おぬしは優秀な指揮官じゃった。
「いかん。結界が崩れる――」
レオンが青ざめた顔で言う。
造り出された壁の崩れるごとに、レオンの細長い指は切り刻まれ、血が噴き出していた。
「ドフェール卿! 引いてください!」
スズが叫ぶと同時に、壁が音を立てて崩壊した。
風圧とともに砂塵が周囲を覆い、視界がふさがれる。スズは両手を素早く地面に当て、召喚術に使う指輪に魔力を込めた。
「悪魔相手には少し力不足ですが」と言いながら繰り出した二体は、いつもの重戦車コンビだ。「聞こえてるぞラングハイム!」とシュラムの野太い声が響いた。
「ドフェール卿、下がって!」
テオは叫びながらレオンの元へ駆け寄る。彼は血だらけの腕をおさえて膝をつき、ひどく辛そうな顔をしていた。
砂塵が晴れる。
そこにはパトリシアではなく、大きな黒い塊が鎮座していた。
最初は大きな岩のように見えた。
三メートル程度の岩石だ。だが表面がつるりとしており、どうやら少ししめりけがある。小さく鼓動し、そしてえも言われぬにおいが立ち込めていた。皆それがいったいなんなのか、判断するのに時間を要した。
「おい、これと戦えってか?」とサイのシュラムが唸る。
「ええ、一応」と、スズが曖昧に返した。
それは胎児だった。
黒い肌を持った、巨大な赤子だ。平均的な姿かたちと比べると、ぶくぶくと肉がつき太っている。腕や脚には醜くしわが寄っていた。
胎児はのっそりと立ち上がり、虚ろな目でテオたちを観察している。その目は気味の悪いほど無邪気で、まるでおもちゃでも探しているように見えた。
野太い咆哮。テオは思わず顔をしかめる。
そして胎児は、手近にいたサイとゾウの召喚獣めがけて腕を振りかざした。
召喚獣たちは自らの武器でそれを受ける。
硬いものを打ちつける、強烈な音。彼らの足元に放射線状の亀裂が走った。
「おいおいこのガキ――冗談じゃねえぞ!」
「――重いな」
繰り返し襲ってくる胎児の黒い腕。
二体の召喚獣は応戦するも、相手はまったくひるむ様子がない。
「シュラム、パッチェ。なんとか足止めを。二分で構いません」
スズはまたべつの指輪を光らせる。鮮やかなエメラルドグリーンの光だ。
テオは背後にレオンをかばいながら、魔導銃ノヴァに魔力を充填させていく。そのままレーマンへ放ったとしても弾かれることくらい予想がついていた。スズが隙を作る――その一瞬を見逃さず、確実に射抜く。それしかない。
テオは放たれる閃光をイメージする。細く、鋭く――
「ラングハイム。おぬしは優秀な指揮官じゃった」
レーマンがぽつりと呟くように言った。
そのとき黒い影が、スズの背後で動いた。テオは喚起のため、叫ぼうとする。
だが遅かった。
切れ味のよい刃物が、しっかりと肉を捉える音がした。スズの指輪の光が急速にしぼんで、やがて消えた。代わりに鮮やかな赤い血が大量に吹き出る。
黒い影は、大鎌をもったパトリシアだった。
スズは膝を折り、そのまま前に倒れた。
「クソっ! あいつ、まだ――!」
テオは魔導銃をパトリシアへ放つ。
閃光は的確に彼女の身体を貫いた。三発。頭、頭、左胸。つんざくような悲鳴。
パトリシアは倒れ、影に同化するようにして消えた。
「ほう、魔導銃『ノヴァ』か。術者の意志や集中力によって、その力も変動する。おぬしにとっては重宝する武器じゃろう。しかしいずれにせよ、パトリシアには無意味」
まったくべつの方向から、女の悲鳴が轟く。
大聖堂の壁際、影の深いところから何かがものすごい速さでこちらに迫る。
それもまた、大鎌を持った黒い肌の女性だった。
「何体いるんだ?」
二体目のパトリシアの大鎌をすんでのところで回避し、テオはノヴァを打ち込む。閃光は彼女の右肩をかすめる。焦って撃った閃光は、ほとんど効き目がないように見えた。
「悲しみが続く限り、パトリシアは静まらない。ついでに伝えておくとの、おぬしたちの援軍もその悲しみに苛まれることになろう」
増援は期待できない、ということか。
レーマンは無表情のまま続ける。「三人。わしの隙をつこうと言うのなら、十分な人数じゃった。だかおぬしたちはそれに失敗した。指揮官を明瞭にせず、命令系統のない単なる群れだからじゃ。さてどうする――」
レーマンはなにかに気づいた様子で、素早く右手を持ち上げた。そのまま祭壇の袖に向かって、火属性の魔法を放つ。
「大召喚術師ともあろうおぬしが、トランプや草花を依り代に使っておるとは」
テオの背後で、レオンは苦い顔をした。
「――最も原始的な術式だ。馬鹿にしないでいただきたいね」
祭壇のそばでは、芽吹いたばかりの苗が火に包まれていた。
なるほど、レオンが仕込んだ術式のひとつらしい――しかし、レーマンに見抜かれた。
「馬鹿になどしておらぬ。込められた魔力が大きすぎるのじゃよ。手に取るように位置がわかる」
二体目のパトリシアは体勢を立て直し、鎌をこちらへ向けている。大聖堂の中心では巨大な赤子がパッチェをその手で捉え、地面に叩きつけていた。まるで駄々をこねるように。
「ラングハイム中尉、聞こえるか?!」
テオは叫んだ。
「ええ――」
血まみれのまま横たわっているスズは応えるも、身じろぎできていない。傷が深く、塞がるのに時間がかかっているようだった。
パトリシアが距離を詰める。
大鎌が幾度となくテオに向かって振り下ろされる。
まずい。
防戦どころか、即退避レベルの損耗だ。
他に研究所に向かっていたメンバーも、レーマンの口ぶりだとどこかでべつのパトリシアに足止めを食らっているのだろう。
焦りが増し、ノヴァの放つ閃光が逸れる。大鎌の悪魔に対して、牽制するのがやっとだった。
「おぬしらはここで死ぬか、もしくは国家への反逆とみなされ拘留されるじゃろう。どちらを選んでもよいが、いずれにせよわしの邪魔はさせん」
レーマンはゆっくりと両手を前に突き出し、祭壇に横たえた少女の身体にかざした。
「ボニファティウス――やめて」
スズがうつ伏せのまま、血だらけの手を伸ばした。
「到底応じることのできぬ申し入れじゃ。
そのとき、レーマンの表情が一変した。
始終無表情で、なにも読み取ることのできなかったその顔が歪んだ。
驚愕と混乱。そして痛み――この老人がおよそ持ち合わせていないような種類の感情が、突如として顔に現れたのだ。
気がつくと、彼の背後にもうひとり老人がいた。
レーマンに比べると、一目で階級が違うことがわかる。土気色の顔に抜けてボロボロになった歯。小柄で貧相な体躯に、薄い衣服。
その手には、レーマンの血がついた小刀が握られていた。
「貴様――」
レーマンは絞り出すような声を発した。
その老人は目を鋭く光らせて、レーマンを背後から睨んだ。
「ボニファティウス・レーマン。わしは――アヒム・グラニエ=ドフェールは、生きております」
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