第十七話 -結集-

まさかうちの部下がなにかやらかしたわけでもあるまい。

 翌日、各社新聞の一面は、言うまでもなく、アンゼルム・コルネリウス首相の死をいたむ記事で溢れかえっていた。


 訃報ふほうは国中を駆け巡り、そして世界へと広がっていった。各国の政府からはその痛ましい別れが唐突に訪れたことについて、無念の滲むコメントを寄せた。

 国内のメディアはおおむね論調を合わせた。日常的に現政権へ批判を行なっていた局でさえも、コルネリウス首相の功績をつぶさに取り上げ賛美した。もっとも、第三勢力であるマスメディアを懐疑的に見ている少なくない数の国民たちは、その賛美が一時的な仮面にすぎないということを、紙面の行間から読みとることができた。


 白銀の党の党首、アダム・アルタウスも、首相の死を悼むコメントを公表した。「主義主張は違えど、国家の発展において多大な功績を残した人物」と評し、いつものリベラルな主張は身を潜めていた。


 そうした報道と、朝から首都に降りしきっている雨だけを見ると、ルーンクトブルグは国全体がに服し、悲しみが通り過ぎるのをただじっと待っているように感じられる。


 しかしながら、一部の過激派は昨夜未明から各所で暴動を起こし始めていた。


 報道は、演説をおこなっていたのは替え玉であることや、襲ったのは巨大の蝙蝠こうもりの魔族だったということ、本物が殺されたのは近くのホテルの一室だったことなどについては、すでに言及している。


 しかし逆を言えば、それ以上のことは完全に伏せられ、統制されていた。事件の詳細は混迷こんめいしており、根拠のない憶測、根も葉もない噂が国中に飛び交っていた。


 蝙蝠の正体が帝国軍の兵器だという「帝国軍陰謀いんぼう説」や、連邦議会内で内ゲバがあり、何者かに雇われた召喚獣なのだという「内部抗争説」など、犯人についてのいささか散らかった推論が各地でなされた。

 また、替え玉を使っていたにも関わらず殺されてしまったことについて、犯行に及んだ人物を賞賛するものもいれば、警備の甘さを糾弾するものもいた。


 現政権の対抗左翼とその支持層が、特に激しい動きを見せた。

 西側の州を中心に「人殺しコルネリウスに天罰が下った」と横断幕を掲げて暴動を起こすものが現れ、憲兵との激しい衝突がいくつかあった。昼の時点ですでに、デモ隊と憲兵それぞれ数名の死者が出ている。


 テオとスズは首都まで戻った。


 二人にとって首都は、今もっとも危険な場所である。

 テオが出した指令を部下たちがに遂行していれば、当然指揮官である彼には状況を説明する責任が発生する。しかしそれでも、二人は持っている情報をクンツェンドルフ中将へ早急に報告する必要があった。レーマンの息がかかっている可能性のある参謀には嗅ぎつかれないように、できれば総司令官室で、しっかりと鍵をかけて直接話すことが理想だった。


 今朝の報道の中には「クンツェンドルフ中将が首都の魔導要塞化を決定」との情報もあった。魔導要塞は物理的な結界が張られるわけではないが、首都内での魔力を感知し、召喚獣が対象を取り除くシステムになっている。駅はおそらく憲兵が検問を敷いているだろう。

 だから余計なトラブルを回避するために、ヴイーヴルを使えるのは街の郊外までで、そこからは徒歩で向かうしかない。ただでさえ「大きな翼を持った生き物」には今、全国民が警戒している。そこまで大きなリスクは負えない。


 到着したのは、午後一時ごろだ。

 いつも活気があるはずの市街は閑散としていた。労働者も中産階級も研究者も知識人も、ただの買い物客ですらほとんどいない。いるのは憲兵、そして物騒なよろいを身につけた戦闘用の召喚獣たちだった。 


 スズは小声で言う。

「アーベントロート大佐が使役しているやつらですね。魔力を感知されないかぎりは、こちらに危害を加えることはないと思います。ただ念のために目を合わせないで行きましょう」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 二人が中央本部へ到着すると、案の定あんのじょう参謀の人間が現れて、早急に参謀室へ出向くよう命令があった。なにごとも首尾よく進まないものだ。


「いったいなにを言われるのか、見当もつかないな。まさかうちの部下がなにかやらかしたわけでもあるまい」

 本部の廊下を歩きながら、テオはわざとらしく首をかしげる。


 二人が参謀室に入り、中央に据えられた椅子に座ると、扉のそばにいた魔導銃師が速やかに出入り口を塞いだ。用意周到だ。テオは何気なくスズの両手を見やった。いつのまにか指輪が数個はめられている。


 参謀室はほぼ正方形の部屋だった。本棚とデスク、中央に据えられたローテーブルと椅子のセット。少々不釣り合いだと思える大きなシャンデリアが、天井からぶら下がっている。目の前には初老の男がひとり、いかめしい顔で座っていた。


「参謀長補佐のゼッフェルン大佐だ。単刀直入に言うが、きみたち二人には謹慎きんしん処分の命令が出ている」

 参謀室ゼッフェルン大佐は太い指を机の上で組み合わせ、低い声で言った。


 参謀長補佐。レーマンの右腕だ。

 彼はまるで火であぶったあとのような縮れた癖の強い髪を持っている。太いもみあげと大きな鼻をしており、浅黒い肌だった。


「お言葉ですが大佐。我々に処分を下せるのは、総司令部の司令官であるクンツェンドルフ中将だけのはずです」テオは言う。「魔導連合部隊は、司令部の直轄ですから」


 ゼッフェルン大佐は鼻を鳴らす。

「きみらのところにはまだ連絡が入っていなかったか。実は昨日のうちに、軍部の指揮系統が大きく変わった。私が今『参謀長補佐』と名乗ったのはあくまで便宜的なものだ。じきに肩書きも変わる。それにクンツェンドルフ総司令官だが、連邦議会による緊急決議によって昨夜更迭こうてつとなった」


 これにはテオもスズも、目を丸くした。


「こんなときに?」テオは思わず言う。


「こんなときだから、だろう」ゼッフェルン大佐はテオを睨みつけた。「魔族の脅威がこの五年間で目に見えて増していった。西側の州を中心に、多くの被害を出した。クンツェンドルフの動きは遅く、派兵は後手に回りっぱなしだった。挙句、なにをし始めたかと思えばきみたちのような――」


 最後は含みを持たせて言葉を切り、彼は口元に笑みを浮かべた。テオとスズは目を見合わせる。


 明らかにレーマンの手回しだろう。

 昨日暗殺事件が起きてから、マルシュタットの非常事態宣言を発令し、魔導要塞化を決めたのは中将だ。そのあと、日をまたがないうちに連邦議会が更迭に追い込むなど、通常では考えられないスピードだった。


「レーマン准将にお会いしたいのですが」

 スズが静かに言う。


「准将は今忙しいのだよ。それに、おまえがあの方に会う必要があるかどうかは、私が判断する」大佐はまったく取り合う気はないようだった。「話の続きだ。きみたちは今言ったように謹慎処分――」


「明らかに不当です。その根拠は?」

 テオは口を挟んだ。


「ヘンドリック・バルテル少尉、並びにラルフ・アルトマン准尉はきみの部下かね?」

 ゼッフェルン大佐はため息をついてから、淡々とした口調で確認を入れる。


「はい。そのとおりです」テオは頷く。


「昨夜、第一軍病院で参謀のネーポムク中佐とトビアス少佐がきみの部下から攻撃を受けた。それだけでなく、首相暗殺の重要参考人として拘束していた女を連れ去り、逃亡した。極めて遺憾いかんだ。とても看過かんかできない」


 立派にやらかしているじゃないか、二人とも。

 テオは心の中でほくそ笑んだ。


 スズがこんこんと咳払いをする。

「たしかに、それが事実だとすれば、同じ部隊の人間としてとても許すことができませんね。ただその責任を負ってすぐに謹慎処分を下すというのはいささか早計です。大佐もそうは思いませんか? むしろ、その二人は私たちが責任を持って捕らえましょう」


 ゼッフェルン大佐は不敵に微笑んだ。

「今のは本題じゃない。上官にあたるきみたちには報告しておかなければと思ってね。ただの親切心だよ。さて、はべつにある」


 彼はテーブルの隅に置かれていた書類の束を手に取り、数枚めくる。

 そして言った。


「今年の十月三日、十八時三十分ごろ、マルシュタット四番通りにほど近い路地裏ろじうらで、勤務時間外の軍人が魔導銃を四発発砲した。それはすべて市内に住んでいた無職の男、ルーカス・ヴェーデルに命中し、意識不明ののちに死亡している。撃ったのは、テオ・ザイフリート少佐。きみだね?」


 テオは言葉を失ってしまった。


 ゼッフェルン大佐が言っているのは、初めてスズと出会ったときの話だ。

 汚いパブで飲んでいると外から不穏な声が聞こえたので、急いで駆けつけた。男に襲われていた女を助けるために、やむを得ず魔導銃を可動した。

 今さらなんだ――寝耳に水だった。


「しかしそれは――」


「さらにだ」大佐は続ける。「その際居合わせていたは、刃物で腹部を刺され一度倒れるも、数秒のうちに立ち上がり、まるで外傷を受けていないようなそぶりであった。その驚くべき光景を、その場にいたパトリシア・クラッセンという女性が目撃している。彼女の話によると、その魔導師は小柄な女で、年端もいかない子供のようにも見えたそうだ。そしてずいぶん陽気な口ぶりで男を挑発していたらしい。仮の話だが、もしこの魔女が――スズ・ラングハイム中尉、きみだとしたら、重大な守秘義務違反と言わざるを得ない」

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