今ごろはたぶん、シュトレンの材料調達で忙しいんじゃないですかね。

「話はわかった」テオは片手を上げて頷いた。「とにかく、マルタ・シャントルイユ曹長。きみがかけつけていなかったら、ラングハイム中尉はかなりまずい状況だったわけだ。礼を言おう」


 魔導連合部隊「ブリッツ」の士官室に、銀色の髪をなびかせ、顔立ちのそっくりな女性が二人、現れた。


「えっ――そ、その、はい――」

 マルタは赤面する。


 テオは朝から昨日の書類整理の続きに立ち向かっていた。


 今朝は特に冷え込んでいた。

 前に着ていたキルティングジャケットでは凍えてしまうと思い、テオはクロゼットの奥からチャコールグレーのピーコートを引っ張り出して着込む。少し埃くさかったが、気にしなかった。


 士官室も予想どおり、外気によってしっかりと冷やされている。薪ストーブが室内を温めるまで、テオはコートを着たまま作業を進めた。


 すると、恐るおそる部屋のドアが開かれる。

 わずかな隙間から覗き込んでいるのは、深いグレーの瞳が四つ。きょろきょろと、部屋の中を観察していた。それははっきりと「本当はこんなところに来たくはなかった」という目だった。できればすぐにドアを閉めて帰りたいのに、不本意ながら、どうしても仕方がなく、ここを訪問したという目だった。


 テオは声をかけ、彼女たちを中へ招き入れる。彼女たちの士官室へ足を踏み入れるその一歩一歩が警戒心を宿している。腕の動きも目線も、ずいぶんぎくしゃくしている。


 自己紹介を受ける前から、テオは彼女たちがスズの部下なのだろうという想像がついた。

 彼女たちは、特に目立つデザインではないダークグレーのコートに野戦服という、軍人としてはごく普通の出で立ちである。


 だが、その銀色の髪は目を引いた。


 二人は聞いていたとおり、姉妹である。

 姉のマルタ・シャントルイユ曹長は、長い銀の髪をブルーの髪紐で何箇所か束ねている。目尻が優しく垂れ下がっており、柔らかな雰囲気を作っていた。

 妹のジル・シャントルイユ伍長は、姉のマルタよりもわずかに背が低い。短く切りそろえたショートカットをしているが、長い前髪が目をほとんど覆い隠してしまっている。ジルは、姉が自己紹介しているあいだも唇をぎゅっと結び、ずいぶん落ち着かない様子だった。マルタがそのままジルの紹介もあわせてやってしまったし、昨日の夜の報告についてもマルタが行ったので、彼女は士官室に来てまだひと言も発していない。


 二人とも、その銀色の髪はとても美しく輝いていた。

 目を奪われるほどだった。


 それは、濁った水を集める前の、湧き出たばかりの渓流を思わせる。中流から下流にかけて行われる生き物たちの、日常的な営みによって生まれた有機物ゆうきぶつを、その髪は含んでいない。その銀色は、不純物のないただひとつの水源が由来である。そして同時に、草原の香りを乗せた、異国から吹き込む貿易風ぼうえきふうを思わせる。航海士はその風を読んで船を出航させる。その道しるべになりうる風を、その髪は含んでいる。

 その髪は魅力的である一方で、心を許さぬ者が触れるならば、執念深く怨念おんねんを浴びせるような、少女的な身勝手さも感じさせた。


「襲ってきたその男は、中尉に傷をつけることができた。魔法かなにかで出現させたレイピアで」

 テオはマルタの報告内容を繰り返す。


 マルタが頷く。

「はい、ザイフリート少佐。いつもならすぐに修復されるはずの傷が、昨日は違いました」


「つまり、男は魔鉱石の力を有している。『転生者』である可能性が高いと、中尉も考えていたと。ちなみにきみたちは、中尉のについて、ほとんど知っているということか?」


 もろもろ、とはもちろん、彼女が不死身であることや、五百年前に転生したという事実のことだ。軍の最高機密の共有範囲の確認だった。


「存じております」マルタは言う。「私たちの境遇きょうぐうも、中尉とは共通するところがあります。私たちもまた、このユールテミアとは違う、べつの世界から来たのです」


 テオはあまり驚かなかった。その銀色の髪の輝きのせいで、もうほとんど最初からそうなのではないかという直感的な確信があった。


「それは、話してよかったのか?」

「はい。ラングハイム中尉から、少佐は信頼に足る人物だと聞いておりましたし――」マルタはぱっと口を押さえる。「いえ、すみません! 生意気な言い方を」


「かまわないよ。口の聞き方に気をつけていられるほどこの部隊は暇じゃない。もっと不遜ふそんやからもいる。気にすることじゃない。それより、ちょうど人手が欲しかった。働きで返してくれれば、なにも問題はない」


 今日も今日とて、なかなか骨の折れそうな予定が目白押しなのだ。


「きみたちは、化け物と戦えるか?」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 テオとシャントルイユ姉妹は、一時間後にはもうすでに黒いワゴン車に乗り込んで、トルーシュヴィルという村に向かっていた。


「助かるよ、ゲイラーさん」

 助手席に乗っているテオは運転手へ礼を言う。


「お安い御用ですよ。首都とその周辺は、走り慣れてますから」

 ゲイラーは口元にしわを作って微笑む。


 テオはシャントルイユ姉妹に、すぐ普段着に着替えてくるよう指示をした。突然のことに二人は戸惑う。どうやらスズからこの特殊部隊の趣旨について、あまり説明を受けていないらしい。テオは内心に舌打ちをしながら、二人には軍人だと知られるとなにかと不便なことがあると伝え、納得させる。


 昨日ラングハイム中尉を襲った男に関しては、すぐにその特徴をまとめ、司令部へと報告をした。加えて、今マルシュタットで例のジャーナリストの女を捜索しているフィルツ大尉たちにも情報を共有する。そっちのほうは、依然として新しい情報はなかった。


「べつに報復したいとは微塵みじんも思わないが」車と運転手を借りるため、デニス・リフタジークへ連絡を入れたとき、彼はしゃがれた声で言った。「仮にあの女が見つかり、例の魔族についても知っていたとしたら、一度フロイントへひきずっていってけじめをつけさせねえとな」


 ワゴン車はマルシュタットの市街を抜け、いくつか路地を左右に折れ、やがて畑の広がる郊外へ出る。


 シャントルイユ姉妹は軍服を着替えてきた。

「こう言ってはなんだけど、ほかになかったのか?」彼女たちの格好を見て、テオは目を細めた。「まるでセキリュティーポリスやガードマンみたいだ」


 二人は黒のブラウスに黒のスーツ、ダークグレーのコートという出で立ちだった。マルタは肩幅にジャストサイズのジャケットを着ており、胸のところのボタンがとどいていない。ジルはジルで、袖が少し長く、手首をすっぽり隠してしまっていた。


「すみません、急だったもので――諜報活動中に使っていた普段着ならあるんですけど」とマルタは言い訳する。


「それでよかったんじゃないのか?」

「洗濯――サボってたんです」

「きみたちがこちらに戻ってきたのは」

「一週間ほど、前です」

「なるほど。聞かなかったことにしたほうがいいね?」

「すみません」


 ゲイラーのワゴン車は直線に入り、ぐんと加速する。すでに収穫を終えて丸裸になった畑を、どんどん追い抜いていく。


 テオは助手席で、以前レオンからもらったリストを手に取り、眺めていた。

「こいつが手を貸してくれるなら、今回討伐予定の魔族はさほど手こずらないだろうな」


 今朝、駐屯兵より魔族の目撃情報が入った。トルーシュヴィルの北側の湿地を流れている川で、「ケルピー」と呼ばれている魔族が数匹住み着いているらしい。

 そしてそれと同時に、トルーシュヴィルにはスカウトしたい人間がいた。


「そのエイヴリングという方は、魔導師なのでしょうか?」

 後部座席からマルタが覗き込む。


「ああ。魔法を扱える点で言えば、魔導師だ。もっとも、かなり特殊な種類の魔導師のようだけど」


 ユージーン・エイヴリング。

 ばさばさと伸ばしっぱなしの白髪に、こちらを睨みつけるようなブルーの目を持っている。写真の撮影が七年前のようだから、今は二十代の前半か。彼の顔写真のとなりには『S』とランクがつけられていた。それは「転生者」ということを表していた。


「なんだか、ずいぶん気難しそうな方です」マルタが眉をひそめる。

「まともに取り合ってくれるかどうか、そこからだな」


 車はなおも、畑を突っ切っていく。

 空には薄く雲がかかっていたが、雨が降り出すことはなさそうだった。近くの林から、大きな鳥が数羽、飛びだってゆく。ひからびたような鳴き声が聞こえる。途中何度か砂利道じゃりみちに乗り上げ、小さな石がばちばちと車体を打つ。ゲイラーは気にせず、スピードを保って走り抜ける。


 マルタ・シャントルイユは、ゲイラーと挨拶を交わしていくらか世間話を交わしたり、テオとは特殊部隊「ブリッツ」の編成方針や活動目的、そして「ケルピー」という魔族についても情報共有を行った。そのあいだ、ジル・シャントルイユは外の景色を眺めている。未だ、テオは彼女の声を聞いていない。ゲイラーと会ったときも、おびえたようなそぶりで軽く会釈をするだけだった。


 シャントルイユ姉妹は、つい最近まで帝国の首都グリエットで諜報活動を行なっていた。約半年、グリエット市民当然の生活をしながら、国内の情報収集を進めていた。

 五年前から起こっていた魔族の襲撃のほとんどが帝国の策略であったことや、それが旧イオニク公国との共謀である可能性が高いこと、そのほか西部戦線リオベルグの帝国軍の戦力配置など多岐にわたって情報を取得し、持ち帰ったのが彼女たちだった。


「おかげで、パンの種類にはかなり詳しくなりましたよ。今ごろはたぶん、シュトレンの材料調達で忙しいんじゃないですかね」

 マルタは言う。


 畑ばかりだった風景に、少しずつ家屋かおくが現れ始めた。


「もうまもなく、トルーシュヴィルの中心部です」

 ゲイラーがアクセルを緩め、減速した。

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