物事には優先順位がごぜえます。

 テオはそのチャンスを逃さなかった。


 魔導銃「ノヴァ」は眩い光を帯びる――やっと本命の獲物にありつける喜びを表すかのように。

 放たれた閃光は甲高い音を響かせ、レーマンを貫いた。

 両肩に一発ずつ、右太ももに一発。衝撃で彼の身体が鞠のように弾んだ。


「アヒム! 離れるんだ!」

 レオンが大声で叫んだ。


「――おのれ! 死に損ないが!」

 レーマンは振り向きざまに、魔法で作り出した短刀でアヒムを切りつけた。横一線に、深く刃が腹の肉をえぐり、鮮血が吹き出す。


「アヒム!」

 レオンが駆け寄ろうとするが、そこへ大きな鉄球のようなものが飛んできた。象の戦士パッチェだ。どうやらあの巨大な胎児に投げ飛ばされたらしい。


 アヒムは言葉にならない声を発し、持っていた小刀を取り落とす。そのまま腹を抑えながら、崩れ落ちるように倒れた。


 レーマンは膝を地面につき、口から大量の血を吐き出す。真っ赤に染まったローブ。青白くなった肌。虚ろな目。掠れた声を絞り出して、彼は横たわっているリン・ラフォレ=ファウルダースに手を伸ばす。


「エ、エリクシルがあれば――エリクシルが」


 テオはもう一発閃光を放つ。

 しかし今度はパトリシアがそのあいだに入り、大鎌で閃光を弾き返した。


「嘆き、悲しめ。パトリシアよ――もう仕舞いの時間じゃ――」

 レーマンが告げる。


 気配がする。

 最初はほんのわずか。

 だが次第に、おびただしい数の、感情を持った何者かの、気配。


「――大召喚術師――貴様の策謀じゃな。こやつからは魔力のかけらも感じられなかった。なるほど貴様の父親の仕業か。あの腰抜けめ――」


 そして、次の瞬間。

 喚き散らすようにして声を出しながら、そこら中の暗がりからなにかが現れた。


「おいラングハイム、さすがにまずいぞ。すぐにベビーシッターを手配しろ」

 シュラムが耳の後ろをぼりぼりと掻きながら言った。


「牽制して――とにかくリンからレーマンを遠ざける。それが最優先です――」


 スズは膝立ちになり、辺りを見回した。


 現れたのは、おびただしい数の胎児。

 シュラムたちが戦っていたのと同じ姿かたちをした、赤子だ。黒い肌にぶよぶよとした腕と脚。じっとりと湿った身体、虚ろな目。


 祭壇では、レーマンが血のついた手で、リンの身体に触れた。


「リン!」


 スズは駆け寄ろうとするが、まだうまく体が動かない。よろけてまた膝をついてしまう。みるみるうちに大聖堂は胎児で満たされ、土砂崩れでも起きたかのように、スズの視界を遮った。


 胎児は皆思い思いに腕を振り回し、互いにぶつけ合い、ある者は癇癪を起こして泣き叫び、ある者はさぞ楽しそうに地面を叩き割って遊んでいた。


「クソっ! しぶとい爺さんだ――レーマン!」

 テオは祭壇に向かって叫んだ。


 しかし胎児に阻まれ、視界が黒で染まっていく。祭壇でなにが行われているのかわからない。魔導銃も、迂闊に撃ち込むことができない。


 そのときだ。

 テオは冷気を感じた。真っ暗で無機質な大聖堂の壁面に、床に、ぼんやりと青白い光が灯り始めた。いつのまにか、吐く息が白い。


 この冷気。トルーシュヴィルでも一度感じたことがある。


「ユージーンか!」


 大聖堂の入り口の方から、目がくらむほどの光が降り注いだ。同時に霧がかかり、そこにいる皆の視界を遮った。


「なんてものを相手にしてるんだ――」髪を逆立てて、大太刀おおだちを構えているユージーンが言った。「おそらく、足止めにしかならん。早くレーマンを!」


 うごめく胎児たちの脚を、一瞬にして氷が覆い、動きを封じた。

 その状況が飲み込めないのか、胎児たちは不快な表情をにじませて、必死に地面を叩く。


 テオは胎児の隙間を縫うようにして、祭壇へ疾走した。

 ぶよぶよとした肉を押しのけ、降りかかる太い腕をかわす。なにかぬめりのある液体が肩にかかった気がしたが、気にもとめずにとにかく走った。


 祭壇には誰もいない。

 擦れた血の跡がいくつかついているだけで、レーマンとリンが消えている。


「どこに行った――」


 祭壇の周辺を見渡す。

 そしてその奥側に横たわっている、ひとりの老人を見つける。


 テオは駆け寄り、彼の肩を抱いて持ち上げた。

「アヒム。アヒム・グラニエ=ドフェールだね。しっかりするんだ。すぐに救護を要請する」


 だが老人は、口元に穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振る。


「いいえ、少佐殿。物事には優先順位がごぜえます。今はわしのような人間より、先に救うべき命がごぜえましょう」


 わしは、使命を終えました――アヒムは頷いた。そして震える右手を掲げて、祭壇のすぐ下を示した。


「地下室への階段がごぜえます。レーマンは少女を抱えて下へ――あの傷だ、長くは持たない。少佐殿、どうか」


 テオはゆっくりと老人を横たえ、決意を込めて頷いた。


「あなたの栄誉は、後世へと語り継ぐ。約束する」


 魔導銃を握り直し、立ち上がる。


「ご武運を」

 老人は掠れた声で、しかし力強くそう言い、ゆっくりと目を閉じた。


 テオはぽっかりと口を開けている、地下の暗闇へと駆け下りていった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 なんたる失態。

 どこで間違った。なにが原因だ。


 ナーキッド抽出実験の後始末をドフェールに任せたからか?

 それともラングハイムに情けをかけてやったからか?

 あのおぞましい悪魔との契約か?


 どれであろうと、とにかくエリクシルだ。

 この石の存在がたまらなく愛おしく――そして憎い。


 この石への執着が、私を変えた。ハイランダーで寿命をごまかしごまかし、来たる日を夢見て、ここまで生き延びてきた。


「エリクシルが、この、この国を、変えるのじゃ――」


 レーマンはよろめきながら、地下室への階段を駆け下りていった。リン・ラフォレ=ファウルダースを抱えて。


 途中、魔法による治癒術で傷の手当てを行った。しかし魔導銃「ノヴァ」で貫かれた部分は、治癒術では応急処置にもならない。階段を一歩降りるたび、ズキリと痛みが走った。


 しばらくのあいだ、地下への階段には自分の足音と息づかいだけが響いた。

 とにかく、いったん大聖堂から脱出しなければ。立て直しが必要だ。


 階段の途中にはいくつかの小部屋があった。それらは過去、罪人を拘留しておくための地下牢として使われていたものだ。火属性の魔法で照らすと、古い拷問器具や、黒ずんだ血の跡が見えた。


 ひときわ大きな地下室に出る。


 あらかじめ灯しておいた松明たいまつが、部屋の四隅で燃えている。ここは昔、看守が使う詰所だった部屋だ。


 そして奥の通路から、大聖堂の外へとつながる脱出口がある。


 レーマンは手近な机の上にリンを下ろし、低いうめき声をあげる。

 自身の体力、そして生命の限界が近づいている――そう感じた。


「満身創痍ですね。参謀長」


 朗々とした男の声が、突然地下室に響いた。


「――何者じゃ?」

「僕は何者でもありません。ただね、ボニファティウス・レーマン参謀長。あなたにとっては『政敵』と言うのが、いちばん適切でしょう」


 地下室の奥の暗がりから、その男はゆらりと姿を現した。

 銀の長髪を持った美男びなんだ。彫刻のように整った顔立ち、すらりとした長身。


 レーマンは目を丸くした。


「アルタウス。白銀の党、党首のアダム・アルタウスか」

「覚えていただいて、光栄です」


 アルタウスのその手には、鋭く尖ったレイピアが握られていた。

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