蜘蛛は狡猾で、非常に執念深い。

 それは鋼鉄のかぶとよろいを纏っている。


「依頼? だれからのものだ?」

 テオがエウリュアレに問うが、彼女はただにたにたと笑うだけで何も言わなかった。


「少佐! 私が行きます!」

 マルタが槍を構えなおし、前へ進み出た。


 甲冑の戦士は歴戦を経験した豪傑ごうけつのごとく、軽やかな身のこなしでマルタへと迫る。広場の石畳を蹴って、けたたましい音を立てた。


 戦士の剣は水平に彼女へ斬りかかる。大きなひと振りが風をぐ。

 マルタは大股になって重心を落とし、槍のを打ちあてて剣を受ける。

 甲高い金属音が鳴り響いた。


「くっ!」

 重い衝撃がマルタの両腕から肩にかけて走る。

 彼女は痛みで顔をしかめた。戦士の脇腹へと蹴りを入れて、後ろへ跳ねるようにして距離をとった。


 ジルが側方から走り込み、戦士へ向かって槍を振り下ろす。

 槍には穂先の根元におののような刃がついていた。


 戦士はそれを盾で受ける。、という、鈍く重い音。

 ジルの槍を、甲冑の戦士はそのまま横へといなす。


「くあっ」

 ジルは少しバランスを崩した。


 その背中を取り、戦士はまっすぐに剣を振り下ろそうとする。


 瞬刻しゅんこく、ジルの周りの地面が光を帯びた。

 戦士の剣は、が受け止めた。広場に敷き詰められていた、長方形に切り出された石材だ。それは波を打つようにして地面ごと盛り上がり、ジルの背後に壁を作っている。彼女が構築した、簡易式の結界だ。


「ジル! 無理しないで!」

 マルタはそう叫び、槍をくるりとひと回しして、甲冑めがけて走る。


 テオは戦士とシャントルイユ姉妹の戦いを横目に、エウリュアレへノヴァを向けて、引き金をひいた。


 あの甲冑の戦士は、いわば召喚獣だと推測できる。術師であるエウリュアレを討たなければ、結局以前のように逃げられてしまいかねない。


 放たれた閃光は、彼女の左肩を直撃する。

 そのまま身体を貫き、纏っているローブを破き、後ろへ貫通した。


 しかしエウリュアレは微動だにしなかった。

 被弾した反動すら、受けていないようだった。


「くっ! 虫で作ったダミーか!」テオは険しい表情で言う。


 貫いたはずの左肩からは羽虫が吹き出した。

 ぶんぶんと唸りながら、羽虫は自らの身体で、みるみるうちに傷口を塞いでいく。ノヴァに焼かれた羽虫は、赤く火花を散らしながらぼとぼとと地面に落ちてゆく。


 何度か銃弾を浴びせてみても、まったく同じことだった。虫の集合体でしかないその姿は、撃たれるたびに修復を行った。閃光が胸を貫通しても、頭が吹っ飛んでも、すぐに羽虫が寄せ集まり、もとのかたちを復元してしまう。

 数発撃ったところで、てのひらにずきずきと痛みが走る。オーガー戦のときのやけどはもうほとんど治りかけているものの、あまり負荷をかけられなそうだった。


「あの鎧の動きを止めるのが先決か」


 甲冑の戦士はその大きな剣と盾を、まるで自分の手足のように扱って交戦している。

 マルタは風属性の魔法で槍の攻撃力を増強していた。鮮やかなグリーンの光を帯びた突きが繰り出される。しかし、戦士の盾がそれをいなす。

 彼女は槍の突きや斬撃に加えて、風属性の初級魔法を織り交ぜていた。手のひらで生まれた密度のある空気のかたまりが、かまいたちのように戦士へ向けて放たれる。


 戦士は盾でそれを受ける。足を踏みしめて反動を抑えている。盾は表面が欠け、そこからすすのようになった羽虫の死骸がこぼれ落ちている。


「効いていないわけではないようですよ!」

 マルタが言う。


 姉妹と甲冑の戦士との間合いができたときを狙って、ゲイラーが魔導銃で応戦する。赤い閃光は鎧の肩に当たり、真上へと弾かれる。そこからも、羽虫が数匹死骸となってぼろぼろと落ちた。


 力と攻撃回数で押せば、じゅうぶんに勝機はありそうだ。

「よし! 一気にたたみかけるぞ!」

 テオは甲冑へ向けて魔導銃を構える。


 しかし甲冑の戦士は、溶けるようにしてまた羽虫に戻ってしまった。


 また、ぶんぶんという羽音が辺りに響き渡る。

 虫たちはいくつかのかたまりに分かれてゆく。

 素早い動きで、それはまた収束し、凝縮されていく。


「もう、今度はなに?!」

 マルタが疲弊ひへいした声を出す。


 十数個ものかたまりに分かれた羽虫は、直径三十センチ程度の、真っ黒な毛糸玉のような姿になった。

 そしてその毛糸玉からは、細く折れ曲がった棒のようなものがつぎつぎに生え始めた。


「ひゃっ!」

 そのグロテスクな姿に、ジルが小さく悲鳴をあげる。


 なにかを探し求めるように突き出したそれは、やがてひとつの意志のもと、規則的に揺れ始めた。ひとつにつき八本生えたあしは、地面を支えて本体を浮かせる。毛で覆われたその身体には不気味は複眼と、鋭いあごが備わっている。


「蜘蛛は狡猾こうかつで、非常に執念深い。従順な魔女の使いでもある」

 エウリュアレが引きつったような声を出して笑う。


 十数体の大きな蜘蛛たちは、あごを打ち合わせて奇怪きかいな音を立てた。


 羽虫が変形して現れた蜘蛛たちは、八本の節足を自在に操り、驚くべき速さで地面を這いずりまわる。乾いたものをこすり合わせるような、不快な音を発している。


 テオとゲイラーは魔導銃で撃ち抜こうとするも、蜘蛛たちは機敏な動きでそれをかわしていく。


厄介やっかいな――」

 ゲイラーが狼狽ろうばいした声で悪態をつく。


 シャントルイユ姉妹も、互いに背中合わせになって蜘蛛を撃退しようとしていた。マルタはほとんど涙目になって、少し及び腰に、武器を振り回している。

 彼女たちの槍を、這いずる蜘蛛は軽々と避ける。


「勘弁してよっ!」

 マルタが悪態をつく。

 槍は依然として地面の石材を打ち、鈍い金属音を鳴らしているだけだった。


 やがて黒い身体は、テオたち四人を囲うようにして、間合いを詰める。

 固そうなあごを大きく広げて、ぬらぬらと湿った口をこちらに向けた。


「まずい!」


 なにか仕掛けてくる。直感的にテオは思った。

 いちばん近くにいた蜘蛛に魔導銃を撃ち込む。その固いあごから大きく膨らんだ腹にかけて、閃光が貫く。

 大量の羽虫が飛び散って、蜘蛛は霧散した。

 しかし数が多い。狙撃が間に合わない。


 残りの蜘蛛はそのあごの内側から、大量の糸を吐き出した。


「きゃあああっ!」マルタの叫び声が聞こえる。


 その太く白い糸は四方八方から襲いかかり、身体に巻きつくようにして貼りついた。


「マルタ! ジル!」

 テオはシャントルイユ姉妹が糸で絡めとられていくさまを見た。


 それは絹を何重にも束ねたロープのような強度と、接着剤のような粘度を持っていた。ねじり切ろうとして動けば動くほど、糸と身体が、あるいは糸同士が合流し、引き合い、より締め付けが増していく。


「かなり――強力な材質のようです」

 ゲイラーとテオも、吐きつけられた糸によってしだいに身動きが取れなくなっていく。蜘蛛たちはその黒い身体を後ろへ引き、糸の張力を上げた。まるで意志を持ったように、糸が身体を捻りあげる。


「あっ――」

 強く締めあげられ、ジルの手から槍が落ち、消えてしまった。苦しそうにもがき、顔を歪ませている。

 マルタも地面に膝をついた。抵抗も虚しく、その銀色の髪が糸で乱れていく。


「蜘蛛の餌になってもらおう」

 エウリュアレが右手を上げると、蜘蛛たちは吐き出した糸を切り、もそもそと迫ってきた。あごを打ち鳴らして、口の奥から泡立った液体が漏れている。


 マルタの近くまで迫った一体が、まるまるとした腹をぶるんと震わせた。


「いやあっ!」マルタが目を閉じて、顔を背ける――


 そのとき、地面を裂くようにして、青白い光が広場を駆け巡った。

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