僕らは再就職の準備をしたほうがよさそうだ。

 アルトマン准尉とバルテル少尉は、トビアス少佐に連れられて、軍病院の長い廊下を歩いた。彼はまるで餌を欲しがっている大型の霊長類れいちょうるいのように、不必要に身体を横に揺らして歩いている。その手には魔導銃が構えられている。


 正門まで出ると、外は見事に雨が降りしきっていた。暗い闇の中に注ぐ雨粒は、本日痛ましい最期を迎えた首相を心からいたんでいるようでもあったし、まったく対照的に、これしきのことで慌てふためいているこの国をあざ笑っているようにも感じられた。


「あいにくの雨だな。気をつけて帰れ」

 トビアス少佐は予想外に高めの声を発した。


「おっと、渡し忘れだ」バルテル少尉が思い出したように言った。


 アルトマン准尉は眉をひそめる。


「あの参考人のかせの鍵だ。俺が持っていた。渡しておいてもらえるか」

 バルテル少尉はコートのポケットから黒い鍵束を取り出して、トビアス少佐に差し出す。少佐は無礼なもの言いに露骨に顔をしかめるが、取り合っても時間の無駄だと判断したようだ。魔導銃を肩にかけ、無言で鍵束に手を伸ばした。


 そのとき、バルテル少尉はそのずんぐりした腕を、素早い動きで絡めとった。


 腕を後ろに回し、ゴムひものように締め上げる。

 トビアス少佐は猿のような甲高いうめき声をあげる。


 アルトマン准尉はひねるようにして少佐の魔導銃を奪い取る。

 そしてそのまま左手で構え、持ち主に銃口を向けた。


「おまえたち! なにをやっているのかわかっているのか?!」

 トビアス少佐は顔を真っ赤にして、もがきながら言う。


「もちろん、よくわかってるつもりだ」バルテル少尉は彼の腕をさらに締め上げて言う。「いいかよく覚えておけ。おれたちに任務を与えたり、任務を解いたりできるのはテオ・ザイフリートだけだ。どっかのよくわからんちょびひげじゃねえ」


 少尉はトビアス少佐の首の後ろを殴打する。


 形容しがたい、鈍い音が響く。その一撃は彼の筋肉の機能をストップさせる。突然寿命を迎えた機械のように、全身が弛緩した。

 あごに唾液を垂らして、彼はその場に伸びてしまった。


「結局力で押し切るんじゃないですか」

 アルトマン准尉はふうと息を吐き、魔導銃を下ろす。


「二対二。向こうはひとり魔導銃装備。こっちはひとり右肩負傷中。相手を分散させるのは当たり前じゃねえか」


 バルテル少尉はトビアス少佐の重たい身体を、正門の階段わきの陰になっているところへと放り投げた。


「たしかにそうですが――でも少尉、今ので僕らは完璧にお尋ね者だ」

「なんだ? そんな覚悟もできてなかったのか?」

「なんでできてると思ったんですか?」

「少佐からのあの指令がきたところで、おれのような勘の働くやつは腹を括るんだよ。今ごろはニコルたちも動いてるかもしれん」

「僕はごめんですよ。国を敵に回して逃亡なんて」


 少尉はにやりと笑い、鍵束をポケットにしまいなおした。

「おれはてっきり、おまえがあの女に惚れてるんだと思った。すきあらば逃避行とうひこうでもしそうな気配だったしな」


 准尉がほんの一瞬ばつの悪い顔をした。

「勘違いですよそれは――まあとりあえず、僕らは再就職の準備をしたほうがよさそうだ」


「違いねえ。どっかの田舎いなかでビアパブでもやろうじゃねえか」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 二人は病室へ戻り、ネーポムク中佐に銃を突きつけながらレナエラの枷を外した。追跡を遅らせるため、かわりに中佐をそのベッドに寝かせ枷をはめた。暴れまわり抵抗する中佐を、バルテル少尉は半分面白そうに押さえつけながら、枷の鍵をかけていた。アルトマン准尉とレナエラはその光景を、間違って苦いものでも口にしてしまったような顔で見ていた。


 病院周辺の警備は難なく抜けることができた。三人は目立たない暗い路地を選んで、できるだけ速やかにそこから離れる。


 レナエラはコートを身体に押し付け、髪を振り乱して走った。

 冷たい雨がしきりに顔を打ち、すぐに髪がぐっしょりと濡れる。ものの数分で手がかじかんで、肌がひりひりと痛み出す。濡れて滑りやすくなった道に、何度も足をとられそうになる。


 警備の人間がベッドに張り付けられたネーポムクを見つけるのに、早くて一時間程度か。遅くとも早朝には正面玄関のわきで伸びているトビアスが見つかる。憲兵たちは大騒ぎとなるだろう。


「レナエラさん、道はたしかかい?」

 アルトマン准尉は前を走るレナエラに向かって言う。


「はい。ステンノーちゃんはもともと強い魔力を持っています。それが今解放されて、助けを求めて、泣いてる――」


「ラルフ」バルテル少尉が小声で言う。「できるだけ速やかにニコルたちと合流だ。あまりタイムロスはできない」


「ええ、わかってますよ」准尉は答える。

「それとあの女、こうなるともう帝国へは戻れんだろう。気の毒だが」

「あるいは」

「あいつのことはおまえが守ってやれ。年上好きだろ?」

 そう言ってバルテル少尉は、アルトマン准尉を肩を叩く。

 

「――今は、少佐からの指令を遂行することが第一ですから」


 ザイフリート少佐からの指令は三つだった。


 ひとつ目。

 首都に残っているメンバーは早急に結集して、体勢を整えたのち、第一研究所以外の軍研究所をすべて洗え。レーマン准将を発見したら全員で共有し、見つからないように監視しろ。


 二つ目。

 おれたちは今日から、軍に追われる身になる可能性がある。軍人としてのキャリアを優先したいものは離脱して構わない。責めはしない。


 そして三つ目。

 参謀の命令には従うな。徹底的に抗え。


 以上だ。幸運を祈る。


 ――それらを突然、大召喚術師からの言伝ことづてで受けた。

 まったく、選択肢などないではないかと、アルトマン准尉は苦笑した。


 十五分近く、三人はマルシュタットを駆け抜けた。

 狭く入り組んだ路地を何度も曲がっている。ただ、おおむね北へ向かっているようだ。幸いなことに袋小路にはぶつからず、ただ黙々とレナエラの感じとっている「声」を頼りに走り続けた。


「後少しです!」レナエラが息を切らし、涙声で言う。「ステンノーちゃん、もう五分くらい、同じ場所を動いてない!」


 そして、大きなバケツが二つ並んでいる角を左に曲がったとき、暗がりに何かを見つけた。

 路地に入り込んでいるほんのわずかな月明かりを反射する、長い金色の髪。


「あの子か!」アルトマン准尉は言う。

「ステンノーちゃん!」

 レナエラはほとんど転がり込むようにして駆け寄った。


 その小さな身体は仰向けに倒れていた。長い髪は路上に放り出されて、雨に浸かりきっている。レナエラは震える手で彼女を抱き起こし、顔にかかった髪を優しく指で剥がした。

 ステンノーの顔は透き通るように真っ白で、触ると氷のように冷たい。唇は血色を失い青ざめて、目は眠っているように閉じられていた。


「なんでこんな――」


 抱きかかえたレナエラの手にはなにか温かい、どろりとしたものが付着した。明かりがないせいでそれがなんなのかすぐに確認できなかったが、容易に想像がついた。レナエラは自分のあごががたがたと震えているのを感じた。


「レナエラさん、すぐに手当てできるところへ運びましょう」

 アルトマン准尉はコートを脱いで、ステンノーの冷え切った身体を覆った。


「助ける。絶対助けるからね、ステンノーちゃん」

 レナエラは彼女をしっかりと抱きしめて、小さな丸みを帯びたひたいに、いとおしそうにキスをする。


「長居は無用だ。少し距離はあるが、また走るぞ」バルテル少尉が言う。「今夜のマルシュタットは、どうも薄気味悪い感じがする。おい女、その金髪の魔力は今も垂れ流されてるのか?」


「ううん。もうすっかり


 少尉は頷く。

「あんたもおれたちも、魔力を伴う行動はつつしんだほうがいい」


 アルトマン准尉はステンノーを抱え上げ、険しい表情で空を見上げる。

「そうか。非常事態宣言。クンツェンドルフ総司令官がそう判断する可能性は、じゅうぶんにある状況ですね」


「いったい、どういうことですか?」レナエラは震える声で言う。


「うちの軍には常軌を逸したレベルの召喚獣コレクターがいてな」バルテル少尉は小さくため息をついた。「非常事態にはやつの召喚術によって、この街は魔導要塞化する。前はたしかコボルグラント戦争の末期だったか。とにかく、明日の朝にはそこら中を召喚獣がうろつき始める。お尋ね者のおれたちにとっては、もちろん遭遇したくない相手だ――さあ、行くぞ」

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