第十二話 -信仰-

人を殺すのは悪いことですか?

「レナエラ! ステンノーは強いですか?!」

「うん、すっごく。もうびっくりだよ」


 ルーンクトブルグ連邦共和国の西方に位置するティルピッツという町で、レナエラとステンノーは昼食をとっていた。


 イオニクの屋敷を後にしたのは昨日のことだ。ステンノーの「お仕事」についていくのは、レナエラにとって、思っていた以上に体力のいることだった。


 鬱蒼うっそうと生い茂るイオニクの樹海を抜け、岩石でできた結界を破壊し(ステンノーが風属性の魔法で、いとも簡単に壊してしまった)、ルーンクトブルグ領に入ったとたんに駐屯兵に見つかってしまい、それをはらい退け(ステンノーが風属性の魔法で、いとも簡単に殺してしまった)、近くの村まで歩き、パシュケブルグという街へ出ている列車に乗り、車内で睡眠をとった。


 大きな城塞で囲まれたその街へ着くと、今度は首都行きの列車に乗り継ぎを行う。しかしどうやら乗り間違えてしまったようで、たどり着いたのはここティルピッツだった。

 この町から出ている首都行きの列車は本数があまりない。次の列車が来るまで、しばらく待たなければならなかった。


 ティルピッツはこれといって特徴があるわけでもなく、至極平凡な町だった。

 レナエラは、もし自分がただの旅行者であると想像してみる。観光名所をぐるりと回って、ちょっと値の張る夕食をとり、ワインを飲み、大きめのベッドでゆっくりと寝ることができるような旅を、想像する。まず間違いなく、ティルピッツに訪れることはない。


 もちろん、レナエラとステンノーは観光のために共和国を訪れたわけではない。だから、列車を乗り間違えてティルピッツに来てしまってもべつに変ではないのだ。安いわけでも高いわけでもない、こじんまりとした、ごくごく普通のレストランで、びっくりするほど太いソーセージと、びっくりするほどすっぱいザワークラウトを食べていても、全く変ではない。首相を暗殺する一行というのは、もしかしたらこれが普通なのかもしれないとさえ思う。


 いずれにせよ、ステンノーはソーセージを美味しそうに頬張り、ザワークラウトもあっという間に平らげた。「いい食いっぷりだねえ嬢ちゃん」と、店主におまけでもう一本ソーセージをもらう始末だった。


 考えれば考えるほど、不思議な旅だ。油断すると、レナエラは自分が帝国の人間ということを忘れてしまいそうになるくらい、過去とは切り離された気分になった。


 彼女は屋敷にあった外着のうち、木綿の白いブラウスと黒のビロードをつかったロングスカートを選んだ。古いデザインのものばかりの中で、いちばんまともに見えたのが、その組み合わせだった。黒のオーバーコートをその上に羽織ると、まあまあ旅行者らしく見える。出かける前、大きなつばの羽飾りがついた帽子をかぶってみたが、驚くほど似合わなかったので屋敷に置いてきた。

 靴だけは、帝国軍支給の編み上げブーツをはいた。スカートに隠れてほとんど見えないので、怪しまれることはないだろう。

 下着についてはいちばん最初に訪れたパシュケブルグで、派手でも地味でもない量販のものを買い足した。


 レナエラが「こりゃあ、もう腹をくくるしかない」と思ったのは、結界のすぐ外で、ステンノーがルーンクトブルグの駐屯兵を殺したときだった。


 彼女はまったく躊躇ちゅうちょすることなく、彼らを魔法で切り刻んでしまった。


「ステンノーは、殺さなければいけない人間だから殺しました」

 彼女はその金色の髪を少しも血で汚さずに言う。


 兵士たちの残骸ざんがいは、戦場では見慣れたものであったが、投げ出された彼らの手足は、戦場のそれとはべつの、まるでなにかの印のように見えた。それは呪術めいたメッセージを内包しており、レナエラが歩めば歩むほど、首都へと近づけば近づくほど、彼女の帰り道を掻き消してしまう呪印じゅいんとなっていった。

 今ごろ、彼らの遺体はほかの駐屯兵に見つかり、大騒ぎになっていることだろう。


 とりあえずは、前に進まなけらばならない。

 心を折ることなくここまでこれたのは、実際のところステンノーの存在が大きかったと、レナエラは思う。彼女は厚手のダッフルコートにふかふかと羊毛が詰め込まれたブーツを履いており、まったくどこからどう見ても、普通の女の子だった。


 彼女はこの国をだれよりも楽しんでいるように見えた。

 共和国に来るのは初めてではないらしいが、見るものすべてにいくらか大げさに反応し、お決まりのように「あれはなんですか?!」とレナエラに尋ねた。教会も、列車の汽笛も、市場のテントも、バスも、気球も、なんでもかんでも見つけてはレナエラを呼ぶ。レナエラは、わかるものはすぐに回答し、よくわからないものは一緒に考えて、いくつか仮説を立てる遊びをした。


 ルーンクトブルグで見る景色は、正直なところ帝国とほとんど変わりはない。ルーンクトブルグで見たことのあるものは、ソルブデンでもみたことがあるし、ルーンクトブルグで初めて見るものは、ソルブデンでも「あれはなんだろう?」と思うことだろう。

 今のところ違いと言ったら、どの店も肉は腸に詰められているということと、酒と言ったら黄金色こがねいろに輝く大麦由来のものである、ということくらいである。


「できればあまり人は殺さない旅のほうが、私はいいなあ」

 おまけでもらったソーセージを頬張ほおばるステンノーを眺めながら、レナエラは言う。


 ステンノーはもごもごとなにか言っているが、うまく聞きとれない。


「目の前で人が死んでしまうのを見るのは、あまり気持ちよいものではないし」レナエラは頬杖ほおづえをついて続ける。「それに相手が魔力を使う人間だと、私具合が悪くなっちゃうんだ。死ぬときにその人が見ているものが、魔力に乗って、私の中に流れ込んでくるの。結界のすぐ外にいた兵士さんのひとりも、息絶える直前、家族の顔を想っていた。それも、すごく幸せそうな笑顔。最近子供がつかまり歩きを覚えて、テーブルの上の物をなんでもかんでも手にとって口に入れてしまうから、奥さんが大変らしいの。ケルニオス生誕祭には休暇がとれそうだったから、家族でゆっくり過ごすつもりだったみたい。そういうのがわかってしまうのは、けっこう、つらいんだよ」


 ステンノーはソーセージを飲み込み、ナプキンでごしごしと口の周りをぬぐう。

「レナエラがつらいのは、ステンノーも嫌です。わかりました。できるだけステンノーは人を殺しません」


「そうしてくれると、助かる」

「レナエラ?」

「なあに?」

「人を殺すのは悪いことですか?」


 ステンノーの質問に、レナエラは少し考える。

「どちらかといえば、悪いことかなあ」


「ステンノーたちがこの世界に来たとき、人間は人間をたくさん殺していました」ステンノーは真剣な眼差しで言う。「そして、もっとたくさんを殺すために、ステンノーたちは連れてこられました。そのときはたくさん殺せば殺すほど、褒めてもらえました」


「それは、戦争をしていたから」

「戦争のときは、殺すのはいいことですか?」

「うーん、そういうわけじゃないんだけど」


 ステンノーは口を尖らせる。

「ステンノーにはわかりません。人が死んだりするお話は、本でもたくさん読みました。でも、本の中の人たちは人を殺すとき、あまりしゃべってくれません。しゃべってくれたとしても、すごく難しい言葉を使ってしゃべります。ステンノーにはよくわからない、難しい言葉です」


「例えば、どんな言葉?」

「いちばん最近見た本では、銃で女の人を撃ったあとに、男の人が『愛していたのに』と言っていました。ステンノーには、いまいちよくわかりません。『愛していたのに』について、詳しく書いてくれてなかったんです」


「ステンノーちゃんの見た本が、どんな物語かはわからないけど、愛する人が死んでしまったら、人間はとても悲しくなるの」

「愛することは、いいことですか?」

「ええ。愛することは大事だし、いいことだよ」


「レナエラ」

「うん?」

「愛するってなんですか?」


 ステンノーの質問に、またレナエラは考える。

 さっきよりも長く、考える。

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