それが僕の今の目的です。

「あなたたち二人を捕らえる?」青年はスズの言葉を繰り返す。「うん。たしかにゼッフェルン大佐からはその任をおおせつかっています。ただ、それを実行するかどうかはまたべつですよ。ラングハイム中尉」


 テオはその青年にもとなりの女性にも面識はない。

 だが青年のほうの名前は何度も聞いたことがあったし、前になにかの式典でちらりと見かけたことがあるのを思い出した。


「ザイフリート少佐は初めましてですね」彼はテオににっこりと微笑みかける。「僕はフーゴ・アーベントロートと申します。若輩者じゃくはいものではありますが、召喚術連隊の連隊長を拝命はいめいしております。こっちは副連隊長のヴァネッサ・レヒナー中佐。怖い顔してますけど、敵意はありませんよ。安心してください」


 レヒナー中佐は表情ひとつ変えず、ほんのわずかに頭を縦に動かした。


「お噂はかねがね」テオは銃を向けたまま、彼に言う。「しかしアーベントロート大佐。現在ルーンクトブルグは特殊な状況下に置かれています。このような無礼を、どうかお許しください」


「それは僕の台詞せりふですよ、少佐。こちらこそ不躾ぶしつけに取り囲んだりして、誠に申し訳ありません」


 テオは目を細めて、雨の降り続ける街を見渡した。


 いつのまにか、おびただしい人数の爬虫類の顔を持った兵士たちが、こちらを凝視していた。細い路地の奥、路上に停められた車の陰、建物の屋上。まるでもともと風景の一部だったかのように、辺りを包囲していた。


「今はこの街全体が、僕のてのひらの上のようなものですから」

 アーベントロート大佐は小粋な角度に首を傾けた。


 召喚獣の気配など、まったく感じなかった。テオは召喚術師の二人を睨みつけ、ノヴァを持つ手に力を入れなおす。


「僕がなにか指示するまで、彼らは動きません」大佐は言う。「動かすつもりもありません。僕の話を、あなたたちがきちんと聞いてくれれば、ですけど」


 数秒、沈黙が流れた。

 雨が地面を打つ音だけが、異様に耳に強く響く。


「クンツェンドルフ中将を更迭に追いやったのは、実質的にレーマン准将です」アーベントロート大佐はゆっくりと話し始める。「彼は野心家で、根っからの国家主義者であり軍国主義者です。彼の旧来の友であるコルネリウス首相が亡くなったその瞬間、この国の政治の『色』が、彼の好ましくない方向に転換する可能性が高まった。それこそ、とかにね。だから彼は一夜にして、軍中枢の組織体制を再構築した。連邦議会に発言権があり、加えて参謀が軍内部での権力において異様に強かったという背景から考えると、決して不可能ではない。もちろん、彼はこういう事態に備えてあらかじめ手を回していたのでしょう。このままいけば、レーマン准将が軍の実権を握るのは時間の問題です――と、認識としてはお二人とほぼ一致していると思いますが、どうでしょう?」


 彼は少し間を置き、それから目を細める。

 そして強い口調で言った。

「僕は彼をどうにかして止めなければなりません。ザイフリート少佐、ラングハイム中尉。僕らの立場は同じなんですよ」


 テオは目をみはった。

 アーベントロート大佐の目には計り知れない深さを感じる。隣にいるレヒナー中佐は、微動だにせずこちらを睨み続けている。


「それを信じるに足る、証拠はありますか?」スズが口を開いた。


「ありません」アーベントロート大佐は即答するも、目にはわずかに陰りが見えた。「僕はヨーゼフ――クンツェンドルフ中将に、一生かかっても返しきれないおんがあります。昔の話ですが。とにかく、中将を軍に戻したい。それが僕の今の目的です。まあ、こんな私情で動くなんて、それこそヨーゼフに怒られちゃいますけどね」


「クンツェンドルフ中将へ、連絡手段は?」

 スズが腕を下ろし、じっとアーベントロート大佐の目を見る。

 彼もそれを、逸らすことなく受け止める。

「中将は今、簡単には会えない場所にいます。ですが、僕なら可能です」


「魔導要塞は首都防衛の要。もしあなたがこれほど大きな力を持っていなかったら、今ごろ軍から追放されていたでしょうね。クンツェンドルフが懇意にしている人間は、やつらにとって皆危険因子ですから」

「ええ、おっしゃるとおりです。ラングハイム中尉」


 そのとき、レヒナー中佐の表情がよりいっそう険しく曇った。

「大佐、プラッツ地区の南東十二番地に魔力反応です。付近のリザードマンに鎮圧を要請――実行します。私たちもできるだけ早く」

 極めて機械的な口調だが、緊急を要する通信のようだ。


 大佐はこくんと頷く。それからまた、テオたちのほうへ向いて苦笑いを作る。

「こんな感じで、僕らは昨日の晩からほとんど眠れてません。部分的にレヒナー中佐が監視してくれてますが、首都をすっぽり要塞化というのはやはり、なかなか大変なものです」


 スズは帽子のつばを軽く触る。

「少佐、ここは彼の言葉を信じましょう。この爬虫類たちに囲まれながらレーマンを討つのはいささか難儀です」


 テオは肩を緩めて銃を下ろす。

「同感だ」


「アーベントロート大佐。クンツェンドルフ中将にこう伝えてください。『四十年前のナーキッド』。レーマンは同じことを、最悪の魔鉱石で行おうとしていると」


 スズの言葉に、アーベントロート大佐は眉間にしわを寄せる。

 ブルーの瞳が淡く光った。


「――場所は?」

「レーマンの趣味は知りません。ただ、ある程度設備が必要なことを考えると、首都からは出ないと思います」


 なるほど、と大佐は頷いた。

「設備の整った研究所か、もしくはその儀式にふさわしい象徴たる場所、といったところでしょうか。わかりました。ともかく要塞の内側であれば、僕もお力になれるかもしれません。中将にも、たしかに伝えます」


 大佐は軽く右手をあげる。

 するとあたりを取り囲んでいた召喚獣たちがいっせいに警戒心を解くのがわかった。感じていた無数の視線が逸れ、緊張が緩んだ。


「それでは僕たちはいったん仕事に戻り、参謀を監視していましょう。レーマンが動くとき、その部下たちにもなにか指示が下るかもしれない」


「お願いします」スズは頷く。


「あなたたちのことは、懸命に捜索をしたものの見つけ出すことができなかった――参謀にはそのように言っておきます。ああ、それとザイフリート少佐」


 アーベントロート大佐はテオに歩み寄る。

「うちの部下があなたの部隊に異動が決まったと、ドフェール卿から聞き及んでおります。ヒルシュビーゲル少尉は、正義感が強く優秀です。必ず力になります。彼女はより険しい道を歩むことになりましたが、ドフェール卿が仕込み、そしてあなたが上官なら、きっと大丈夫でしょう。どうか、よろしくお願いいたします」


 より近くで見る彼の顔は、わずかに疲れの色が見える。頬は青白く、まぶたが少し落ちくぼんでいた。二人は握手できる距離に立っていたが、結局お互いに手を伸ばすことはなかった。


「対魔族という意味において、あれほどの戦力をありません。つつしんで、指導にあたらせていただきます」

 テオの言葉を聞いて、彼は安心したように微笑んだ。


 そしてレヒナー中佐とともに、また雨の街へと消えていった。


「いつのまに、ヒルシュビーゲル少尉が?」

 スズは帽子をかぶりなおし、雨に濡れたローブを軽くはらう。


「トルーシュヴィルでもいろいろあったんだよ。さあ、急ごう」

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