ずいぶん多彩な面々がお目見えだぞ。

 目的地に到着すると、デニスが険しい表情を浮かべて待ち構えていた。


「まったく今日は来客だらけだ。ここは町の集会所じゃないんだがな――尾行はされてないか?」


 テオとスズを部屋の中にとおすとき、デニスはすぐ外の路地を端から端まで、まるでスキャンするように睨んだ。


「問題ないよ。デニス、すまんがラングハイム中尉を休ませてやってほしい。ひどく疲れてる」


 テオはほとんどスズを担ぎ込むようにして、部屋に転がり込んだ。スズは途中からあまり口をきかなくなり、足取りもおぼつかなくなってきたので、途中からは背負って歩いた。

 二人とも冷たい雨に長時間あたり、疲弊していた。被服はぐっしょりと濡れて重たくなっている。たくさんの水滴が床にしたたる。


「待ってろ、今着替えと毛布を持ってくる。それから温めたトマトジュースを飲ませてやる」


 スズが水を吸った三角帽子をとって、淀んだ声で言う。

「すみませんデニス。できれば白湯のほうがありがたいのですが」

「冗談だ」


 スズは浴室を借り、デニスが用意してくれた乾いた衣類に着替え、ホットティーで身体を温めた。ダイニングテーブルに腰を下ろし、大きく息をはいて、天井を仰ぐ。そして瞑想でもしているかのように、目を閉じて動かなくなってしまった。


 テオもタオルをもらって、髪を拭き、顔を拭った。

 その部屋は前に一度訪れたときと同じく、必要最低限のものでまとめられていた。中央のダイニングテーブルには、今朝の朝刊が数紙放られている。


 二階からはときおり話し声が聞こえる。男の声も、女の声もする。人数はわからないが、ひとりや二人ではないようだ。


「ずいぶん多彩な面々がお目見えだぞ」デニスは豊かなあごひげをいじりながら、天井に指を向ける。「天下の大召喚術師様に、短刀を腰につけたわけありげな目つきのお嬢ちゃん、いけすかない気障きざのにいちゃんに、銀髪のよく似た小娘が二人」


「そうか。無事に戻ってきていてよかった」

 テオは胸を撫でおろす。ユージーンやシャントルイユ姉妹も、無事に合流できたらしい。


「それから昨日の夜、お前さんの部下がソルブデンの女軍人を連れてきた」

 デニスは手近な椅子にどっかりと腰をかけてから言う。


「なんだって?」

 流しで上着を絞っていたテオは、思わず手を止める。


 首相殺害の参考人の女を連れ出した、とは聞いていた。

 帝国軍の人間だったのか。


「しかも金髪幼女のおまけつきだ。そいつはひどい怪我を負って転がり込んできてな。今は二階の寝室で眠っている――おいおいそんな顔するな。おれだって、この急展開に頭がついていかん。事情は二階に上がって、直接聞いてくれ」


 テオは開いた口が塞がらなかった。

 いったいなにが起こっている?


 そのとき、こつこつと階段を降りる音が聞こえた。

 二階の天井の陰になっているところから、その姿が見える。編み上げのブーツと細身のデニム、黒のブルゾン、栗色のポニーテール。

「デニス、コーヒー豆がまだ残っていたらおかわりが欲しいってみんなが――」


 フィルツ大尉は階段の中腹で立ち止まり、目を丸くする。

 テオは、冷え切った身体とはうらはらに、胸の奥で熱いものを感じた。


「テオ!」

 ポニーテールを揺らして、彼女はテオに駆け寄る。


 テオは曖昧な笑みを浮かべた。

 とても久しぶりに再会したような気持ちだ。なぜだか、とっさにかけるべき言葉が出てこない。


「よかった。無事だったのね――ああもう、びしょ濡れじゃないの」

 彼女は眉を歪めて言う。

 心の底から身を案じていた、というふうに。


「大丈夫だよ。ええと――そっちこそ、無事でなによりだ」

「はい。本当に――」


 なにを言いかけたのかわからないが、彼女は途中で言葉に詰まり、ばつの悪そうな顔になる。デニスはその様子を見て、けらけらと笑っている。


 フィルツ大尉はいつもの軍人の顔に戻し、背筋を伸ばした。

「ドフェール卿から伺いました。私たちからも、少佐に報告しなければならないことが山ほどあります」


「ああ、すぐ二階へ行くよ。その前にすまないが、中尉を寝室へ連れていってくれないか? そうとう疲れが溜まってしまっているようだ」


 フィルツ大尉は、椅子に座って微動だにしないスズの様子を見る。

 そして、はっとするほど優しい表情になった。


「ラインハーフェンの火事の件、聞きました。ラングハイム中尉にとって、辛い出来事だったと思います。二階のほうが温かいし、幸いベッドがもうひとつ空いていますから、連れていきますね」


「助かるよ。ああ、コーヒーだったかな。おれが用意するよ」

「それならヘンドリックにやらせます。半分以上、彼が飲み干してしまったんで」


 小さな声で、二人は笑い合う。

 テオはパシュケブルグの駐屯地にある官舎に宿泊したときのことを思い出した。あの例の夢で目が覚めて、夜風にあたろうと外へ出た。あのときも、今みたいにバルテル少尉を話の種にして笑いあっていた記憶がある。


 そういえばあの夢も、しばらく見ていないな。

 これはよい傾向だと言えるだろうか。


〈ねえテオ――ときどきこうやって、お話をしない? 昔していたように、どうでもいい、くだらない話を〉


 ニコルはあのとき言った。

 その約束は、しばらく実現できていない。


 フィルツ大尉はスズの元へ行き、華奢な背中をさすっている。小さな声で短いやり取りがあり、スズは薄く目を開いて、弱々しく微笑んだ。それからゆっくりと立ち上がる。フィルツ大尉の肩を借りながら、注意深く階段を上っていく。


「湯はさっき沸かしてある。適当に上へ持っていってくれ」

 デニスは、スズたちが二階に消えたのを確認してから、流しを指し示した。


「ありがとう」

「おれからも、礼を言わなければならん。テオ・ザイフリート少佐」デニスはぼそぼそと続ける。「ニコル・フィルツ大尉。彼女は優秀な軍人だな。あまりに優秀すぎた結果、昨日おれを突き飛ばして、ジャーナリストの女をぶちのめした」


 テオはもちろん首をひねる。

「どういうことだ?」


 デニスは昨日あった一連の出来事を、テオに話した。くだんのフリージャーナリストの女を中央広場で発見し、ここへ連れてきたこと。彼女との、まるでワニの噛みつきあいみたいなやりとりと、その顛末てんまつ


 フィルツ大尉がジャーナリストに対して「あばずれ女」と罵倒したくだりで、テオは盛大に吹き出してしまった。


「すまない。真剣な話なのに」

 テオはコーヒーの粉をフィルターに入れ、ドリッパーをサーバーに乗せる。


「そうだ、真剣な話だ。笑うもんじゃない。いいか、控えめに言って――あの光景は最高だった!」

 デニスはげらげらと迫力のある笑い声をあげた。「まあつまり、そういうことだ。あいつはおれの『生き方』を守ってくれた。上官のおまえさんにも、礼を言いたかった」


「ニコルは、そういう女が嫌いなんだ。自分の主張がどこまでも正しいと信じて疑わず、人の生き様には興味を示さず遠くで皮肉ひにくを言うだけ言って、そのくせ自分自身が否定されるのは我慢ならないような、そういう独りよがりな女がね。だから手も出るし、口も悪くなったんだろう」


 テオは淹れたてのコーヒーをマグカップに注ぎ、デニスの前に置いた。


「そして、あいつはおまえみたいな男が好みらしい」デニスは湯気の立つ熱いコーヒーをうまそうにひと口すすった。「ニコル・フィルツをちゃんと幸せにしろ。もしできなかったら、おれはおまえの背中を撃ち抜く。わかったか?」


 テオの記憶の中で、アニカ・パーゼマンが柔和な笑みを浮かべていた。あるいは前の世界に残した妹が、あどけなく笑った。


 少し前であれば、彼女たちの記憶はテオの胸を強く締め付け、衝動的に銃を握らせるほどの力を持っていた。

 しかし今は違う。それは寂しげではあるけれど、冷たくはなかった。まるで晩夏ばんかの海辺のような、暖かい笑顔だ。


「撃ち抜かれるのはごめんだ」

 テオは笑った。

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