主の温かきご加護が、あなた様に末長くありますよう。
テオたちが教会の食堂に向かったころ、車内に残っていたゲイラーは、ラゲッジに積んでいた魔導兵器の手入れを行なっていた。ひとつひとつウエスで丁寧に磨き、分解できるものは分解して、部品どうしの接合部分にオイルをさす。
三つ目の魔導銃を手にとったとき、シートの下の隙間に、なにかうごめくものを見た。
それは黒い足を持った、比較的大きな虫のように見える。ゲイラーは目を細めて覗き込む。ラゲッジに乗り込み、シートを強く叩いてそれをおびき出そうとする。
何度か叩くうちに、それはシートの隙間から姿を現した。
ずいぶん大きな
ゲイラーは目を細めて蜘蛛を睨む。
あごにてをやり、考える。彼はジャングルでの戦闘経験があったおかげで、毒を持つ虫や動物について、ある程度は熟知していた。しかし、その蜘蛛は彼にも見たことがない種類のものだった。少なくとも、マルシュタットやトルーシュヴィルに生息しているようなものには見えなかった。
車内から逃げ出し、すばしこく広場を横切って逃げていくその蜘蛛を、彼は魔導銃で撃って殺してしまおうかと、一瞬考える。
しかし、そのときちょうど教会のほうからにぎやかな子供の声が聞こえてきた。彼らを銃声で驚かしてもいけない。それに、村に軍人が来ているということが知れ渡ってしまうと、ザイフリート少佐の仕事に支障が出る可能性もある。ゲイラーはそう思い、銃へ伸びかけた手をポケットの葉巻へと移動させた。
蜘蛛はそのまま、茂みの中へと消えていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ごめんなさい! 来週の研修会の準備で、遅れてしまいましたわ!」
食堂に現れた女性は、濃い黒色の修道服を身に
「ええと、この方は?」
どうやらこの教会の修道女らしい彼女は、テオを見て、少し怪訝な眼差しを向けた。
「やあユッテ。昼食はもう済んだよ。あっという間にね。大丈夫、子供たちはみんな、きちんと祈りを捧げていた」ユージーンは砕けた笑顔を彼女に向ける。「彼は僕の友人でね。以前、首都へ食材調達に出かけたときに知り合った
「あら? そうでしたのね」
ユッテと呼ばれた修道女は、少し恥じ入ったような顔をする。
「どうも」
テオは会釈を返す。
「すみません。お越しいただいたのに、なんのおもてなしもできず」ユッテはぱたぱたとテオのそばに来て、勢いよくお辞儀をした。「こんなところまで足を運んでいただいて、誠にありがとうございます。よろしければ、今後ともぜひユージーンの店のお引き立てをよろしくお願い致します」
「それは、もちろん」
テオは困惑してユージーンを見る。
「ユッテ。大丈夫だよ」ユージーンはユッテの肩に手を乗せる。「ザイフリートさんは取引先について、しっかりと正しく判断できる目を持っている。今だって、まさに彼は、うちの店により栄養のあるものを
ユージーンの話を聞いて、ユッテは両手をきれいに合わせて、にこやかに
「それはなんてお心の広いお方でしょう。
ユッテは祈りを捧げて目を閉じる。少しそばかすの浮いている白い頬に、長い
「ユッテ、僕らは店に戻るよ」ユージーンが言う。「これからのことを少し打ち合わせするんだ」
ユッテはいくつか事務的なことをユージーンに伝える。ケルニオス生誕祭も近づいているためか、週末には教会が担う行事ごとも多いようだった。ときどき冗談を織り交ぜながら会話をする二人は、もうずいぶん深い仲のように見える。やりとりするひとつひとつの言葉には、その言葉だけでない、それ以外の意味合いもいくらか混ぜ込まれているように感じた。ちょうど、アイントプフからローリエの葉がこっそりと香るように。
彼女はもう一度小さくお辞儀をしてから、またぱたぱたと食堂を去っていった。
「きみが軍人であることは、伏せておいたほうがいい」ユージーンは食缶を持ち上げて言う。「彼女は、僕がこの村に来たころからの
「軍人に対して、いや、もっと言えば国に対して、彼女は批判的な立場ということかな?」
テオの問いに、ユージーンは難しい顔をした。
「神に祈ってばかりでは、解決しないこともある。僕たちは、現実的に生きていかなければならない。彼女の――ユッテの半分は、それをわかっている。貧しいことに文句を言っていても、なにも変わらないことを、わかっているんだよ。だけど、もう半分は違う。たくさんの理不尽や不条理に対して、彼女はわだかまり、苛立ち、声を張りあげて叫んでいる。この教会にやってくる子供たちのほとんどは、親を戦争で亡くしている。それも動機のひとつだ。それに、僕が世話になったあの店の親父さんは、ユッテの父親でね。彼の病気も、もう少し暮らしが裕福ならば、もしかすると治す手立てがあったかもしれない。そういう経緯で、彼女は戦争を恨んでいるし、戦争に金を使う者を憎んでいるし、戦争をする者を嫌っている」
テオは何度か頷きながら、彼の話を聞く。
「それじゃあ、たとえ教会の子供たちのためとはいえ、きみが戦いに駆り出されてしまうとなると、彼女はいい顔をしないだろう?」
「もちろん、そうだろうね」
「きみたち二人は、見たところ親密なようだし」
「だとしても、だよ。ザイフリート少佐」ユージーンはリズムよく喉を鳴らして笑う。「やはり、これは僕の役割だ。そこは揺るぎようがない。正直なところ、この話をさっきマルタさんから聞いて、天命を受けたような気持ちにもなったんだよ。大袈裟じゃなくね」
「役割。きみは、ずいぶんその言い方にこだわるね」
彼を深い腹の底から突き動かす、なにか重たいうねりのようなものを、テオは感じていた。
そしてそのうねりはまた、自分自身の中にも確認できるものだった。テオの場合は、それはしばしば夢によって鎌首をもたげる。お馴染みの、妹が連れ去られ、アニカが足元に倒れている、あの夢によって、思い出される。
「いわゆる『転生者』にとって、二回目の人生でなにを選びとって生きるかは、思っていたよりずっと頭を悩ませる」テオは続ける。「前の世界で叶えることができなかった願いのようなものが、われわれ転生者をそうさせるようだ。おれの場合、ろくでなしの母親のもとに妹を残してきたことが心残りだった」
ユージーンは黙っている。
「おれは母親を撃ち殺したかった。できれば父親も。それは、比喩的にそうしたいという意味かもしれないし、実際に引き金をひいて脳天をぶち抜きたいという意味かもしれない。今では正直、よくわからない。でもとにかく、そういう暴力的なたぐいのことを、銃を持っているならば当然するべき基本的な行為を、おれは遂行したかった。それをするために軍の仕事を快諾した」
「それで、願望は達成されたのかい?」ユージーンは静かに尋ねる。
「まったく。達成はほど遠い。もちろん、内面的な意味だけど」テオは眉を吊り上げて笑う。「むしろ、達成はしだいに遠ざかっていく。ときどき、結局おれはなにを撃ち抜きたかったのか、よくわからなくなってくる。それをたしかめるように、とりあえず撃てと言われたものを撃つ。撃ったものは敵の兵士だったり、最近では魔族だったりするけど、もちろんどれも撃ちたいものではなかった」
テオはそう言って、食器を入れたかごを持つ。
二人は食堂を後にする。
「少佐は、われわれ転生者の人生とはそういうものだと? なにを選びとろうとも、それは本当の意味で、満たされないのだと?」
「半分は、そう思う。でももう半分は、いつか、ひょんなことで事態が好転することに、ひっそりと期待してる。例えば、妹にとても似た人と、この世界で出会った。彼女は少なからずおれを前向きにしてくれた」
ユージーンは神妙な面もちになる。淡いブルーの瞳が光る。
「それは、少佐にとって運命的な出会いだったのかな?」
「どうだろう。彼女はもういないんだ」
「――そうか。しかし、少佐には大きな影響を与えた。実際に」
「ああ」
「興味深いことだ。それは、実に」
僕は前の世界に、婚約者がいたんだ――ユージーンはそう言った。
「ユッテは似ているんだ。その婚約者に」
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