんだ?」

「これは『流木』ですね。川から上がろうとした主人公は運悪く流木にぶつかって流されてしまったのです」

「唐突にギャグを挟んできたなこの小説」



 そしてシュウの文字習得に協力していたのはアイリスだった。

 聖騎士として忙しくしていると思いきや、意外と休みもあるらしい。シュウはアイリスの休日を把握して、その度にエルデラ森林から出てきていたのである。

 だからこそ、特に暦を知るのは重要だった。

 こうして休日の度に二人はイルダナで待ち合わせ、近くのカフェテラスで勉強会を開いているのである。

 そのとき、アイリスが愚痴を漏らすのもいつも通りだった。



「最近は同期の皆さんも余裕が出て来たのか、私へのアプローチが続いています。別に口説くのは良いですけど、いい格好をするために任務で無茶をするのは止めて欲しいです。お蔭で陽魔術が上手くなってしまいました」

「陽魔術は回復系や結界系だったか。別に魔術が上手くなるだけならいいだろ」

「でもやっぱり視線とか態度は気になるんですよね。私以外の同期聖騎士は男の方ばかりですから」



 聖騎士は男しかいないわけではない。魔装士の中には女性もいるし、優秀な女性魔装士も多い。こればかりは生まれ持った才能が左右するので、男女差など関係ないのだ。実を言えば、世界的な常識として男女差別は全くない。

 女性であっても強い者は強く、賢い者は賢いと皆知っているのだ。

 ただ、今年は偶然にも男が多かっただけなのである。

 五人の内、女性はアイリス一人だけだった。



「新人の内は同期で任務が続きますからね。毎日毎日アプローチされれば嫌になります」

「そりゃ大変だな……これは何て読む?」

「ああ、それは『沿岸』ですね。主人公はそこまで流されたようです……私も女なのでいつかは結婚したいと思ってますよ? でも、私にも選択権はあるというか……」

「なんだ? 強引な奴でもいるのか?」

「はい。ユミルと言うのですが、ちょっと気持ち悪いんです」

「というと?」

「会うたびに、『僕の伴侶になる決心はついたかい?』とか『将来のSランク聖騎士に従え』とか『君の幸せは僕と共にあることだ』とか語ってくるんです。しかも帰り際にはしつこく見送られるし、勝手について来て食事やお茶に誘ってくるし……」

「いや、それは普通に訴えていいだろ」



 明らかに迷惑行為である。

 完全なセクハラ案件だ。



「でも、彼が優秀なAランク魔装士であることも事実なんですよねー。はぁー」

「ユミルって奴が優秀だから、処罰し辛いってことか?」

「ラムザ王国はいつだって魔装士が不足していますから」



 土地が豊かであるとはいえ、ラムザ王国は小国なのだ。更に言えば神聖グリニアの属国でもある。国力に直結する魔装士も少なく、Aランク魔装士ともなれば優遇されて当然だった。



「それにユミルが特別酷いだけで、他の三人からも地味にアピールされているんです。鬱陶しくて仕方ないのです」

「上司に相談したらどうだ?」

「強い魔装士は次代にその血を残す義務がありますから、難しいです」

「力を持つ魔装士同士でくっ付いて子孫を残せってことか」

「端的に言えばそうなります」



 強力な魔装士が少ない国だから余計にその風潮があるのだろう。聖騎士は国を越えて教会に仕える魔装士ではあるが、基本的には所属する国家のために力を振るっている。教会全体で恐ろしく強い魔物を討伐するなどのことが起こらない限り、国を越えて聖騎士が活動することはない。

 つまり、聖騎士の力も国家の力なのだ。

 次代に強い魔装士を残すために、女性は早婚が求められたりする。

 尤も、不老不死の魔装を持つアイリスには無縁の話だ。いつまでも全盛期の若さを保っていられる彼女からしてみれば、急いで結婚する意味などない。全世界の女性を敵に回しかねない恐ろしき異能だった。



「私は好きな人と恋愛結婚したいのです。あんな気持ち悪いのはノーサンキューなのです」

「そうか。まぁ、困ったことがあれば少しは協力しよう。文字を教えて貰っている礼だ」

「なら、あの魔術を教えて欲しいです」

「だからあれはお前には使えないと言っているだろ」



 どうやらアイリスは《斬空領域ディバイダー・ライン》のことを諦めていなかったようだ。シュウが呆れつつ手元に小説に目を落とす。既にこのやり取りは何度も行われており、流して無視するのが一番だと分かっていたからだ。



「教えてくれたっていいじゃないですかー」

「別に盗むのは構わないと言ったはずだ。欲しければ再現して見せろ」

「困った時は手伝ってくれるって言ったです」

「それとこれは別の話だ。あ、これは何て読むんだ?」

「『海底都市』です。『海底』と『都市』を組み合わせた造語です」

「あ、ホントだ。教えてくれてありがとう」

「だったら、私にも魔術を教えて欲しいのです」



 アイリスは頬を膨らまして抗議する。

 しかし、それでもシュウは《斬空領域ディバイダー・ライン》を教えない。そもそもアイリスには使えないのだから教える意味がない。つまり、アイリスが使えるようになりたいならば、別のアプローチで自分なりの方法を見つけ出す必要があるのだ。

 シュウが教えないと言っているのはそういう意味もある。

 ただ意地悪や情報秘匿の意味だけで教えていないわけではないのだ。

 これでも、アイリスに対して多少の愛着はある。

 更に言うならば、シュウはこのやり取りを少し楽しんでいた。



(会話できる相手ってのは貴重だからな。魔物たちだと、こんな会話は難しいし)



 基本的に、魔物集落でするテレパシーの会話は報告ばかりだ。何匹の小鬼ゴブリンが生まれたとか、どこどこで大量の木の実を見つけたとか、進化した個体がいるとかの情報を義務的に知らせてくれる。

 しかし、アイリスとやっているような人間的会話は全くと言ってよいほどない。

 元人間の知識もあるので、こういった会話を心地よく感じていたのである。

 だが、シュウの小さな楽しみを邪魔する者が現れた。



「おお、アイリスじゃないか。偶然だね」

「……ユミルですか」



 シュウとアイリスが座るテーブルの横に立って声を掛けてきたのは、青年になりかけの少年と言った良い風貌の人物だった。貴族のような衣装を着ており、身分の高い人物だと分かる。

 そしてアイリスが彼をユミルと言ったことから、シュウもその正体を看破できた。



(例の聖騎士君か。噂をすればなんとやら……だな)



 貴族であったとしても、次男以下は家を継ぐことが出来ないので自立する必要がある。その時、才能ある者は魔装士を目指すことがあるのだ。ユミルもその一人だった。



「そうだアイリス。これから僕と食事にでも行かないか? 丁度昼時だからね」

「結構なのです。私はシュウさんと過ごす予定ですから」

「シュウ? もしやこの貧乏臭い男のことかな? そんなものは放っておけよアイリス。君はその辺の石ころには勿体ないほどの女性だ。僕のような宝石とも言える男と共にいるべきだろう?」



 あまりにも傲慢で自信過剰な言い方にアイリスは険しい表情を浮かべる。師匠だと思っているシュウのことを貶されるのは面白くないのだろう。

 一方、シュウはあまり気にしていなかったが。



「シュウさんはそんな人じゃないです。私の魔術の師匠です」

「こんな男が魔術を? 冗談はよせアイリス。幾ら僕でもそれは笑えないよ? 第七階梯を使いこなす天才の君に教えることが出来るなんて、信じられないな」

「本当なのです」

「ふーん……」



 アイリスがあまりにも真剣な表情で答えたからだろう。ユミルはシュウに興味を持った。



「やぁ、挨拶が遅れたね。僕はユミル・バラードだよ。バラード子爵家の四男にして、いずれSランクになる聖騎士さ。覚えておくといいよ下民」

「そうか。俺はシュウ・アークライト。魔術師だ」



 魔装士と異なり、魔術師は学者的な面が強い。魔術の理を研究する者であり、魔装士と非魔装士が関係なく名乗ることの出来る職だ。

 知者であることが多いので、魔術『士』ではなく魔術『師』と呼ばれているのだ。

 勿論、ユミルも魔術師を名乗る意味は理解していた。



「なるほど。ただ者じゃなかったようだね。ちなみにどんな研究をしているんだい?」

物質変換についてだ」

「ああ、土を金に変えるってやつだね」

「俺が挑戦しているのはそれではないが、大まかにはその通りだな」



 それを聞いたアイリスは意外そうな目を向ける。シュウが対外的に魔術師を名乗っているのは知っていたが、どんな研究をしているのか初めて知ったのだ。そして物質変換は古来から研究されている土属性の魔術分野でありながら、殆ど進展がないことで知られている。

 あまりにも難易度が高すぎてマイナーな分野となっているので、シュウがそれに挑戦していると知って少し驚いたのである。



「シュウさん、そんなこと研究してたのです?」

「言ってなかったか?」

「聞いてないです」



 シュウが物質変換を研究しているのは、とある魔術に必要だからである。《斬空領域ディバイダー・ライン》を遥かに超える大魔術であり、人間が敵に回った時、使うこともあるだろうと考えて構築している。

 推定威力と術式の構成は既に算出しているので、後は実験をすればある程度の完成となる。

 勿論、アイリスにすら言うつもりはなかった。

 白々しく聞き返したのもわざとである。

 そして意外なことに、ユミルはシュウに対して興味を持ったようだった。



「中々有意義な分野を研究しているそうじゃないか。頑張り給え下民」



 そんな言葉を最後に彼は去って行く。

 想像以上にあっさりとした引き際だった。これにはアイリスも目を丸くしている。普段はもっと粘着質で鬱陶しいので、今日のように引き上げていくのを見て驚いたのだ。

 しかし、シュウは気付いていた。

 ユミルの持った興味が善意に傾いた感情ではなく、ドロドロとした嫉妬と悪意の塊であることに。












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