第2話 ゲームが始まった

 



 途切れた時と同じ様に唐突に意識が戻った。



 瞼を透かして陽光が差している。


 体の感覚から、柔らかい地面に横たわっているのが分かった。


 草と土の匂いが鼻腔を刺激し、優しく暖かい風が頰を撫でる。

 周囲にある草花はゆらゆらと揺れて腕をくすぐった。



 このまま瞼を開かなければ眠れる位の気候である。



 ふと、微かな音が聞こえた。

 此処からかなり遠い場所の喧騒、どうやら人間・・は近くに居ないらしい。


 カサリ、と草花を掻き分ける小さな足音が聞こえた。

 その音は少しずつ近付いて来て……それが頭の上に来た所で僕は瞼を持ち上げた。



 プニ。



「ニャ?」



 僕の額に肉球が押し付けられる。


 真っ黒な猫。


 その紫水晶アメジストの瞳と目があう。



「ニャニャ」



 猫はそれだけ言うと、顔を踏み、胸を踏み、僕の上を通過した。



 取り敢えず起き上がり、若干の動作の鈍さに顔を顰めつつ周囲を見回す。


 ……どうやら僕は……人があまり来ない場所、にいるらしい。


 石造りの大きな建物は長い蔦が絡まり、所々に傷があって、汚れが目立つ。近くにある柵は錆が付いている。

 遠くに見える噴水は、ひび割れから水がちょろちょろと流れており、その水を飲みに来たらしい小さな鳥が二羽。



 ……人の手から離れて久しい廃墟に放置された様だ。



 服装は先に見たアバターの通り旅人風、腰にはナイフがあり、横には革の袋が転がっている。


 袋を開けると中には、小さな銀貨が一枚と緑色の液体が入った小瓶が三つ。



「……ふむ」



 どうすれば良いのか全くわからない、そもそも他のプレイヤーは何処にいると言うのだろうか。


 困りながらも立ち上がると、先程の黒猫が目に入った。


 尻尾をふりふり何処かへ向かう猫。


 何の糸口も無い状況だ、取り敢えず付いて行こう。



 僕はゆっくりと歩く黒猫を追い掛けた。





 僕が付いてきている事に気付いている黒猫をしばらく追い掛けた所で、黒猫は大きな建物の開け放たれた窓の中に入っていった。


 窓のある位置は、僕が手を伸ばしても届かない程高い。驚く程の跳躍力だ。



 だが、幸いな事に街の喧騒は近い。



 大きな建物を迂回し大きな扉の前まで来ると、通りに人が歩いているのが見えた。


 今までの道は剥き出しの土であったりひび割れた石畳だった物が、今居る場所は綺麗に舗装されている。


 道行く人は、僕と同じ様な旅人風の服であったり、地味な色合いの古ぼけた服を着込んだ母娘であったりした。


 おそらく前者が僕と同じプレイヤー、後者がノンプレイヤーキャラクターだろう。

 だが、嬉しそうに母の手を引く少女と、それを微笑ましげに見守る母。はっきり言って、生きている・・・・・様にしか見えない。



 背後で扉の開く音が聞こえた。



「おや、珍しい。お客さんかの?」



 振り返ると其処には白い髭を蓄えた爺様がいた、灰色のローブを身に纏い、言うなれば老魔道士と言った所だろうか?



「よく見ると別嬪さんじゃのう、茶でも飲んでいかんかね?」



 爺様は優しげにニコリと笑うとそんな事を言って来た、見た目だけは好々爺と言えるだろうが、ほんの僅かな瞬間に僕の全身を見たのが分かった。


 特に重点的に見ていたのは腕と脚と腰だ。

 これだけ聞くと発言からして唯のエロ爺だが、その実、腕と脚は筋肉のつき方を、腰はナイフを見ていたのだろう。


 ゲーム開始最初に話しかけられた相手が只者ではない。



「ああ、そうだね、お邪魔させて貰うよ。ところで爺様、此処は何の施設なんだい?」

「此処は図書館じゃよ、儂は此処の管理人みたいなもんじゃのう」



 図書館、つまり本だ。

 本とは情報であり、図書館とは情報の塊である。


 タクは言っていた、ゲームの基本は情報収集だ、と。


 入って損はないだろう。



「爺様や、僕は一応男だよ」

「おや、驚いた」



 図書館の中に入る際に誤解を解いておく、すると爺様は特段驚いた様子を見せずにそんな事を口走った。





「おお……」

「凄いじゃろ?」



 爺様は驚く僕に嬉しそうにそう言った。


 事実として凄い、その蔵書量が。


 見渡す限り本と本棚、それが大きな建物のずっと奥まで続いている。



 爺様は笑顔のまま、奥へと歩いて行く。


 しばらく付いて行くと、奥には扉が一つ。


 爺様は扉を開けると中へと入った。僕もそれに付いて入る。



 其処は静かな図書館とは打って変わって生活感の溢れる部屋だった。


 椅子に机、クローゼットに小さな本棚、キッチンの様な物もあり、その近くにもう一つ扉があった。寝室だろうか?



「今茶を淹れるからの、座って待っていなさい」



 爺様に促されて椅子に腰掛ける。



 爺様がお茶を淹れている間に周囲の観察をしておこう。


 周りを見回そうとして、ふと、本棚に目がついた。



 ……本が……光ってるんだけど……。



 本棚にある一冊の本が白く輝き明滅しているのが目に入った。


 流石ゲームである。



 思えばこのゲームは奇妙だ。


 例えば草や土の匂い、例えば陽光による陰影、極め付けはNPCの感情豊かな表情。


 これは本当にゲームなのだろうか? 夢を見ていると言われた方が現実味がある。



 そんな考察をしていると、唐突に入り口ではない方の扉が開いた。



「ニャ、戻ったのニャ?」



 出て来たのはローブを纏った二足歩行の黒猫、その|紫水晶(アメジスト)の瞳と目があった。


 その瞳は驚愕に見開かれ——



「ニャ、ニャー」

「いや今喋った」

「ニャ!?」

「ほっほっほ」


 爺様の楽しげに微笑む声が響いた。





 紅茶を啜り、同時に出されたクッキーを齧る。


 飲み込んだ紅茶が喉を通りお腹に入ったのが分かった、クッキーの素朴な味は味覚を刺激し唾液を出す。



「ズズ……で、どうして僕を?」



 主語の抜けた質問、だが、分かるだろう。



「さて、何の事やら」

「偶然だ、なんて言わないだろう?」



 猫ちゃんは机の上でクッキーを齧っている、猫舌なのか湯気を立てる紅茶には手を付けていない。



「ふむ、冗談じゃよ」



 そう言うと、爺様は話し始めた。



 

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