第十三話 -演説-

今日の首都は、少し落ち着かないでしょう。

「ケルニア大聖堂を背景にして演説というのは、ちょっと狙いすぎているというか、なんていうか」


 マルシュタットの中央通りを歩きながら、アルトマン准尉は新聞を流し読みしている。痛めていないほうの手で、器用に折りたたみながら紙面を眺める。


「それでも、一種の儀式的ぎしきてきな効果はあるんだろうよ」バルテル少尉は准尉に並んで歩いていた。ポケットに手を突っ込んで、首を鳴らす。「ケルニア新教の教徒たちにとっては、総本山だからな」


 テオがトルーシュヴィルへと向かった日の正午過ぎ。アルトマン准尉、バルテル少尉の二人は例の女性ジャーナリストのゆくえを追って、首都を捜索していた。


 空はどんよりとした雲が覆っている。街は朝から冷たい風に吹かれっぱなしだ。道ゆく人々のほとんどはしかめ面をし、足早に通り過ぎてゆく。街路樹のアカシアは葉を落とし、細い枝の先まで樹皮じゅひをさらしている。不規則に曲がりくねった枝は、しきりになにかを示そうとしているようでもあったし、迷ったすえに結局そのかたちに落ち着いてしまったようでもあった。


 彼ら二人はフィルツ大尉やデニスとは別行動を取りながら、昨日に引き続いて聞き込みを進めていた。主に中心部に近い通り沿いで、目立たない普段着(アルトマン准尉はキャメルのロングコート、バルテル少尉は大きなボアのついたグレーのジャケットという格好だった)を着込み、あたかも民間人の純朴じゅんぼくな知人探しを装って、捜査に当たっている。


 ここまで目新しい情報はない。今日いっぱいで進展がなければ、一度捜査の方針を見なおすことになっている。

 正直なところ、当初想定していた特殊部隊の任務とはずいぶんかけ離れている、というのが二人の共通した感想だった。何度でっちあげの文句を使い、捜している女の特徴を説明したかわからない。目が離れていて、口が大きい。僕らと同じくらいの年代で、人当たりがよく、おそらく報道関係の仕事をしていると思う。行方不明になってしまった旧友なんだが、心当たりはないだろうか――


「いったいこの街に何人いると思う? 同じ特徴の女なんて」

 バルテル少尉がなげき、大きく手を広げる。


「とてもたくさん。今視界にいるだけでも、十人くらいですかね」

 アルトマン准尉がそう言って新聞をたたみ、コートの内ポケットにしまい込む。


「おまけにこのあとは中央広場で野暮用だ」

「あと二時間ありますね。それまではこの辺りで『旧友探し』を続けましょう」


 今日の十四時より、中央広場のケルニア大聖堂前にて、コルネリウス首相の街頭演説が行われる予定だった。二時間後には、大勢の観衆の前で、首相が高らかな声が、拡声器を通して響き渡る。


 連邦議会選挙れんぽうぎかいせんきょはまだ先のことであり、この時期に演説を行うことは異例だった。しかし、西側を中心に対抗する野党が勢力を伸ばしていることを踏まえ、コルネリウスの連立政権は今回の演説を決定する。本日の首都での演説を皮切りに、いくつかの町や村を周り、支持率の回復にこぎつけるのが狙いだった。


 二ヶ月以上も前からこの遊説ゆうぜいについて、報道がなされていた。スタート地点となる首都の中央広場は今日、大きなにぎわいと混乱が予想された。特に過激派の左翼活動家や人権派の一部は、これまでも現政権のあり方を徹底的に批判してきており、広場周辺の警備を行う兵士たちはよりいっそう目を光らせている。

 司令部からは、市街地の手が空いている者は追加で警護にあたるよう、通達が出ていた。


 アルトマン准尉とバルテル少尉は演説が始まるまで、シナの木通りまで出てそれぞれ聞き込みを始める。使い慣れたお決まりの台詞をまた繰り返す。


 だいたいの通行人は怪訝けげんな目を向け、二人の体格のよさに少しひるみ、小さく会釈をして通り過ぎる。「大切なご友人が、早く見つかることを祈っています」と丁寧に添えてくれる婦人もいれば、無愛想に「忙しいんだ」とだけ言って足早に人混みへ消えていく男もいる。

 それぞれが抱えている諸問題の質や量によって、道ゆく人々の顔はさまざまな表情を見せた。似たような顔の人間はたくさんいても、ひとりとして同じ人間はいない。アルトマン准尉はぼんやりと、そんなことを思う。


「すみません、ちょっとお尋ねしたいんですが」


 十数回同じ台詞を繰り返したころ、アルトマン准尉はある二人組に声をかけた。ひとりはさらさらと黒い髪を下ろした、オーバーコートを羽織った女性。アルトマン准尉よりはひと回り年上のように見えた。もうひとりは、はっとするほど鮮やかな金色の髪を持った少女だった。厚手のダッフルコートに、ふかふかしたムートンブーツを履いている。


「えっ、あの」

 黒髪の女性は、少し怯えたような声を出す。


「お時間はとりません。人探しをしておりまして」


 准尉は慣れた手順で、さっそく探している女の特徴を並べていく。戸惑う相手には、さくさくと要件を進めてしまったほうが結果として最後まで聞いてくれる。何度か聞き込みをするうちに、准尉はコツをつかんでいた。


 話している途中、金髪の少女はじっとアルトマン准尉を見つめていた。特に怯えたふうでもなく、単純に、好奇心に突き動かされて見ている、という感じだった。ふと目が合い、准尉はにっこりと笑みを返す。しかし少女は、黒髪の女性のコートを軽く掴んで陰に隠れてしまう。


 よく見れば見るほど、不思議な組み合わせの二人だった。女性はたぶん二十代の後半くらい。金髪の女の子は十歳を過ぎたばかりのようである。親子ではなさそうだった。さまざまな特徴から、血が繋がっているわけでもなさそうだと、アルトマン准尉は思った。


「ええと、すみません――」

 黒髪の女性は言う。眉を少し曲げて、とても恐縮したような表情だった。よく見ると顔が青白く、ずいぶん不健康そうだった。


「いいえ、こちらこそ突然すみませんでした」アルトマン准尉はしゃがみ込んで、少女のほうにも目を向ける。「お嬢ちゃんも、見たことはないかな?」


 少女は目を見開く。

「ステンノーは知りません。全然」彼女は少し早口で言う。


 ステンノー。彼女の名か。

 この辺りでは、少し珍しい名前だ。


「そうか、ありがとう――」准尉は立ち上がり、黒髪の女性のほうへと向きなおり、笑顔を作る。「もしかして、こちらへは旅行かなにかで?」


「ええ、まあ」

 彼女はどこかから即席で持ち出したような笑顔を浮かべる。ほんのわずかだが、彼女の言葉にはこの辺りの発音とは違う、独特のイントネーションを感じた。


「どちらからいらしたんですか?」

「ええと――」彼女の目が泳ぐ。「パシュケブルグ、のほうから」


「それは長旅でしたね。今日の首都は、少し落ち着かないでしょう。中央広場のほうで、このあと首相の演説があるんです。とても混み合うので、終わるまでは近づかないほうがいいかも」

 アルトマン准尉はなにげなく、旅人へ助言をする。


 相変わらず、黒髪の女性は怯えたような表情だ。ひょっとするとどこか具合でもわるいのかと思うくらい、顔色が悪かった。


「あの、大丈夫です?」

 アルトマン准尉は心配して言う。それとほとんど同時に、金髪の少女が女性のコートを引っ張り、なにか言いたげに目で訴えた。


「えっ、ええ。大丈夫です。すみません。それじゃあ、私たちはこれで」

 その不釣り合いな二人は、足早に立ち去ってしまった。


 二人が人混みの中に消えてしまうまで、アルトマン准尉はその姿を目で追う。どちらかといえば、金色の髪より、長くそよぐ黒髪のほうを、長く見つめていた。


「それにしても『ステンノー』か」

 彼女たちが去ってしまってから、准尉は思い出す。そういえば、ラングハイム中尉が言っていた「ゴーゴン三姉妹」の長女にあたるのが、ステンノーという名前だった。蝙蝠こうもりの姿をした魔族なのだと聞いている。


 とんだ偶然だ。アルトマン准尉は思った。

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