耳を引き裂かんばかりの、生にしがみつく叫び声だった。
それはテオやゲイラー、シャントルイユ姉妹、そして蜘蛛たちを包み込む。
とても強い光だった。視界を覆うほどの
テオの目の前にいた蜘蛛が、
「すまない。けっこう奥にしまい込んでいたみたいでね。手間取った」
広場のちょうど真ん中。
今は木材で蓋がされている噴水に、ユージーン・エイヴリングが立っていた。ミディアムショートの白髪が、まるで雄のライオンのように逆立っている。
その右手には、片刃の剣が構えられていいる。
それは緩やかに曲線を描いた、細く研ぎ澄まされた刃を持つ
「まったく。女性に傷をつけるなど、万死に値する所業だ」
ユージーンは大太刀を両手でまっすぐに構え、縦にひと振りする。
先ほども見た青白い光が、もう一度辺りを覆う。凍えるような風が吹く。
襲いかかろうとしていた蜘蛛たちの動きはにぶくなり、身体の細い部分から凍りつき始めた。体毛が凍り、節足が凍り、それはまるでつららが落ちるように折れてゆく。
巻き付いていた糸も粘着性を失い、いつのまにか霜が付着している。マルタが槍を復元して、強く振ると、それは音を立てて崩れた。
「あれが氷属性の魔鉱石『フェンリル』の力か。凄まじいな」
テオは魔導銃で残りの蜘蛛たちを処理する。
動きの止まった蜘蛛は、射撃訓練の
ユージーンは、エウリュアレの元へと駆け込み、一気に間合いを詰めた。
今や霜で覆われている広場を蹴る。
そしてためらうことなく、大太刀を水平に振り抜く。
乾いた音がした。
まるで砂漠に剣を突き立てたような音だった。腹の部分から上下に両断された彼女の身体は、その瞬間羽虫の群れで覆われる。しかし、傷口がほとんど凍り付いてしまっており、その身体は修復されずにどさりと地面に倒れた。
「気をつけろ! そいつはダミーだ。羽虫の群れでできている」
テオは叫ぶ。
「わかってる。だが、消しておいて損はないだろう」
ユージーンは切り倒したその身体から少し距離をとった。
エウリュアレの「ダミー」は倒れたはずみで、頭を覆っていたフードがとれ、顔が露わになる。
それはまるで陶器で作られたような、白い顔だった。
眼球がなく、鼻は小さな穴が空いているだけで、のっぺりとしている。口や耳からは羽虫が、巣穴から逃げ出すようにして、大量に溢れ出ている。
そしてその口元はやはり、不気味に笑っている。
「なんとも、おぞましい――」
逃げ出した羽虫はどこへともなく消えていく。本体が、まるで空気の抜けた風船のように、少しずつ小さくなっていった。
「本物のエウリュアレが、どこかに身を潜めている可能性がある」テオは声を上げる。「さっきまで蜘蛛に化けていたようだ。用心しよう――」
「少佐! あれ!」
突然、マルタが叫んだ。広場の外へ指を向けている。
テオは振り向く。
広場から村の郊外へと向かう道。そこに大きな
けたたましいいななきも聞こえた。
「ケルピーか! 次から次へと。あれもエウリュアレの仕業だな――」
テオは魔導銃を握り直した。
主に水辺で生活を行う魔族「ケルピー」は、報告によると滅多なことでは陸地へ上がってくることはないということだった。それが今は一心不乱に、数十頭の群れをなして、こちらに向かってくる。
明らかに、なにかに使役されている魔族の動きだ。
「仕方ない。迎え撃つしかないだろう」
ユージーンは大太刀を構えて、前へと進み出る。
ケルピーは大きな馬の姿をした魔族だった。
艶のある黒い毛並みを持ち、同じように黒く輝くたてがみを持っている。水棲であるということを除けば、見たところほとんど普通の馬と違いはなかった。
だが、彼らは人間を水中に引きずり込み、平らな歯で肉をすり潰しながら食べてしまう。
互いに競い合うように、凄まじい勢いで、ケルピーたちは広場を目指す。
砂埃と地鳴りが大きくなり、黒い群れがほんの五十メートル先まで迫る。
そのとき、それは起こった。
目の前の地面を突き破って、太い
太い丸太ほどもある蔓だ。鮮やかな緑色をしており、ところどころに大きな葉もついている。それが地面から何本も、次から次へと止めどなく生えてくる。
「なんだ?! 何が起こっている?」
ユージーンが
無数の蔓が互いにからまり合い、またムチのように先端を振り回し、あっという間に目の前がほとんどジャングルのようになってしまった。蔓どうしが擦れて、ぎちぎちと締め付けるような音がする。
そして、大きな葉だと思っていたものが、真ん中からぱっくりと割れ始めた。
内側が真っ赤に熟れており、ぬらぬらと湿っている。開いた瞬間、鼻が曲がりそうなほど甘い、独特なにおいが辺りに立ち込めた。テオたちは皆、鼻に手を当てる。嗅いでいると気が狂いそうになるような
その生き物を見て、テオは「食虫植物」を思い出した。
しかし、ただ虫が落ちてくるのを待っている食虫植物とは違い、目の前の化け物は蔓を使ってぶんぶんと口を動かし、積極的に獲物を捕らえようとしているように見える。もちろん、大きさも桁違いだった。大きく開いた「口」は、ケルピーどころか、もっと大きな哺乳類も魔族も、丸のみにできるような大きさだった。
その「口」の接着面には、鋭い針のようなものがびっしりと生えている。ときおり中の粘液がこぼれ落ち、地面にどろどろとした水たまりを作っていた。
行く手を阻まれたケルピーは、ひときわけたたましい声を出した。
しかし、植物の化け物は長く太い蔓を巡らせて退路を断つ。
そして、自らの蔓ですっかり囲ってしまった獲物を、口を大きく開いて食べ始めた。
「なんて、光景でしょうか――」
ゲイラーは肩の力が抜けてしまい、魔導銃を下ろしている。
植物の化け物は、まるで鍋料理でもつつくように、ケルピーの群れをついばみ、次々に飲み込んでいった。
器用に馬の胴体を挟み込み、天高く蔓を伸ばして口を上へと向ける。そして、首や脚のつっかえをならすように小刻みに震わせながら、その身体の内側に取り込んでいく。それはまるで、ボール遊びをしている童子のような所作にも見える。
生きたまま飲み込まれたケルピーは、蔓の中でも鳴き声を上げ続けている。耳を引き裂かんばかりの、生にしがみつく叫び声だった。
飲み込んだケルピーを含んだ蔓は、そこだけ馬のかたちに不自然に膨らんでいる。懸命に四肢を動かして、もがいているのがわかった。しかし、蔓の表皮は絶望的なまでに丈夫で、まったく破れるような気配を見せなかった。
植物の化け物がきれいにケルピーを平らげてしまうまで、そう長い時間はかからなかった。食事を終えた化け物は、現れたときと同じように、地面の中へと帰っていった。音を立てて、砂埃が舞い上がる。姿が消えても、ひどく甘いにおいが辺りに立ち込めている。荒れ果てた大地に、化け物の口からこぼれ落ちた粘液がついている。そしてそこら中に黒いたてがみが散らばっている。
ジルが口を押さえてかがみこんでいた。マルタが駆け寄って、背中をさすっている。ユージーンとゲイラーは、ただただその惨状を見て、呆然としていた。
「ひどく、驚かせてしまったね」
男の声がした。
聞き覚えのある、あまり感情のこもっていない声。
舞い上がった砂埃が晴れる。広場の入り口の脇に、人影が見えた。
「グレッジャーという、召喚獣――というより、『悪魔』の一種だ」
男は言う。真っ黒なローブに、旅行用のくたびれたコート。小さな丸眼鏡をかけて、微笑している。
「レオン・グラニエ=ドフェール卿」テオは魔導銃をホルスターへ戻した。「まさか、あなたの召喚獣だったとは」
「僕ではない。
大柄のレオンの
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