「情けは人の為ならず」という言葉がある。

「ああっ! 少佐! だめです、そんな――」

 ラングハイム中尉は苦しそうに喘いでいる。

「変な声を出すな! いいから中尉、早くきみの家を教えてくれ!」

「だって――う、うっ! 揺らしたら――うあ――」


 泥酔したラングハイム中尉を背負い、テオは夜中のシナの木通りを歩いていた。


 バルバラの店には、結局時計の針がてっぺんを回るころまで居座ってしまった。中尉は、必死で止めるテオを無視してビールを追加で三杯注文した。そのあと用を足しに手洗いに行って、帰ってきたと思ったら顔面蒼白がんめんそうはくになっている、というのを数回繰り返した。


「いつもあんな飲み方をしているのか?」

「ふー」

「酒に弱いことを知っていて、自己管理もせずに」

「あー」

「まったく。やっぱりこの世界も、未成年の飲酒は禁止すべきだよ」

「うえ」


 テオはその辺りの草陰くさかげに、背中の上のものを遺棄したいという衝動をかろうじて堪える。秋の夜は少し冷えるが、まあ捨てたところで凍死には至るまい。いや、いずれにせよこの魔女は死なないのだから、そんなことを考える必要もない。


 中尉をおぶっていて、テオはふいに懐かしさを感じた。

 遊び疲れて、自分の背中の上で寝息を立てている少女。サンダルはそのままだと脱げてしまうので、あらかじめ脱がせておかなければならない。あまり手に砂がついていると、母親に怒られる――

 テオはその少女の泣き顔を思い出す。


「――今度こんな飲み方したら、おれが殺してくれる」

「あ、言いましたね少佐。約束ですよ」ラングハイム中尉は背中の上でへらへらと笑う。

「聞こえてるんじゃないか! 撤回だ撤回。そんな約束してたまるか。ほら、早く家の方向を教えてくれ」

「官舎ですよ。十四番地の第二棟です」


 シナの木通りを抜けて、テオは官舎のあるプラッツ地区へと足を向ける。

 深夜のマルシュタット市街は穏やかに時間を刻んでいた。しかし同時に、不気味な静けさを持っていた。

 近くの植え込みで虫が鳴いている。風が街路樹がいろじゅを揺らして去っていく。遠くの酒場では、かすかに笑い声が聞こえた。飲み明かすことを決め込んでいるのか、男たちの賑やかな声だ。


 首都マルシュタットは、ルーンクトブルグ連邦共和国の繁栄はんえいを、とてもわかりやすく誇示しているように見えた。

 鉄道を中心に交通機関が発達すると、それを待っていたかのように大学や調査機関、博物館や娯楽施設などがに建ち並んだ。それらがまた人々を吸い寄せ、さらに街を大きくしていった。


 今やルーンクトブルグの国民は、マルシュタットに住むことこそ、人生の成功なのだと思っている。


 ところで我が国は、隣国のソルブデン帝国との国境線にあるリオベルグを争い、交戦が続いていた。

 リオベルグはもともと、過去存在した君主制国家くんしゅせいこっかイオニク公国の北に位置する鉱夫こうふの町であった。しかし六十年前にイオニクで内乱が発生し、イオニクは国家として崩壊。リオベルグには事実上、主権が及ばなくなった。


 リオベルグの住民たちはフラーノ族であり、同じくフラーノ族のソルブデンが統治するかのように思えた。

 しかしながら、リオベルグは独立を宣言する。

 何世紀も続いたイオニク公国の一部であったリオベルグ民には、フラーノ族としての民族意識はほぼ皆無だったのである。


 そこへルーンクトブルグが軍事介入を行い、小競り合いは泥沼化どろぬまかした。表向きとしてはリオベルグの独立を支持する立場をとった介入だが、実際のところ、イオニクで採掘されていた魔鉱石「ハイランダー」の交易を円滑えんかつに進めたいという意図があった。

 当然、ソルブデン側にも同じ意図がないとは言い切れない。

 リオベルグでの交戦は激化と膠着こうちゃくを繰り返し、現在に至っている。


 リオベルグは首都から西に三百五十キロメートルも離れている。マルシュタットに住んでいる人間は、新聞やラジオでしか戦争のことを知らない。優勢だの、劣勢だのを、まるでスポーツかのごとくしている。


 マルシュタットの崩落は、ルーンクトブルグの終わりを意味する。テオは軍人として、そのことだけは忘れないように心がけていた。


 テオは召喚されたその瞬間から、軍人となることが決まっていた。他の選択肢はなかった。この世界での人生は、言ってしまえば、理不尽なほどの不自由から始まったのである。しかしテオは、どちらかと言えばこの不自由さを堪能していた。


 軍人は、敵兵へ向けて銃が撃てる。

 円盤型えんばんがたの的ではない、生きている人間を撃てるのだ。


 テオはそれでじゅうぶんだった。


 背中に乗っている魔女が寝息を立て始めた。首に回されていた腕がダラリと下がってしまい、まともに体重がのしかかってくる。テオは何度か背負いなおす。ローブが乾ききっておらず、いくらかまだ血生臭い。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ほら、到着だ。中尉、起きてくれ」


 テオは官舎のあるプラッツ地区の十四番地、正門前へ到着した。

 ラングハイム中尉はもぞもぞと動き、億劫おっくうそうな声を出す。注意深く彼女を下ろし、立たせる。少しふらついているが、なんとか官舎へは歩けそうだ。


「ありがとうございました」中尉はへなへなと敬礼する。

「いいよ。それより帰って水を飲んで、しっかり休め」


「――少佐」

「なんだ?」

「魔導銃出してください」

「断る」

「構えて」

「却下だ」

「そのまま私に銃口を向けて、引き金をひいてください」

「断固拒否する」


 彼女は本当に、ぶれない。


「スズ・ラングハイム。はっきり言おう」テオは中尉の肩を掴んだ。「きみは死ぬべきではないよ。そして、たぶんきみ自身も、本当は死ぬことを望んでいるのではないと思う」


「いいえ、死にたいです」

「違う。本当は違う」

「違わないですよ。喉から手が出るほど『死』が欲しいんですよ」

 中尉はまっすぐな目でテオを見つめ返している。


 だめだ。この瞳は純朴な光を宿している。なのに、死ぬことしか見ていない。まっすぐで、美しい。なんて一途なんだろう。

 テオはため息をついた。


「すみません、少佐」彼女が妙にしおらしい。「わかってます。ご迷惑をおかけしてしまっていること。おっしゃっていたように、人殺しの依頼なんて誰もやりたくないですよね。相手のことも考えず、私はかなり強引でした。反省して、以後大人しく生きることとします。では」

 彼女は官舎の方へ歩き出す。


「おいおい!」とっさにテオは呼び止めた。

「なんですか? 私は少佐に殺されるのをあきらめた女。思わせぶりはやめてください」


 あのなあ――

「いいか、殺すのはごめんだ。そんな人道外れる依頼には、当然応じられない。だからを考えようと言ってるんだ」

「他の方法? それはどのような?」


 テオは答えにきゅうする。具体的にどんな方法があるのか、さっぱりわからない。むしろ、方法があるのかどうかさえ、わからない。


「先ほども言ったが――『情けは人の為ならず』という言葉がある」

「あ、ごまかす気ですね。その感じ」


「おれが、前の世界にいたときの言葉だ。『ことわざ』という。『情けは人の為ならず』とは、情けはその人のためだけではなく、いずれ巡り巡って、自分に帰ってくる。だから、困っている人は助けましょう。そういう、教訓のようなものだ。たしか成り立ちは明治時代めいじじだいのころだったから、きみは知らないだろうけど」


 ラングハイム中尉はうなづいた。「まあ、なんとなく、意味はわかります」


「同じく、『乗りかかった船』という言葉がある。いったん関わった以上は、途中でやめるわけにはいかない。問題が解決するまで、成し遂げよう。そういう意味だ」

「はあ――どう着地する気ですか?」


「この二つを合わせると、スズ・ラングハイム。『きみを助ける』という結論になる」


「――なるほど。に落ちました。つまり私は殺されると」

「もちろん殺さずにだ」


 どうしてそんな気を起こしたのか。あとから考えてもテオにはわからない。

 気の迷いかもしれないし、若干の同情、だったのかもしれない。


 ただ少なくとも、見たくなかったのだ。バルバラの店を遠ざけるようにして生き続けるような、人と関係を築いていくことに怯えて暮らすような、スズ・ラングハイムの姿は。


「少佐、お気持ちはありがたいですが、私もこれまでいくつもの方法を試してきました。何百年もです。もういまさら、どうにかできるとは、正直――」


「そうだな、わからない。すぐにどうにかできるなんて、おれも思ってはいないよ。でもね、自慢じゃないがおれはきみがいた世界よりも五百年、文明の発達した世界から来たんだ。そこは『魔力』と言う概念がないかわりに、『科学』というのが突出して優れた世界だ。きみが模索してきた方法とはまったく別のアプローチが、ないとは言いきれないだろう。まあそれでも、いよいよ方法がないとなったそのときは――そうだな、きみを殺すことを検討しよう」


 ラングハイム中尉はじっとテオを見つめた。

 深く黒い瞳は、見間違いだったのだろうか、少しだけ潤んで見えた。

 長い髪が風に吹かれてふわりと揺れる。


「どうしたんだ? 迷惑なら、別に、無理にというわけでは」

「いいえ、少佐。そうではなくて」

「だから、なんだ」


「――よし、私も決めました」中尉は背筋を伸ばして宣言した。「明日、総司令部(そうしれいぶ)に一部部隊の再編成を提案してきます」


 テオは首をひねる。どうしてそうなるのだ。


「いや、実は以前から魔導隊と魔導銃隊を意図もなく区分けた現在の編成には疑義ぎぎを唱えていました。魔導師は多少なりとも詠唱時間えいしょうじかんを要するため、結局前線では一般兵と即席で連携し、援護してもらうことが多いのです。それなら最初から状況に合わせて即応そくおうできる部隊を編成しておいた方がよい。参謀本部のレーマン准将とは気のおけない仲ですのでときどき愚痴ぐちを言ってましたが、明日は本丸に直談判じかだんぱんです。クンツェンドルフの固い頭をかち割ってやりますよ」


「まて中尉。まったくもって話が読めないんだが」

「まあ、そのうちわかりますよ。じゃあ少佐」


 ラングハイム中尉は、今度はきちんと腕に力を入れて敬礼した。

「これからよろしくお願いします」

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