第7話 少女


 シュウは偶に迷いながらも数か月かけてエルデラ森林へと到着した。そして精霊エレメンタルとなって強化された魔力感知を使い、強い魔物を見つけて即座に討伐。

 小鬼王ゴブリン・キングという高位グレーター級の鬼系魔物、高位豚鬼ハイ・オークという高位グレーター級の豚鬼系魔物を倒したことで、一気に森の主へと成り上がった。

 これら二体の配下だった鬼系と豚鬼系魔物はシュウを主として纏まる。

 知らぬ間に魔物たちのコミュニティを統率することになっていた。



「うーん……思ったより暇だな」



 聖騎士を殺害してしまったことで、色々と目立った動きがし辛くなっている。ほとぼりが収まるまでは大人しくしていることに決めたのだが、実際に大人しくしていると結構暇だった。

 エルデラ森林の奥に鬼系と豚鬼系の魔物たちが大集落を作り、シュウはそこのまとめ役として君臨している。魔物に政治という概念はなく、集落の主は強者として存在するだけでよい。よってやることもなく、暇だったのである。



「せっかく実体化したけど、やることと言えば魔術を練習したり棒を振るぐらいか」



 一応、魔力制御の特訓は毎日しているし、暇をつぶすために小鬼ゴブリン高位小鬼ハイ・ゴブリンに混ざって棒を振ったりしている。残念ながらシュウには武器を扱う才能がないらしく、あまり成果は上がらなかった。

 喧嘩をする魔物たちを仲裁したり、ハグレの強い魔物が来たら討伐したりするぐらいで、基本的には平和な日々を過ごしている。ちなみに、実体のある魔物は、食事によってエネルギーを魔力に変換し、溜めることが出来る。それほど多くはないのだが、普通の魔物はこれによって自分たちを維持しているのだ。魔力の塊でしかない魔物が食事を必要とするのは、これが理由である。

 強いて言うならば、シュウのような霊系魔物は『吸命』が食事の代わりなのだろう。

 最近は実体化を得たことで、そのことに気付いた。

 これが、エルデラ森林に来てから半年の話である。



(シュウ様、報告します)

(ん? ああ、中鬼ホブゴブリンか)

(人間が森の浅いところまで侵入してきました。小鬼ゴブリンが何体かやられました)

(いつものことだな。まぁ、仕方ないか)

(はい、仕方ありません)

(報告ありがとう。人間が奥まで来たら俺が出よう)



 そんな報告だけして中鬼ホブゴブリンは去っていく。

 ちなみに、殆どの魔物は言葉を話すことは出来ない。基本的に身振り手振りが言語代わりだ。しかし、シュウは霊系の魔物である。思念を飛ばすことで、会話をすることが可能なのだ。

 これも『吸命』と同じく、魔導の一種であるらしい。

 これによって、シュウは異種族でありながら、集落の主をしていたのである。



「また、小鬼ゴブリンがやられたのか。でも、先週は三人ほど生まれていたし、そんなもんか?」



 そしてシュウは小鬼ゴブリンが人間に殺されたと聞いても特に怒ったりはしない。基本的に、この集落の魔物たちには、森の浅いところに行かないようにと言い聞かせているのだ。それを破って勝手に殺されたのならば、仕方ないで済ませている。

 集落自体はエルデラ森林の奥にあるので、人間たちも来ることはない。

 そして人間が森の奥まで来ないならば、こちらからも何もしない予定なのだ。

 実を言えば、このエルデラ森林の近くに大きな都市がある。森林で採取できる薬草を加工するのが主な産業であり、そこには魔装士教育機関もあるのだ。エルデラ森林には魔装士候補生が実地訓練でやってくることもあるので、あまり余計なことをすると、以前の二の舞となる。

 だから、シュウは人間に攻撃しないことを決めていた。

 勿論、攻撃されたらやり返すが。



(またハグレ魔物がいないか見回ってくるか……)



 シュウは霊体となって浮遊し、集落から出ていく。これは日常的な光景なので、集落の魔物たちも気にしたりはしない。寧ろ、手を振って送り出していた。

 彼らも、シュウに守られていることは分かっているのである。



(魔力感知を広げてっと……)



 シュウは森の中へと向かい、獲物を探すのだった。











 ◆◆◆










 エルデラ森林の中層で一人の少女が走っていた。

 その遥か後方には黒い影が疾走しており、少女を追いかけている。



「はぁ……はぁ……っ!」



 息を切らす少女はボソボソと呪文詠唱を始めた。同時に魔術陣が展開されていき、徐々に形を成していく。しかし、発動直前となって魔術陣は砕けてしまった。

 発動の失敗である。



「う……やっぱり」

「グルルルル……」

「わ! 追いつかれちゃう!」



 必死に逃げる少女を追いかけるのは人型の魔物だった。それは狼が二足歩行したような姿であり、狼人コボルトと呼ばれている。強さのランクとしては中位ミドル級だ。

 そして中位ミドル級とはDランク魔装士が一人で討伐できるという程度を表す。

 魔装士からすれば普通程度の魔物だが、そうでない者からすれば危機感を覚える強さを持っているのだ。



「うぅ……私みたいな落ちこぼれじゃなくて、もっと優秀な人の所に出てきてよぉ」



 泣き言を叫びながら逃げる少女の眼には涙が溜まっていた。

 彼女は魔装士候補生であり、その中でも落ちこぼれだった。更に言えば方向音痴だった。エルデラ森林に入ったところまでは良いのだが、迷子になって中層域まで知らぬ間に入り込み、ハグレの魔物に出くわして追いかけられたのである。

 そして身体強化も使えない少女が中位ミドル級の魔物から逃げられるはずがない。

 追いつかれ、鋭利な爪で背中を切り裂かれた。



「あああっ!?」



 焼けるような痛みを感じて、少女は転んでしまう。

 背中は服が破れ、三条の傷が痛々しく刻まれていた。赤い液体が滴り落ち、地面を濡らす。



「グルル」

「う……痛い」



 逃げる獲物が足を止めたからか、狼人コボルトはゆっくりと少女に近寄り始めた。狼人コボルトは獲物を甚振って遊ぶ残酷な性格をしており、追い詰められた獲物が上げる悲鳴を愉しむ。少女も近寄ってくる狼人コボルトの姿を見て思わず悲鳴を上げた。



「ひっ……」



 そして少女は再び走り出す。

 これには狼人コボルトも驚いた。

 背中を大きく傷つけたので、暫くは痛みで動けないと思ったのだ。しかし、少女は今まで通りの勢いで走っている。

 よく見れば、彼女の背中からは既に血が流れていなかった。



「グルルルル!」



 だが、狼人コボルトからすれば好都合である。

 より長く狩りを楽しめるからだ。

 今度は落ちていた石を拾い上げ、それを投擲する。コントロールは意外にも上手く、大人の手にすっぽり収まる程度の石は少女の左腕に直撃した。



「うあああああ!」



 少女は痛がって再び転ぶ。

 しかし、すぐに立ち上がってまた走り出した。

 狼人コボルトはその身体能力を発揮して追いかける。人と魔物には絶対的な差があるので、少女は決して逃げ切ることが出来ない。



《せめて……強化の魔術が使えれば……》



 残念ながら、自分は落ちこぼれなのだ。

 そんな魔術を使うことは出来ない。逃げるときは素の身体能力で勝負するしかない。たとえ、魔物相手では勝負にならないと分かっていても。

 少女は再び追いつかれ、狼人コボルトは彼女の腕を掴む。

 強い力で掴まれた少女はバランスを崩して倒れそうになった。しかし、腕を掴んでいる狼人コボルトが少女を支える。



「痛い!」

「グルルルル……グルオオ!」



 狼人コボルトの強い力で腕を掴まれた少女は表情を歪めた。そんな彼女の苦しむ姿を見たいのか、狼人コボルトは更に力を込める。

 少女の腕はあっさりと折れた。

 バキリ、ミシミシと嫌な音がして、すぐに少女は激痛を覚える。



「うあああああああああ!?」



 逃げようとするが、腕を強い力で掴まれたままなので、痛みが増すだけだ。

 更に狼人コボルトは鋭い牙で、彼女の肩に咬みついた。



「あ、くぅ……うううううっ!」



 もっと痛めつけたいと狼人コボルトは考えるが、やり過ぎると少女は気絶してしまう。そうなってしまえば面白くない。

 そんなことを考えて、狼人コボルトは少女を離した。

 肩から牙を離され、腕を解放された少女は地面に倒れ込む。激痛を必死に堪えている姿を、狼人コボルトは嬉々として眺めていた。

 すると、少女の体に驚くべきことが起こる。

 折れて腫れ上がっていた少女の腕が急速に治癒し、更に出血が酷かった肩の傷も綺麗に修復されてしまったのである。



「グル……ゲハハ」



 狼人コボルトは驚いたが同時に歓喜した。

 壊れない玩具が手に入ったのだ。

 これは遊び甲斐がある。

 そんな狂気的笑みを見た少女は、恐怖で顔を引き攣らせた。



「いやぁ……助けて……」



 そんな声に応えてくれる者はいない。

 少女は一人で森に入ってきたのであり、助けてくれる仲間など初めから存在しないのだ。そしてエルデラ森林の中層まで来る人は滅多におらず、期待するだけ無駄だと分かってはいた。

 だがしかし、この世において幸運と不運というのは意外とバランス良くなっている。

 森で迷い、狼人コボルトと出会ってしまった不運を払拭するかのような幸運が彼女を訪れた。



「獲物発見っと」

「ギギャッ!?」



 そんな声と共に上空から何かが落ちてきて、狼人コボルトを踏み潰した。



「よし、魔力吸収完了」



 エルデラ森林にやってくるハグレ魔物を狩っていたシュウ・アークライトが偶然にも現れたのである。シュウは踏みつけて気絶させた狼人コボルトから『吸命』で生命力を奪い取り、魔力に変換して自分に蓄積する。

 死体となった狼人コボルトは、数日もすれば魔力となって霧散するだろう。

 そこまでやって、シュウは後ろで腰を抜かしている少女に気付いた。



「………」

「………」

「………やぁ」

「………ど、どうも」



 シュウはどう声を掛けたらよいのか分からず、とりあえず短い挨拶をした。少女も少し間をおいてから返したが、戸惑いが強くみられる。



(まさか人間がいるとは……魔力感知では重なって一つ分に見えていたからな。気付かなかった)



 実は、シュウの魔力感知はまだ精度が低い。

 かなり近づいていた少女と狼人コボルトの魔力が重なって知覚されたので、シュウは少女の存在に気付かなかったのだ。

 とはいえ、シュウとしては人間に対して危害を加えるつもりはない。



「じゃ、そういうわけでサヨナラ」



 シュウは実体化したまま、森の奥に戻ることに決めた。少女の見ていないところで幽体化すれば、あとは浮遊して帰れる。

 しかし、少女は即座に立ち直り、シュウを呼び止めた。



「ま、待って下さい」

「……何?」

「お礼を言わせてください! あと、名前を教えて欲しいです!」



 それぐらいなら良いか、とシュウは考えて立ち止まる。

 すると少女は立ちあがり、少し破れて乱れた服を直してから頭を下げた。



「助けてくれてありがとうございます」

「ああ、いいよ。俺はシュウ・アークライトだ」



 これがシュウ・アークライトと少女の出会いだった。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る