第5話 少女

町外れの人気のない場所に、今は使われていない大きな倉庫があった。その倉庫の中では、ギャングのボスであるヨハンが腰を抜かして尻もちをついていた。ヨハンはスキンヘッドで、腹は脂肪で大きく膨れている。相手を威圧するような鋭い目も、今は怯えで弱々しく相手を見つめている。

ヨハンの目の前には、1人の人物が立っている。その人物はヨハンに向かって足を踏み出し、近づいていく。ヨハンは小さく悲鳴を上げて懇願するように相手の顔を見つめた。

「お、お前はまさか……」

その人物はさらに近づいてきて、ヨハンに向かって手を伸ばす。

「間違いない……。間違えるはずがない……」

ニヤリと笑ったその人物は、ヨハンの胸ぐらを掴んだ。

「お、お前は……」

不気味に笑ってヨハンに顔を近づけた。ヨハンは絞り出すようにつぶやいた。

「『鷹』……」


「鷹の特徴はいくつか分かっている」

リアは資料を見ながら、そこに書かれていることを読み上げた。隣でメリルがリアの持っている資料を覗き込んでいる。

「小柄であること。超能力者ではないこと。裏の世界で恐れられていて、鷹の言うことを聞く人間が多いこと」

鷹の特徴として分かっていることはその3つであった。数少ない目撃者から得た情報で、その中でも調査の結果信憑性があると判断された情報がその3つである。

「結構分かってることがあるんだね。それだけ分かっていれば特定できそうな気もするけどな」

メリルが髪をいじりながらそう言った。

「でも今も正体不明のままだし、そう簡単にはいかないんじゃないかなぁ」

ローニンが頬杖をつきながら答える。

この3つの情報は前に鷹が活動していた時に分かっていた情報である。その情報が分かってから鷹の消息が絶たれるまでの数年間、正体どころかそれ以上の情報を得ることすらできなかった。

次第に、これらの情報を得られたことは、鷹の正体に近づいているという気持ちにさせるものから、鷹が得体の知れないものだとより印象付けるものに変わっていった。

この情報が、鷹が流した誤情報だという噂も立ったが、その真偽は定かではない。

アランは腕組みをして壁にもたれながら、考えに耽っていた。

「一応ガセじゃないって判断されてるみたいだけど、あんまり信用しすぎないほうがいいかもしれないね」

リアが資料から目をあげて言った。

「とりあえず情報収集に行こうか」

「2組に分かれて捜査した方がいいかもね」

メリルがそう言うと、アランが動き始めた。

「それじゃ、俺は1人で良い。捜査に行ってくる」

そのままドアに向かって歩き始める。リアがその背中に向かって「いってらっしゃい」と声をかける。

しかしその直後、床が抜けてアランがヘソのあたりまで埋まる。ローニンが驚きながらアランのそばに駆け寄った。

「なんで家の中に落とし穴があるの⁉︎」

ローニンがあたふたしていると、メリルが「くっくっくっ」と笑い始めた。

「まんまとかかったな!」

メリルの悪戯だと分かったローニンはメリルを叱るように「もう、メリル!」と叫んだ。しかしメリルは満足そうにニヤついているだけで、全く反省の色を見せない。

「まさか家の中に落とし穴があるとは思わなかったでしょ。しかもこんな空気の読めてないタイミングで!」

全く、この人は……。

ローニンは呆れと諦めを含んだ表情でメリルを見てから、アランのところへ行き、埋まった体を引き上げた。アランは無表情のまま穴から脱出し、服についた汚れを払っていた。

「大丈夫だった?」

ローニンは心配そうに怪我がないか確認していた。アランは「大丈夫だ」と言ってからローニンに礼を言う。

「とりあえずメリルも悪気があってやったわけじゃないんだ。許してやろうぜ」

「いや悪意しかなかったけど」

どう考えても悪意の塊だったよ。

ローニンがそう思っていると、メリルが心外そうに会話に入ってきた。

「失礼な!2割は愛情だよ」

「じゃあ8割悪意じゃないか!」

「好きな人たちだから怪我しないように気をつけながら悪戯してるんだよ」

何故か誇らしげにそう言うメリルをローニンは冷めた目で見た。

「嫌いな人だったらどうするの?」

そう言われると、メリルは斜め上を見ながら少し考える仕草をしてから言った。

「殺してるかなぁ」

「1回逮捕されておいでよ」

メリルは全く気にしてない様子で笑っていた。ローニンはため息を吐きながらアランを見た。

「もう……。アラン、どう思う?」

「とにかく許してやろうぜ」

「……なんでそんなに優しいの?」

理解できないような顔でアランを見ていると、アランとリアとメリルの3人は出かける支度を始めた。ローニンも仕方なく準備を始める。


アランは街中を1人で歩いていた。電話をしているスーツ姿の男。誰かと待ち合わせをしているのか、しきりに腕時計を確認しながら周りを見ている女。道ゆく人々を横目に見ながら、今回の事件のことを考えていた。

鷹の特徴は一般の人間にも知らされているから、鷹の知名度を考えるとほとんどの人がその特徴を知っていることになる。その辺の一般人にも特徴を知られている状態で、堂々と街中を歩くことはあり得るだろうか。普通はあり得ない。つまり、コソコソと動き回っているか、あるいは……。

「特徴通りではない人物……」

しかし、それも現実的ではないように感じる。今回被害にあっているギャング達は相手の言うことを素直に聞いている。ギャング達が本物の鷹かどうか分からない人物の言うことを聞いたりはしないだろう。成りすましの可能性だって十分に考慮したはずだ。本物の鷹かどうかしっかりと確認をして、本物の鷹だという確信が持てたからこそ要求を呑んだのだ。本物かどうかを確認するための情報なんて、3つの特徴くらいだ。特徴通りの人物ではないとなると、自分が鷹であるということを相手に信じさせることができないのではないだろうか。

いや、もう一つある。相手を恐怖させるほどの圧倒的な戦闘力を見せつければいい。そうすれば、今相対しているのが鷹だと確信できるかもしれない。だがその可能性が低いことはアランには分かっていた。

そこまで思考していたところで視界に気になるものが映った。そちらに視線を向けると、七三分けの中年の男と20歳くらいのように見える少女が話していた。楽しげな様子で話している。

「じゃあおじさん、約束の情報を教えて」

金色のセミロングの髪を揺らしながら、つり目の少女は微笑む。

「そうだね。じゃあ、もうちょっと人目につかないところの方がいいだろうし、もう少し街から離れたところまで行こう。他人に聞かれるわけにはいかないからね」

男は口の周りに生やした髭を撫でながらそう言った。細い目で少女を見て小さく頷いている。

「確かにそうだよね。じゃあ行こっか、おじさん」

無邪気な声でそう言って2人は歩き始めた。


しばらく歩いた2人は、街から外れた路地裏まで来ていた。この辺は人通りがなく、誰かに声を聞かれるという心配はほとんどない。建物はいくつかあるがどれももう人は住んでおらず、不気味なほどに静かな場所だった。

少女は辺りを見回す。ひび割れたコンクリートや崩れかけの建物を見て少し不安を感じる。今は昼間だが、ここは少し暗く感じる。

「なんだかちょっと怖いところだね。おじさん、こんなところまで来なきゃダメなのかな」

男は少女の前を歩いていたため、男の表情を見ることはできなかったが、男はその時悪意に満ちた笑顔をしていた。

ここまで来れば大丈夫か。

「その男はやめておけ」

突然聞こえた声に男は驚きの表情を浮かべた。振り返るとアランが立っている。

誰だ、こいつは。

男は警戒をしている様子だったが、20歳前後の若者だと分かると少し安堵したような表情をした。

「あんたとその男がどういう関係か知らないが、そいつは人身売買をしている危険人物だ」

俺の正体を知っている⁉︎

男は目を見開き、アランを見る。

ただの若者だと思っていたが、それを知っているということは警察関係者か何かか?

少女は不審そうにアランを見ながら、男に助けを求めるように近づいた。

「あんた、誰なの?」

少女に不審がられていることを特に気に留めず、アランは男を睨んでいた。

「髪型と髭だけで気付かれないと思ったのか?」

アランがそう言ったと同時に、男は少女を人質に取るために袖の中に隠していたナイフを取り出し少女にナイフを向けようとした。少女はそれに気づいたが、驚いた表情を浮かべただけで動くことはできなかった。

しかし、骨が折れるような激しい音と共に男の体がぐらりと揺れた。アランが男の顔に蹴りを入れていた。鼻の辺りを蹴られた男は意識が飛びそうになりながらも、倒れないようにバランスを取ろうとしたが、アランに頭を掴まれてそのまま頭を地面に叩きつけられる。痛みを感じる余裕もないまま意識が飛び、男の体から力が抜けて項垂れた。

一瞬の出来事に少女は呆然としていたが、アランは気にした様子もなく男の体を拘束していた。

「ね、ねえ。あんた一体何者なの?」

アランはちらりと少女の方を見て、すぐに男に視線も戻した。

「警察ではないが、そんな感じの人間だ」

「怪しすぎるだろ、それ」

少女は怪しむような目でしばらく見ていたが、アランが特に襲いかかってくる様子もなく、淡々と仕事をしているのを見て少し警戒を解いた。

「見た感じはギャングとかに近いけど」

そう言われてもアランは特に気を悪くしてはいなかった。

「人相の悪さは生まれつきだ」

「ふうん・・・・・・」

少女はアランが男の処理をしているのを見つめながら、考え事をするような顔をしている。やがて視線を逸らして言った。

「まあ、怪しいことに変わりはないけど、助けてくれたのは事実だし」

少し照れくさそうに頭をかきながらアランの方を見た。

「ありがとね・・・・・・」

「気にするな。仕事だ」

アランは少女を見ることなく言った。少女はまたしばらく何かを考えているような顔になり、それから決心したようにアランを見つめた。

「ねえ、あんたって良い人、なんだよね」

「人を簡単に信用しない方が良いと思うが。こいつみたいな奴もたくさんいるからな」

「うん、まあそうなんだけど・・・・・・」

少女は少し迷う様子を見せた。

「・・・・・・」

少し沈黙した後、口を開いた。

「お願いがあるんだけど、聞いてくれないかな」

「お願い?」

アランが怪訝そうな顔で少女を見た。少女は頷き、覚悟を決めたような表情になった。

「・・・・・・鷹」

突然聞こえてきた予想外の言葉にアランは目を見開いた。

鷹?なぜその名前が彼女の口から出てくるんだ?

少女はアランを見つめていたが、やがて目を逸らして悲しげな顔をした。

「パパが鷹に命を狙われているの。お願い、助けてくれないかな・・・・・・」

アランは少女の顔をしばらく見た後、「話を聞こう」と言った。

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