依代編
第14話 神様
その日は大雨が降っていた。雨音であらゆる音がかき消されている。日本の山奥にある、村から少し離れた山道を、2人の少年が走っていた。年齢は8歳と10歳であり、2人は兄弟であった。雨の中傘もささずに走っているため、2人ともびしょ濡れになっていた。びしょ濡れになった浴衣は重りのようになり、2人を苦しめていた。足元は泥が跳ねて汚れている。
「兄ちゃん、もう僕、走れないよ・・・・・・」
弟の方の足が止まり、兄が振り返って弟のところまで走って戻る。
「頑張れ!諦めたらダメだ!」
兄が声をかけるが、弟は動くことができない。もう1時間以上走り回っているのだ。仕方ないだろう。兄ももう限界が近づいている。だがここで止まっては死んでしまう。殺されてしまう。
「おんぶしてやるから乗れ」
そう言って兄は弟を背負い、走り出した。しかし兄の方も限界を迎えているため、弟を背負って早く走るなど到底無理だった。早歩きくらいのスピードで進みながら隠れられる場所を探す。
あと1時間。あと1時間逃げ切れれば助かる。
背後から物音が聞こえた気がした。激しい雨音に紛れていたため、聞き間違いかもしれない。そう思いながらも鳥肌が立っていた。振り返ったら、いるかもしれない。振り返るのが怖かった。だが振り返らなければ。確認しないことこそ危険だ。
おそるおそる振り返る。
「わああああ!」
無意識に悲鳴をあげていた。人の姿を捉えたからだった。刀を持った男が迫ってきている。
逃げろ逃げろ逃げろ!
強張っている自分の体にそう言い、無理やり体を動かした。しかし足がもつれ、2人は泥の上で倒れた。投げ出された弟は兄よりも前に転がって倒れた。痛みに呻いていると、兄の悲鳴が聞こえてきた。声の聞こえた方に視線を向けると、男に腹を踏みつけられて逃げ出せなくなっている兄の姿が見えた。兄は泣き叫びながら暴れているが、大人の力には敵わず逃れることはできなかった。男は刀の先を兄に向ける。
「兄ちゃん!」
悲鳴のような声でそう叫んだ。兄ははっとしたような顔をしたあと弟の方を向いた。
「逃げろ!逃げろー!」
兄の声に気圧される。兄を置いて?1人で逃げる?
「逃げてくれ!」
叱るような、懇願するような複雑な声で叫んだ兄の姿を見て、体が無意識に動き出した。
兄を見捨てようと思ったわけではない。だが体が勝手に動いてしまった。
今僕は、兄を見捨てて逃げている。
後ろから兄の泣き叫ぶような悲鳴が聞こえた。それが一瞬途絶えた後、今度は呻くような声に変わり、そこから先は雨音で聞こえなくなった。
涙が溢れ出していた。兄は殺されたんだ。今、僕のすぐ近くで。
絶叫しながら走っている弟の背中を誰かが掴んだ。前に進めずそのまま地面に倒れる。腹を踏みつけられたところで、さっきの兄の姿を思い出し、自分はあの男に捕まったのだと理解した。逃げ出そうともがいてみるが無駄だった。男は刀を構えて切先を弟に向ける。
これから僕はさっきの兄のように殺される。
恐怖に支配されて発狂しそうになる。
「嫌だ!助けて!お願い!良い子にするから!」
そう叫んでみるが、男が止めることはなかった。
雨は弱まる気配を見せず、雨の勢いは増していった。
「やっと着いたねー」
背伸びをしながらリンファが言う。リンファの後ろからアニクが顔を出す。
「ずいぶん山奥まで来ちゃったからね」
「リンファ運転お疲れ様。疲れてない?」
ソーンがそう言うと、リンファは「ちょっと疲れたけど大丈夫!」と答えた。
空港からここまでは車で移動してきた。全員免許を持っているがリンファが運転したいと言ったため、ドライバーはずっとリンファだった。
「途中で変わってあげるって言ったのに」
アニクが言ったが、リンファは「運転好きだからいいの」と笑顔で言っていた。
「でも急にドリフトするのはやめて欲しいんだけど」
ソーンが苦笑いするが、リンファは首を横に振る。
「ドリフトはかっこいいじゃん。運転するなら絶対やりたいよ」
「リンファが好きなのはドリフトじゃなくて、ドリフトにびっくりしてる僕らの顔でしょ」
「そんなことないよー。まあ、あの時のみんなの顔が可愛いのは認めるけど」
「すごいニヤニヤしながら見てるもんね」
ソーンはこれから進む道を見た。車が通れないほど細くて険しい道がここからは続く。
「まだ村までは距離があるんだよね?」
ユリが隣に立ってそう言った。ソーンは地図を広げて場所を確認する。
「そうだね。約1時間くらいかな。山道だからもう少しかかるかも」
「結構かかるよね。それに、この車」
アニクがそう言いながら視線を横に向けた。ソーンたちが乗ってきた車の隣にもう一台車が止まっている。軽自動車で、車内にはぬいぐるみが置いてあったり、可愛らしく装飾されていたりした。
「大学生くらいの若者って感じだけど、村に向かったのかな」
アニクが車内を見ていると、シャルロットもやってきて中を確認した。
「・・・・・・心配ですね」
「そうだね。この子たちが神様って奴に目をつけられたら危ないかもしれない。早く行こう」
5人は山の奥へと進んでいった。
「神のいる村・・・・・・」
村の入り口のところで4人の女子大生が立っていた。前髪で片方の髪が隠れている明石ゆかりがキリッとした表情で先頭に立ち、ニヤリと笑った。
「都市伝説ハンターの血が騒ぐぜ」
その2メートルほど後ろに3人が立っており、金色に染めた髪の前髪を縛ってあげている小柄な鈴木美梨と、ストレートパーマをかけた長髪を触りながら苦笑している光峰冬実が呆れたような表情を浮かべていた。
「都市伝説ハンターって何?」
美梨が特に興味はなさそうに言う。
「さあ、なんだろうね」
冬実もあまり興味はなさそうだった。そんな3人を微笑ましそうに見ているのが、北村沙雪だった。
「本当に肝試しとか好きだよね、ゆかりちゃん」
沙雪の艶のあるセミロングの黒髪が風に揺れる。
「大学の休みの日を肝試しに使わないなんて時間の無駄だよね」
ゆかりが真剣な表情で言ったが、冬美に「諸説ありそうだな」とつっこまれる。
「まあ、付き合ってる私たちも結構物好きだよねぇ」
美梨の言葉に冬実は笑いながら「まあね」と呟く。
神のいる村に行こうとゆかりが言い出したのは1週間前だった。怖い話や都市伝説のようなものが好きなゆかりがこういった話を持ってくるのは日常茶飯事だったが、実際に現場に行くというのは珍しかった。稀にそういう提案をしてくることがあり、実際に行ってみると大したことも起きずにがっかりして帰ってくることになるというのが恒例だったというのが理由なのかもしれない。今回は強く興味をそそられたのか、それとも本物だと思う何かがあったのかは沙雪には分からなかったが、ゆかりはどうしても行きたいとゆずらなかった。
4人が車を降りて山道を歩き出してから、1時間ほど経っていた。予定ではそろそろ村に着くはずだったがなかなか村は見えてこない。細い山道を息を切らしながら歩くことさらに10分、突然村は姿を現した。
「あ、着いた!」
木の間から村らしきものが見えてゆかりは声をあげた。細い山道を抜けると、開けた場所があった。その先に吊り橋があり、その吊り橋を渡るといくつか家がある。奥には鳥居のような門と階段があって、その階段の上には大きな屋敷が見えた。門の前には坂道があり、かなり下の方まで降りられるようだった。その坂道の先には池があるのが見える。坂道の隣にはさらに奥に進める道があり、そこを進んでいくとまたいくつか家がある。そこが主に村人たちが生活をしている場所なのかもしれない。そこには沙雪たちが来た道とは別の山道に入っていく入口もある。あの道はどこに続いているんだろうと沙雪が考えていると、頭にキャップを被せられた。見ると冬実が立っていた。
「まだ知名度は低いとはいえ、一応さっちゃんは女優なんだからさ。多少は変装しときな。天才女優だとかってテレビでたまに言われてるじゃん」
「そ、そう言ってくれる人は確かにいるけど・・・・・・。恥ずかしいよ」
「あら、否定はしないんだね」
沙雪はそう言われて恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「・・・・・・演技だけは自信があるから。私の取り柄はそれだけだもん」
「それだけってことはないでしょ」
「えへへ、ちょっと言い過ぎたけど」
そんなことを言いながら笑い合っていると、後ろから声をかけられた。
「あれ?君たち村の子達かな?」
振り返るとスポーツマン風の若い男と、ボサボサの髪と目の下のくまが特徴的ないかにも暗そうな男の2人が立っていた。
「僕ら記者なんだけど、ちょっと話を聞かせてくれないかな」
記者という言葉を聞いて、沙雪が帽子を深く被って冬実の陰に隠れた。
「記者?」
冬実は沙雪を隠すように立つ。
「あー、私たちただの旅行者なんです」
笑顔でそう言ったゆかりを、若い男は不思議そうな顔で見た。
「旅行?こんな村に?神様がいるって話聞いたことないの?」
「その神様を見てみたくて」
「ああ、肝試し的な感じかな。でも神様は危険だから気をつけたほうがいいよ」
若い男は苦笑しながら言う。
「なんの取材に来たの?」
美梨が質問すると、若い男は笑顔で答えた。
「もちろん神様さ。君たちと同じ。と言っても、僕らの場合はPSIが動き出したっていう情報が入ったっていうのもあるんだけどね」
「PSI?」
「そう。知らない?超能力犯罪対策班」
「それって、神様っていうのが超能力者ってこと?」
「その可能性もあるってことだよ。とにかく、面白いことが起きるんじゃないかって思ってここまで来たってわけさ」
そこで沙雪は視線を感じて、その方向に目を向けた。すると、もう1人の記者の暗そうな男が沙雪をじっと見ていた。沙雪が顔を隠すように下を向いたが、それでも男は見つめてきた。
「先輩!さっそく村に突撃しますよ!」
若い男がそう言ったため、男は沙雪から視線を逸らして歩き始めた。
「じゃあ僕らは行くよ。君たちも気をつけてね」
記者2人はそう言って村の中へと入っていった。記者の姿が見えなくなってから、冬実は「記者がいるのやりづら・・・・・・」と呟いた。
「そうだね・・・・・・」
沙雪が答えたところで、ゆかりが「ねえ隠れて」と小声で話しかけてきた。今来た山道に引き返して木の裏に隠れる。一体何なのかと思っていると、ゆかりは指をさして言った。
「ほら、あれが神様じゃない?」
ゆかりの指さす方を見ると、長い白髪と白い髭の80歳くらいの男が歩いているのが見えた。
その男こそが、神様と呼ばれている松陽院高重だった。
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