彼女に最上級の後悔をさせるために。

「リン・ラフォレ=ファウルダースを渡してもらう」


 アルタウスは手にしたレイピアに劣らないほどの鋭い声色で言った。

 レーマンは傷口をおさえながら、浅く息をしている。


「もっともここで石に変えてもいい。私にはそれができる。運ぶ手間も省ける」

 銀髪の党首は剣先をレーマンに向けたままにじり寄る。冷酷で、しかしほんのわずかに哀れみを含んだ眼差しを、リンのほうへやった。


「おぬしは――」

「召喚されてこの世界へやってきた」レーマンの言葉を遮って、アルタウスは言う。「フォルトゥナ様が、この世界に連れて来てくれたのだ。そしてあの方が目指した世界のために、エリクシルは必要だ」


「――なるほど。その見た目はか。魔鉱石ハイランダーを使って――いや、違う。『ロキ』じゃな? 貴様の本当の姿は、見るに耐えないほど醜く老いておるのじゃろう」


 アルタウスは無表情のまま答えない。


「いくつ顔を持っておる?」


 今度は数秒間をおいて、ぽつりと呟くような返事が返ってきた。

「――必要な数だけ」



 レーマンは静かに、そして大きく息を吸い、吐いた。

 痛みで顔をしかめながらも、この世界の空気を少しでも多く味わうかのように、長い呼吸をした。


「貴様にこの世界を変えられるとは、到底思えん。だが選択肢はないようじゃ」


 透きとおるような真っ白な顔と、真っ白なひげ、血にまみれたローブ。

 老人は最期、歯を見せつけるようにしてにんまりと笑った。


「さっさとやれ」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 テオが地下室に到着して目に飛び込んできたのは、レーマンの死体だった。


 次に、机の上に横たえられているリンを認める。

 そしてその傍らに立っている銀髪の男を見て、目を疑った。


 いや、実際には驚きこそしたものの、その状況が腑に落ちるまでに、不思議と時間はかからなかった。


 白銀の党、党首アダム・アルタウス。

 彼の存在はどこか希薄であり、実際にはまったくべつの顔を持っているような気がしていた。その答え合わせをやっとできた。そういう感覚だった。


「その少女から離れるんだ」


 テオは魔導銃をまっすぐに彼に向けて言い放った。

 アルタウスはこちらを見て、ゆっくりと両手を上げて後ずさりする。


「スズ・ラングハイムと同じ部隊の――テオ。たしかテオだった。そうだね?」

「だからどうした? 武器を捨てるんだ」


 アルタウスは呆れたようにため息をついて、あっさりとレイピアを床に放った。からんからんと金属音が地下室に響く。


「エリクシルを求める者なら、今夜現れてもおかしくはないとは思っていた。どこで情報を得たかは知らないが」


 アルタウスは鼻先で笑った。

「党員は、この国中に散らばっている。ラインハーフェンで火事があり、そこではレーマンの目撃情報もあった。そして軍はこの有様だ。推察するのは簡単なことだよ」


「答えてもらおう」テオはノヴァを彼のひたいへ突きつけた。「貴様の本当の名はなんと言う?」


「ふふ、もうわかっているくせに――」

「答えろ!」


 アルタウスは柔らかな微笑みをたたえている。

 その口元が、小さくなにかを呟くように動く。


 いつのまにか唇に紅が差されていた。


 みるみるうちに、その姿かたちが変化していった。

 ふた回りほど身体が縮む。顔が小さくなり、輪郭が丸みを帯びる。肩幅が狭くなり、首が細くなり、胸が膨らんだ。銀色の髪は、黒に近い青色に変わっていく。


 彼――いや、彼女の身体の変化がおさまった。

 そこにはひとりの少女が立っていた。


「マリア=ルイス・ファウルダースというのが、私がフォルトゥナ様にいただいた名よ。アダム・アルタウスという人物は存在しない。私が演じていただけの、架空の人物」

 まだ幼さの残る少女の声で、アルタウス――否、マリアは言う。


「それも、魔鉱石の力か。君もリン・ラフォレ=ファウルダースと同じように、フォルトゥナ・ファウルダースに召喚された?」


「ええ。魔鉱石『ロキ』。自らの姿かたちを自在に変える力がある。もちろんエリクシルのような永遠の命は授けてくれないけど。この姿は召喚された当時の自分にだけ」


 だから中身は老いぼれよ――彼女は自嘲気味に笑った。


「きみが五年ほど前にゴーゴン三姉妹の封印を解いたマリアだね。そしてアダム・アルタウスを演じながらこの国を政治的に混乱へ向かわせ、いっぽうで『旧イオニク』として、ソルブデンと交渉を進めていた。さらに水面下で、エリクシルも追っていた――先日、帰宅途中のラングハイム中尉を襲ったのもきみだね?」


「ご名答。よく調べているのね。そういえばステンノーったら、もうすっかりあなたたちと仲良しみたいだし――」


 そのとき、小さなうめき声が聞こえた。

 魔導銃をしっかりとマリアに向けたまま、テオは横目でリンを見る。


 リンは机の上で上半身を起こし、薄暗い地下室を見回した。

「――スズ? ねえスズ。どこなの?」その怯えた目が、テオとマリアを捉える。「なにが起こっているの? 誰?」


「リン・ラフォレ=ファウルダース。おれはテオ・ザイフリート。軍人だ。スズ・ラングハイムも近くにいる。心配はいらない――」


 しかしリンは、こんなこと到底信じられないといったような目で、じっとマリアのほうを注視していた。


「どうして――どうしてあなたが?」


 マリアは鼻で笑った。

「おはようリン。六十年ぶり。会えて嬉しいわ」


「変な真似をするな。手を上げたまま、壁際に寄れ」

 マリアを牽制し、テオは床に放られたレイピアを拾い上げる。


「なにもしないったら。撃ち殺されるのは嫌だもの」マリアは言われたとおりに壁に背中をつけた。「ただ、いくつか質問だけさせてもらえる? 久しぶりの再会だもの。そのくらいいいでしょ?」


 テオは考えを巡らせる。


 現状、いちばんの問題は大聖堂の状況だ。レーマンの死によって、あの胎児たちは力を失うのだろうか。あるいは契約から解き放たれ、より力を増しているのだろうか。増援は望めるだろうか――いずれにせよ、ここに長居は無用だった。


 いっぽうで、マリアをこのまま制して喋らせておけば、重要な情報を引き出せるかもしれない。それにメデューサのこれからの動きを推察するためには、マリアの供述を取っておきたい。


 マリアは表情を一変させた。

「リン。私はあなたを憎んできた。なぜだかわかる?」


 その問いに、リンは明らかに戸惑っていた。マリアとテオを交互に見る。


「まるで検討もつかないような顔して。憎たらしい」

 マリアは吐き捨てる。そして続けた。


「あの日、フォルトゥナ様が死んだ。あの方は最期の最期まで信念を曲げずに戦い続けて、そして戦死した。私たちは皆悲しみにくれたわ。私やあなたのようにこの世界に召喚されて生を受けた者。彼の同志である優秀な召喚術師たち。圧政に対して反旗を翻した仲間たち。皆、彼の死を悼んだ。そして彼の意志を継いで、戦いを続けた――あなたを除いて」


 リンはわななく唇を懸命に動かした。「マリア、私は――」


「気安く私の名を呼ぶな!」リンを遮って、マリアは叫び声をあげる。「あなたは逃げた! 私たちの元から去り、現実から目を背けたの! それだけじゃない。あなたは――あなたは最初からだった。〝エリクシルの子〟だもの。他のどの転生者よりも、フォルトゥナ様に寵愛ちょうあいされていた。なのに――なのに!」


 もはや彼女は顔を真っ赤に染めて、息を切らしていた。

「裏切り者――」


 オルフ戦争の最中。リン・ラフォレ=ファウルダースは、フォルトゥナ・ファウルダースの死による失意によって、反乱軍から離脱した。そしてそのとき、マリアから攻撃を受け、両脚の機能を失ったのだ。


「転生者は、魔鉱石の力をうまく使えば不死身も殺せる。それは知っているでしょ? 『不死身殺ふじみごろしのザイフリート』。でも私はこいつを殺したりしなかった。不死身のまま、一生後悔を背負って生きればいい。だから殺さずに、脚だけを使えなくした」


 リンは視線を自分の両脚に落とした。

「私はあのとき希望を失った。もう生きていたくない。そう思った――」


「ええ。絶望だった。でもそれはみんな同じだった。でもあなたのように、逃げたりはしなかった!」

 マリアは地下室の低い天井を見上げた。肺から追い出すようにして息を吐き、そして不敵に笑った。


「いいことを教えてあげる」


 そのときテオは思った。


 マリアは――彼女は、本当はエリクシルなどどうでもよかったのではないか。

 かつての反乱軍が掲げていた信念も、フォルトゥナ・ファウルダースの望んだ「理想の世界」のことも、もうどうでもよかったのではないか。


 ただこれを伝えるために、リンを探していたのではないか。

 彼女に最上級の後悔をさせるために。


「あなたが去ったあと、フォルトゥナ様はこの世界に転生したの」

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