第8話 鷹
「じゃあおじさん、約束の情報を教えて」
「そうだね。じゃあ、もうちょっと人目につかないところの方がいいだろうし、もう少し街から離れたところまで行こう。他人に聞かれるわけにはいかないからね」
アンナと組織の男が会っていた時の事を思い出す。フラッシュバックのように映像が次々と頭の中に甦ってくる。
「小柄で性別は分からなかったんじゃなかったんでしたっけ?」
「あれぇ、おじさん?」
「あれ?」
「あの情報屋、結局全部嘘ばっかり言ってたね」
「私には分かるんだ、あれは鷹なんだ……」
何かに気づいたようにアランが顔を上げた。目を見開いたまま、表情が固まっている。
もしかして、そういうことなのか……?
アンナが周りを警戒しながらアランに近づいてきた。
「アラン、終わったの?」
アランはゆっくりとアンナの方へと顔を向けた。それから何かを言おうと口を開きかけて、躊躇するように一度口を閉じた。それから少し迷っているような顔をした後、もう一度口を開いた。
「アンナ」
名前を呼ばれたアンナはアランの顔を見つめた。
「何?」
アランはアンナから視線を逸らせた。それから一呼吸おいて声を出した。
「1つ、訊きたいことがある。俺と初めて会った時のことだ」
「初めて会った時?」
「アンナがあの男と会っていた時」
「……ああ、あの時のこと?何が訊きたいの?」
アランはアンナの目を見つめた。見つめられてアンナは少し頬を赤らめた。
「ちょっと、何?恥ずかしいんだけど」
照れたように笑いながらアンナは言ったが、アランの表情は変わらなかった。それを見てアンナは少し不安げな表情になった。
「……どうしたの?」
「……あの時、なんであの男と会っていたんだ?」
「え?」
「教えてくれ」
アランの目があまりにも真剣だったため、アンナは少したじろいだ。
「それは−−」
「偽札を渡した?」
ローニンが驚いてそう言うと、メリルが愉快そうに笑った。
「そう、あの情報屋に渡したのはリュカに特別に作ってもらった偽札なんだよ。ぱっと見は分からないんだけど、機械は通らないし、よく調べたら偽札だって分かるように作ってあるんだ」
「……それって犯罪にならないの?」
「さあ、わかんないから内緒ね」
「えぇ……」
ローニンがげんなりした顔をしたが、メリルは気にした様子もなく笑っていた。
「……まあ、今はそんなことよりもアランの件だよ」
ローニンは数分前にメッセージでアランから言われた事を思い出していた。
「アランからの連絡だとこの辺だよね」
ローニンが少し不安げな顔でそう言った。隣にいるメリルがスマートフォンを取り出して電源をつけた。
「うん。この辺だね」
アランから送られてきたメッセージを確認して言う。
「どこにいるんだろう。……あ」
辺りを見回していたリアが何かに気づいて声を上げた。
「いたいた。おーい!」
遠くから歩いてくる人影に声をかけた。近づいてきたその人影はアンナだった。
「アンナさーん」
リアの声が聞こえたようでアンナが反応した。アンナがリア達のいる方へ小走りで近づいてくる。
「リア。それにメリルとローニンも。アランに先に行くように言われたんだけど」
「うん、アランから聞いてるよ」
メリルが微笑みながら声をかけた。
「先に街まで戻ってご飯でも食べてようよ」
「え、うん……」
アンナは振り返って倉庫を見つめた。少し不安そうな顔をしていたのを見てメリルは「ほら、行こう」と優しく声をかけた。
「……」
アンナは返事をせずにしばらく黙ったまま倉庫を見ていた。倉庫を出る前にアランと話していた時、最後にアランは痛みに耐えるような顔を一瞬だけ見せたのを思い出していた。
「アンナ」
メリルがもう一度名前を呼ぶと、アンナは振り返った。アンナは泣き出しそうな顔をしていた。
「……ねえ、アランは何をしようとしているの?」
メリル達は顔を見合わせた。少しの間3人は沈黙した後、ローニンとリアは頷いた。メリルはそれを見て、アンナの顔へと視線を向けた。そして悲しげな笑みを浮かべた。
「話ってなんだい、アラン君」
ヨーゼフがアランの後ろを歩きながら尋ねる。
「あのギャングのボスにもう一度話を聞きたい。一緒に来てくれ」
「あ、ああ。分かった」
ヨハンを拘束している場所まで戻り、ヨハンの目の前まで歩いていく。ヨハンは怯えた様子でアラン達を見た。
「おい」
「な、なんだ」
「鷹に命令されて襲ってきたんだったな。どういう命令だったのか教えろ」
ヨハンは少し考える素振りを見せてから、アランをゆっくりと指差した。
「あんたを殺せっていう命令だ」
「……俺がターゲットだったわけだな。他の2人は?」
「他の2人は殺すなと言われた」
ヨーゼフが「えっ」と声を上げた。アランはヨーゼフを一瞥してから話し始めた。
「この倉庫で襲われた時、俺を狙って撃ってきていた。さらにその後、俺がアンナを抱えてコンテナに隠れるまでの間、もう一度撃つ時間はあったのに撃ってこなかった。俺がアンナを抱えていたためにアンナにも当たる可能性があったからだ。殺すなという命令が出ていたことは真実だろう」
そこでアランはヨーゼフに視線を向けた。
「あんた、鷹に命を狙われているんだったよな。なら、なんで鷹はあんたを殺すなと命令したんだろうな」
「……え?」
「そもそも鷹は自分でターゲットを殺せるくらいの実力がある。わざわざこいつらに殺しを命令するのも不自然だ。もっと言えば最近起こっていた鷹の事件も鷹が起こしたと考えるには違和感だらけだった。その答えは簡単だ」
アランは目を閉じて、一度深呼吸をした。
「犯人は鷹を装った偽物だからだ」
ヨーゼフは無表情でアランを見ていた。
「鷹に罪を着せるために鷹を騙っていたんだろう。じゃあその犯人は誰か」
アランは、目を開けてヨーゼフを睨みつけた。
「あんただな。鷹を騙り、犯罪を繰り返していたのは」
ヨーゼフは冷めた目でアランを見た後、うっすらと笑みを浮かべた。
「何を根拠に言っているんだい?」
「鷹を騙るのは簡単なことではない。自分は鷹だと言ったところで、信じる奴なんていないからだ。信じさせるにはなんらかの根拠を示す必要がある。だが、ろくに情報のない鷹だ。知られている特徴はどれも自分が鷹である根拠にはなり得ない。他に信じさせる方法としては強さを示すことだが、鷹を騙れるほどの力があるのなら別に鷹を騙るメリットもない。つまり、犯人はそれだけの強さがあるわけではないにも関わらず、自分を鷹だと信じさせてギャング達を操っていた。普通なら難しいことだが、それを容易に可能にすることができる奴がいる」
ヨーゼフを観察するように睨みつけながら話を続ける。
「洗脳や記憶の改ざんのようなことができる神経系超能力者だ」
ヨーゼフの頬が微かに痙攣した。しかし、その表情は冷たいままでアランを見ていた。
「ヨハンは相手が鷹であることを確信していた。だが、その根拠は全くと言っていいほどなかった。鷹に違いない、間違えるはずがないと繰り返すだけで、何を根拠に信じているのかについては話すことができなかった。根拠もないのにあの確信の仕方は不自然だ。ましてや根拠もなく奴らが命令を聞くなどあり得ない」
ヨハンを一瞥してから、ヨーゼフに視線を戻す。
「それに似たことが他の場面でもあった。それが情報屋から話を聞いている時だ。俺たちは鷹の特徴について知っていたが、それを信じ切っていたわけじゃない」
聞き込みの前に、鷹の特徴についての情報が間違っている可能性も考慮して、信じすぎないように調査するという話をしていたことを思い出す。
「俺たちは間違っている可能性も十分に考慮していた。だがあの時、あんたが言うことを誰も疑わないどころかそれが真実だと信じていた。情報屋の言うことが全て嘘だと言うものもいた。どちらが正しいのか現時点では判断できないにも関わらず。さらにあんたは一般的に知られている鷹の特徴以外のことも言っていたのに、それもあっさりと周りが信じていた。それに驚いたり、異を唱えたり、疑ったりすることもなくな。確認のために仲間にさっき連絡をしてみた。するとあんたの言うことを全て真実だと信じていたよ。不自然なほどにな」
そこまで話したところで、アランは一呼吸おいた。それから一瞬アンナのことを思い出した。
もうすぐアンナから父親を奪うことになる。ひどく傷つくだろう。だが、やめるわけにはいかない。
「もう一つはアンナのことだ。アンナと初めて会った時、アンナは人身売買組織に所属している男と会っていた。なぜそんな男と会っていたのか、その理由をさっき尋ねた。するとアンナは答えたよ。あんたに会ってきてくれと頼まれたと。あの男が鷹に関する情報を持っているからと言われたんだと。最初は、アンナがあの男に対して全く警戒していなかったことをアンナの性格かと思っていたが、アンナはあんたにあの男は信用できる奴だと言われて信じ込まされていたんだと分かった。そうやってアンナをあの男のところへ送り込んだ。売るために」
アランは拳を握りしめた。
「一連の事件が金目当ての犯行だという点を考えると、これも金が目当てなんだろう。これらを踏まえて考えると、あんたの能力は自分の言ったことを真実だと思い込ませるというものだろう」
「……じゃあ、なぜ君は疑問を抱けたんだい?君も僕の言っていたことを信じていたんだろう?」
「いや、俺にはその能力は効いていなかった。俺だけはあんたの言うことを信じてはいなかった。つまり、あんたの能力には条件があるんだろう」
「条件……」
「そうだ。信じさせられるのは知らないことに限られるという条件だ。正確には、本人が知っていると思っていないこと。知っていることを別のことで上書きをするというようなことはできない。そういう条件があるんだろ」
「……それってつまり、君は鷹の正体を知っているということかい?」
「ああ、俺は鷹の正体を知っている」
「なぜ君は鷹の正体を知っているんだ?」
「少し考えれば分かるだろう」
そう言われてヨーゼフはへらへらと笑った。
「私は馬鹿なんだ。教えてくれよ」
アランはしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「……10年前まで鷹は活動していた。鷹の両親も祖父母も全員殺し屋で、だからこそ鷹は殺し屋として育てられたんだ。順調に鷹は殺し屋として成長していき、実力を身につけていった。ところが10年前、問題が起きた。鷹が殺し屋として優秀すぎたんだ。両親と祖父母は自分たちよりも優秀な鷹を疎ましく思った。嫉妬、恐怖、さまざまな考えがあったんだろうが、つまりは邪魔になったんだ。自分たちの後継者程度に考えていたのに、自分たちが引き立て役に見えるほどに優秀な鷹という存在は、プライドを傷つけ、それと同時に得体の知れないものという恐怖も与えたんだろう。その結果、鷹は両親、祖父母の4人に命を狙われた」
「お前は私たちの経歴をめちゃくちゃにした!」
「私たちが一番であるべきなのに、なぜお前が出しゃばる!」
複数の刃が鷹に向かって振り下ろされる。
どうして?どうして僕はこんな目に遭うの?お父さん、お母さん。あなた達に褒められたかっただけなのに、認めて欲しかっただけなのに。僕はこんなに愛しているのに……。ただ、一緒にいたかっただけ、こっちを見て欲しかっただけ……。
さまざまなことを考えながら、鷹は同時にあることに気づいた。
ああ、殺せてしまう。僕はこの人たちを、容易に殺せてしまう。
そのことに気づいた時、ひどく悲しくなった。絶望した。圧倒的に自分の方が強いことに。そして躊躇なく殺せてしまう自分に。自分はこの人たちを愛していたし、今も一緒にいたいと思っている。殺したくないと思っている。だが同時に死にたくないという気持ちも存在している。殺さなければ、殺される。そう思った時に、自分は躊躇なく殺せてしまう。
ああ、なんということだ。僕は、怪物じゃないか。
数分後、血溜まりの上に鷹は立っていた。4人の死体を見下ろしながら思い出していた。一緒にご飯を食べたこと。一緒にお風呂に入ったこと。一緒に出かけたこと。一緒に、一緒に、一緒に、一緒に。
鷹は絶叫しながら涙を流した。血溜まりの中でうずくまり、血に塗れながら泣き続けた。
殺してしまった、殺してしまった、殺してしまった殺してしまった殺してしまった。
もう一緒に何かをすることもできない。もう話をすることもできない。もう声を聞くこともできない。もう動いている姿を見ることもできない。
会いたくなっても、もう会うことはできないのだ。
涙は血溜まりの上に落ち、血を吸いながら地面に吸い込まれていった。
「最終的には、鷹は4人ではどうすることもできないレベルにまで強くなっていたため、返り討ちにあって全員死んだ。そんな鷹の前に1人の男が現れた」
「大変だったね」
血に塗れながら泣いていた鷹は、その声を聞いて顔を上げた。そこにいたのは10歳にもなっていないような少年だった。
「僕とほとんど同じくらいの年齢だよね。小さいのに辛かったね」
その少年の隣に立っていたメイド服を着た15歳くらいの少女が、ハンカチを取り出して鷹に近づいてきた。
「お顔だけでも綺麗にしましょう」
そう言ってハンカチで鷹の顔についた血と涙を拭った。
「だ、だめだ。僕は汚れてるんだ……。君たちまで、よ、汚れてしまう……」
鷹はそう言いながら拒もうとしたが、その少女、シャルロット・シュバリエは止めようとはしなかった。
「お気になさらず。汚れているのなら、私が綺麗にして差し上げます。ご安心ください。お掃除は得意ですから」
鷹は、ぽかんとした顔でシャルロットを見ていた。少年が鷹の近くまで来て膝をついた。
「最近、超能力者による犯罪が増えていてね。警察がそれに対応できず、無法地帯になっている場所がいくつか出てきているんだ。そこで僕たちはそれに対抗できるような組織を作って治安を良くしていきたいと考えている。そのために強い人たちを集めていて、その時に鷹っていう殺し屋のことを聞いてね。噂は僕の耳にいくつか入ってきていて、実はそんなに悪い人じゃないんじゃないかなって思ってたんだ。それで会いに来たんだけど」
少年は鷹の目を見つめながら言った。
「協力してくれないかい。君ほどの人が協力してくれたら僕の夢は現実的になってくるんだけど」
「……僕なんかで、いいの?」
「ああ、大丈夫だよ。僕は人を見る目があるからね」
自慢げにそう言うと、少年は笑った。
「僕はリュカ・ベルトラン。これから一緒に頑張ろうね」
そう言ってリュカは鷹の手を取った。
「……リュカ・ベルトラン?」
ヨーゼフが予想外の言葉を聞いて驚いた顔でつぶやいた。
「そうだ。鷹はリュカに誘われてPSIに入ったんだ」
アランは自分の手を見つめた。その手を握り締め、ヨーゼフを睨みつける。
「鷹は俺なんだよ」
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