危害を加えるつもりはありませんよ。
今度はスズが面食らう番だった。
「――あはは。まさかそんなことは。いやあ、最近の若い子たちは軍人としての自覚がなってませんね。困ったものですよ本当に」
テオはじっとりとした横目でスズを見る。
「最近の年寄りだってまったく自覚が足りないと思うね。特に五百歳くらい年を食ってるやつは、頭の部品がいくつも飛んでるらしい」
「少佐だって魔導銃撃ってたじゃないですか! 同罪ですよ同罪!」
「おれの発砲はしかたなくだ! だがきみの
「少佐は人を殺してんですよ? 何言っちゃってるんですか?!」
ゼッフェルン大佐は咳払いをして、口論する二人を睨みつける。
「今のきみたちの会話は、
テオは顔を動かさずに、改めて参謀室を見渡す。
真ん中には分厚い天板のテーブルがひとつ、ひとりがけのソファが四つ。テーブルの真上には不必要に
ゼッフェルン大佐は二メートルほど前方に座っている。その背後には窓があり、降りしきる雨が音を立ててガラスを打っている。がっしりした身体の魔導銃師は入り口付近で微動だしない。そしておそらく外の廊下にも数人の兵士がいるだろう。
スズの顔には不自然な笑顔が張り付いている。指には合計三つの指輪が光っている。左手の親指が天井を向いていた。
テオはため息をついた。
「大佐。どうやら私たちはもう言い逃れもなにもできないようです。おとなしく処分を受け入れましょう」
ゼッフェルン大佐は片方の眉を釣り上げる。「賢明だ」
テオはゆっくりとホルスターからノヴァを外す。
「この銃のせいで、『不死身殺し』だなんて物騒な呼ばれ方をされてきましたからね。この機会に手放すのも、よいかもしれません」
テオは思った。
ヘンドリックとラルフがいったいどういう考えで参考人の女を連れ出し、軍病院から逃げ出したのかは、合流してみないとわからない。だが理由はどうであれ、彼らは彼らの信じる行動をとったわけだ。
部下にやらせっぱなしにはしておけない。
テオは素早く魔導銃を稼動し、天井へ銃口を向けた。
すぐ横でスズが立ち上がり、座っていたソファを思いっきり蹴り飛ばした。音を立ててソファは転がる。入り口付近の兵士は慌てて魔導銃を構えなおそうとする。
指輪は淡く光を帯びている。
「貴様らっ!」
ゼッフェルン大佐が叫び声をあげる。
ノヴァから発射された閃光がシャンデリアのチェーンを打ち抜いた。
装飾のガラス細工がけたたましい音を立てながら、シャンデリアは中央のテーブルへと落下する。ソファに座っていた三人は顔を庇いながら、跳び退き転げるようにして離れる。テーブルへ直撃したシャンデリアは、アームやシェード、留め具などの各パーツを部屋中に撒き散らした。
テオは魔導銃をしっかりと構え、ゼッフェルンへ向ける。
しかし、その必要はなかった。
部屋には突如、大きな影が二つ出現していた。
天井に届きそうなほど大きな身体を持った、人外の戦士である。彼ら二人はそれぞれ、ゼッフェルン大佐と入り口にいた兵士を後ろから羽交い締めにし、動きを封じていた。
「ようラングハイム。またずいぶんとわけありな状況だな」
大きなサイの戦士がゼッフェルン大佐の首にファルシオンをあてがいながら、重厚な声色で言った。
前にエウリュアレと対峙したときの、サイとゾウの召喚獣だ。分厚い皮膚にさらに鎧をあてた、二足歩行の戦士。サイのシュラムと、ゾウのパッチェ。
「いろいろあるんですよ、長生きしていると」スズは部屋の窓を開けながら言う。「じきに憲兵が駆けつけると思います。しばらく
「殺していいのか?」シュラムは尋ねる。
「できるだけ
スズは窓のすぐ外にヴイーヴルを召喚する。雨の降る中に、青い皮膚の大きな竜が短く
「了解した」パッチェが応答する。
「貴様ら、必ず後悔するぞ」ゼッフェルン大佐が苦しそうな声で唸った。「逃げても無駄だ。すぐに追手がかかる。軍への反逆者として、謹慎どころでは済まない処分が下るだろう。おとなしくしていれば、この国の輝かしい未来を拝めたものの――残念だ」
それに対して、スズは特に返答しなかった。テオは彼の憎しみに滲んだ顔を
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
中央本部から二、三キロほど離れたあたりで二人はヴイーヴルから降りる。街中で飛行するには、この大きな青い竜は目立ちすぎた。
「シュラムたちも今、
テオが苦笑しながら頷く。
「しかし、これではっきりとわかった。軍はすでに分裂している。レーマンがやっているのは、もはや一種のクーデターだ。連邦議会も、やつの息がすっかりかかって機能していない可能性が高い――ひとまずデニスのところへ合流しよう。バルテル少尉たちがうまくやっていれば、もう次の手に移っているはずだ」
いくぶん静まり返ったマルシュタットの街を、二人は注意深く歩いた。
昨日の夜から降り続いている雨はしとしとと、しつこく地面を打っていた。決して強い
街を彷徨う召喚獣と何度かすれ違った。多くは爬虫類のような頭部を持った、鎧と長い槍を装備した者たちだった。彼らは感情の欠いた表情で、機械的に周囲を見回しながらゆっくりと歩いている。スズとテオに気がつくとじっと凝視してくるものの、攻撃してくることはなかった。
デニスが使っている部屋まではあと十分足らずというところまでやってくる。郊外へと進むにつれて建物が減り、やや広い通りが多くなる。追手の気配は今のところない。
「少佐――ちょっと、待ってください」
テオがふと気がつくと、スズはかなり後方を歩いていることに気がついた。
「ああ、すまん中尉」
テオは立ち止まり、スズが追いつくまで待った。
「いえ、こちらこそすみません――体力のつかない身体なもので」
スズは肩で息をしている。足を引きずるように歩いており、顔色もあまりよいとは言えなかった。
以前も――たしかコカトリスに列車が襲われ、風属性の上級魔法を放ったときも、ずいぶん疲弊していた。
「昨日レーマンと一戦交えてかなり魔力を消耗したうえに、今日は合計三体も召喚した。そしてこの雨の中を歩いてきたわけだ。疲れが蓄積したんだろう。あとう少しだが、歩けそうか? それとも背負っていこうか?」
テオは提案したが、スズは首を横に振る。
「大丈夫です。着いたら少し休みます――少佐、到着したら、お話しした『マリア』という人物について、先に共有しておいてもらえますか?」
魔族エウリュアレが口にしていた例の「マリア」という名前。スズはレーマンに襲われる前に、リンから聞き取りを済ませていた。
「わかった」
そのときだ。
雨で霞んだ通りの前方に、突如人影が現れた。
テオは目を細め、魔導銃に手をかける。
人影は二人。いずれもモスグリーンのローブの上にベージュのコートを羽織っている。黒い傘をさしており、顔は隠れて見えない。ゆっくりと、こちらに向かって歩いてくる。
「あの服装、軍の召喚術師か」テオは言う。
モスグリーンは召喚術部隊が採用している色だ。
しかしその二人の雰囲気は、どうも追手のようには見えない。こちらが気にしなければ、そのままとおりすぎてしまいそうでもある。
だがその二人はほんの五メートルのところまで近づいてきて、黒い傘を軽く持ち上げる。彼らのその顔が、テオたちのところからも確認できるようになった。
ひとりは長い髪を後ろのまとめた女性だ。細身で長身。鷹のように鋭い目つきでこちらを睨んでいる。
もうひとりは少し小柄で、さらさらとした明るい金髪と整った顔立ちの男だった。どちらかといえば男というより「青年」という表現のほうがより当てはまる容姿だ。年齢もテオとたいして変わらないように見える。女性とは対照的に、彼は口元に笑みを浮かべている。明るいブルーの瞳が、この濁った雨の街にはいかにもそぐわない感じがした。
「銃はしまってください」その青年が穏やかな口調で言った。「危害を加えるつもりはありませんよ。テオ・ザイフリート少佐」
「少佐、そのまま構えていてください」
スズの声色はこわばったような警戒心をまとっている。
青年は乾いた笑い声を出した。
「信用ありませんね。まあ、この状況では賢明な判断だと思います」
スズは指輪をはめたままの右手を突き出す。
「参謀から、私たちを捕らえるように言われたのではありませんか? アーベントロート大佐」
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