ひどく膨張した執着心。

 レナエラは弱々しく椅子に腰を下ろした。

 目の前のテーブルにはデニスが入れたホットミルクが湯気を立てている。


「バルテル少尉たちから、きみはかなり辛い目にあったと聞いている。無理をすることはないんだよ」


 そう言うテオに対して、レナエラは首を横に振った。


「いえ、大丈夫です」


 彼女から話を聞く前に、テオはメンバーへ「マリア」のことを掻い摘んで共有したあと、レーマンが現れる可能性のある研究所へと彼らを派兵した。


 テオとレナエラ、それにレオンとフィルツ大尉がアジトに残った。寝室にはスズとステンノー。そして一階にデニスがいるだけだ。どこかの研究所に動きがあれば、大尉のもとへ通信が入る。


 ホットミルクの入ったマグを握り、手のひらを温めながら、彼女は話し始めた。

 ステンノー・ゴーゴンが先ほど目を覚ましたらしい。


「ステンノーちゃんが彼女の身に起こったことを話してくれました。あの子に傷を負わせたのは、メデューサ・ゴーゴンです」


 テオとともに話を聞いていたレオンとフィルツ大尉は、それを聞いて目を細める。


 レナエラは続けた。

「私はなにか特殊な魔法で、メデューサに関する記憶が封じられてしまっていました。でもステンノーちゃんの魔力を肌で感じたとき、魔法は解けた。彼女たちはたしかに三姉妹で、血の繋がった魔族です。ですが、人間のそれとは根本的に考え方が違う。私たちが感じうる『家族愛』のようなものは、彼女たちには存在しません。あるのは利害と、自身の欲望を満たすための行動。メデューサの場合は、特にそれが顕著です」


 レオンが目を閉じて頷いた。

「多くの魔族は、知能の著しい発達が見られる一方で、倫理や道徳といった社会観念の会得には至っていない。先のオルフ大戦でも、末期には魔族同士の『共食い』が見られた。しかしそれでも『ゴーゴン三姉妹』は人間的な社会性を持ち合わせた種族だと考えられていたが――」


 レナエラは伏し目がちに首を振る。

「そう見えるかもしれません。私も、初めてメデューサを見たときはそう感じました、しかしおそらく、本質的な部分ではほかの多くの魔族と同じなんです。彼女たち――特にメデューサは人間と政治的な交渉を行えるほど高い知能を持ち、原始的な欲望を優先せず、より大きな達成のために手順を踏むことができる理性を兼ね揃えています。ですが、その動機はどこまでも利己的。自分に必要ないと思えば平気で血縁の魔族を始末する」


 ルーンクトブルグの内政を混乱に陥れ、姉妹のひとりをあっさりと切り捨てたメデューサ・ゴーゴンは、最終的になにを達成するつもりなのだろうか。


「より大きな達成、か――」テオは考えた。


「やはり、旧イオニク公国の再建では?」フィルツ大尉が言う。「手段はかなり荒っぽいですが、一応は理に叶っている気がします」


 たしかにそうだ。当然のごとく、それがメデューサの目的だというのがいちばん合理的な帰着だった。

 だが、そこにはまだ取り除きようのない違和感が残る。


 を、メデューサは達成したいと、本気で考えるだろうか?


「彼女たちの封印を解いたという人物がいます」レナエラはさらに続ける。「以前ステンノーちゃんがその人物について話していました。確証はありませんが、今のイオニクの指導者的立場である可能性が高いです」


「その人物の名前、当ててみせよう。マリア、という女性だ。違うかい?」


 テオが口にした名前を聞いて、レナエラはマグカップを置き、目を丸くした。


「オルフ大戦のころ、反乱軍には『マリア=ルイス・ファウルダース』という人物がいたらしい」と、テオは続ける。「当時、同様に反乱軍だったリン・ラフォレ=ファウルダースへ特殊な魔法をかけ、両脚の機能を失わせた人物だ。彼女はもちろんラングハイム中尉のように不死身ではない。だが結論から言えば、今も生きている」


「ええ――ゴーゴン三姉妹はもともとオルフ大戦のときに封印されていた存在でしたが、五年ほど前、それを目覚めさせた人物がいた。それがマリアという女性です」

 レナエラがひたいに指を当てながら、そう言った。


 レオンがわずかに焦りを滲ませる。

「仮にその人物が召喚術師であり、あのゴーゴンを使役しているのだとしたら、そうとう老練で手強いだろう」


「――でも、いったいなんの目的で――」

 フィルツ大尉が小さく呟く。


「この『マリア=ルイス・ファウルダース』についてはまだ不明点が多い」テオはあごをさすりながら言った。「だがこの人物が当時使っていた武器は、レイピアのような細い剣身のものだったようだ。そして先日ラングハイム中尉を襲撃した謎の男。そいつもまた同様の武器を使用して、中尉に傷をつけた。なにか関連性があるかもしれない」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 首都にある研究所に動きはなく、ぴんと張り詰めた空気がアジトを満たしていた。フィルツ大尉が約一時間おきに各班からの通信を受けるも、すべて定形のやりとりだった。


 首都のどこかで実験が行われたならば、間違いなく大きな魔力が検出される。召喚獣たちが反応し、すぐに駆けつけるはずだ。しかしうろうろと路地を歩き回るリザードマンたちは、ただただ機械的に首を回し続けている。アーベントロート大佐も今のところ、なにも検知していないようだ。


 夜が更ける。

 雨は少しずつ弱まり、やがて止んだ。


 寝室ではステンノーが、その身体を起こせるほど回復していた。

 まだ話しぶりは弱々しかったが、ときおりはにかむような笑顔を見せており、かなり元気を取り戻したようだ。見た目は十歳前後の人間の女の子そのものである。人間と魔族とでは、その生命力においてもやはり違いが大きいことをテオは実感した。


「魚のいない池に釣り糸を垂らしている気分だ。まったく動きはない」

 ユージーンから何度目かの通信が入る。


 テオは時計を見やる。ちょうど短針が頂上を通り過ぎる。

 日付が変わった。


 そのとき。

 空気を震わせるほどの、大きな爆音が街に轟いた。


「始まったか?」デニスが太い声で吠える。


 しんと静まり返っていた路地裏の家々からも、焦燥感をにじませた悲鳴が聞こえた。リザードマンたちと思われる甲冑の音がけたたましく鳴り響く。


「ザイフリート少佐! たった今通信です!」フィルツ大尉が通信機を耳に当てたまま、大声で報告する。「現在哨戒中の第三研究所、第四研究所および第五研究所、すべてで大規模な爆発が発生。おびただしい数のリザードマンたちが集まっています。爆発の原因は不明。負傷者は現在確認中とのことです――」


「――各班、すぐに研究所から離れるように伝えてくれ」


 テオの指示を、フィルツ大尉が速やかに各班へ回す。


 陽動だ。


 リザードマンたちの動きを見ると、各研究所から比較的大きな魔力が感知されたとみてよい。しかし、ちょうどこちらが見張っていた三箇所に、ピンポイントで発生しているのは不自然だった。実験による魔力だとは考えにくい。

 明らかに、召喚獣たちをおびき寄せるための爆発だ。


 レオンが窓から外のようすを見ながら言う。

「しかしこれでレーマンが首都にいることは確実だ。向こうはこちらの手を読んで、操っていると思っている」


 レナエラが、卓上の地図をじっと見つめていた。

 両手をついて、静かに目を閉じていた。


「首都は今、魔道要塞化しているぶんノイズが多いですね――でも、戦場に比べればとても静かです――爆発のあった研究所に大きな魔力反応。こちらは魔道兵器によるものですね。のっぺらぼうみたいに、魔力に表情がありません。第一、第二研究所には反応そのものがなし。そのつぎは――」


 彼女はまるで悪臭にでも耐えるように、ぐっと眉間にしわを寄せた。


「ひどく膨張した執着心。どろどろした魔力が、ケルニア大聖堂に」

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