どうしてエリクシルなんて使いやがったこの馬鹿野郎!
二人が腰掛けているテーブル席には、すでに三皿ほど料理が並んでいた。
彼女の行きつけの店は、ビールはうまいし、ソーセージもいける。ナッツ類ももちろん、しけってはいなかった。おまけにローストされており、とても香ばしい。店内は混み合っていて、赤毛の女店主がそばかすだらけの笑顔で注文を取っている。
かなり騒がしかったので、近くを人が通らない限りは声をひそめる必要もなかった。だが一応、テオは店内を見渡し、軍の関係者がいないかどうか確認した。少し込み入った話をするときの、癖のようなものだった。
「テオ・ザイフリート少佐。あなたも『
「転生のことは軍の最高機密だ。中尉、君だから話している。わかっていると思うが――」
大丈夫ですよ、誰にも言いませんって――彼女は調子よくそう言って、一杯目のビールを飲み干した。ずいぶん顔が赤い。
中尉の頬は健康で若々しく、滑らかだった。それがアルコールによって赤く侵されているのを見ると、なんとなく気がとがめる感じがした。
しかし、彼女は五百年も生きているのである。
「バルバラ、ビールおかわり!」中尉が女店主に追加注文する。
転生組――中尉はそう言ったが、実際ほかに異世界から来た人間はいるのだろうか。テオは考える。テオやラングハイム中尉のように軍人であれば、「転生」や「召喚」に関わるいっさいの情報には
めったなことでは、「転生組」がいたとしても、会えそうにない。中尉も本来、自分の境遇を他人に話すことはいっさいできないはずだった。
二人は必然、それぞれの重要事項を持ち合うことになっていた。
「しかし、スズ・ラングハイムか」テオは言う。「中尉の名前はもしかして」
「はい。召喚される前は『おすず』と呼ばれていました。ラングハイムは、そのまま召喚術師ユニスの姓をもらったものです。少佐の名前は、こちらで?」
「ああ。転生前と変えて欲しいと言ったら、軍がつけてくれた」
前と同じでなければ、なんでもよかった。今ではすっかり馴染んでいる。
案外、慣れるものだ。
二人とも、同じ世界の、同じ国からやってきていたことがわかった。
もっとも、「おすず」が生まれ育った時代にはまだ国が統一されておらず、その場所は「越前(えちぜん)」と呼ばれていた。テオは転生前に通っていた教育機関で、その地名を学んだことがあった。テオが生きていた時代においては、「
彼女は十四歳のとき、流行り病で
中尉の新しいビールが運ばれてきたのをしおに、テオは話の続きを促した。
「そうですね」彼女は話を再開する。「この世界の私の『生みの親』であるユニスは、私を召喚するために『エリクシル』という
エリクシルは当時「
正しく、然(しか)るべき手順を守って力を引き出す場合において、エリクシルは生き物の肉体の再構築、精神の維持、そして魂の保持を行なった。破壊され、欠損が確認された構成物を、すぐに取り戻すことができた。
スズは転生時、その力を授かった。
その結果、五百年も年をとらず、殺しても死ぬことがない、まさに「不死身」となったのである。
不老不死の人間を作れる石――もしもエリクシルが世界に流通してしまえば、必ず国家間で奪い合いになり、戦争が絶えない世界になってしまうだろう。
「エリクシルか。神話や伝説上の
「後世の人間がそう思うように文献の記述を組み替えたのも、ユニスです」
「なるほど。
「私はユニスが大好きでした」ラングハイム中尉はくすぐったそうに笑って頷いた。「まるで本当のお母さんのように、接してくれました」
今のところテオが見た中尉の表情の中で、一番好意的になれる笑顔だった。
ユニス・ラングハイム卿。
この国の歴史上でもっとも
彼女の功績によって、後世では召喚術が
テオを召喚した大召喚術師は、ルーンクトブルグ軍軍属召喚師レオン・グラニエ=ドフェールという。彼は火属性の魔鉱石「プルトン」を使い、テオをこの世界に呼び起こした。
ラングハイム中尉の言葉を借りれば、テオのこの世界での「生みの親」は、大召喚術師レオンだ。しかしテオは彼に対してなんら感情を抱いていなかった。
前の世界で絶命したとき、偶然にも彼がテオを呼び起こし、偶然にもそこは軍部の中枢のひとつである召喚術研究所であり、ほとんど選択肢もなく軍人となった。
それだけだった。
「ユニスが死んでしまってからこれまでの経緯を語るには、とてもじゃありませんが時間が足りませんね。五百年間の昔話に、夜は短すぎます。端的に言えば、疲れてしまったんですよ。命の火を燃やすことに。ユニスのことは大好きですけど、ひとつ文句を言うとすれば、『どうしてエリクシルなんて使いやがったこの馬鹿野郎!』ですね。まったく、あのババアは」
過去の偉人に悪態をついて、中尉はサラミを一切れかじった。「どうすれば死ねるか。これまでいろいろな方法を試してみたんですよ。あ、食事中なので詳細は伏せますけどね、とにかく、いろいろです。でもでも、でもですね、どれもだめだったんですよ! なにをやっても! 私の身体は苦しむこともないし、痛くもかゆくもない。まったく、優秀すぎる術師も困りものですよね――ちょっと少佐! 飲んでます?」
ラングハイム中尉はジョッキを抱えたまま、前のめりになって目を細めた。
「ああ、飲んでるさ。それよりも、中尉。きみはもうそろそろ控えたほうがいい。アルコールはそんなに強くないんだろう?」
中尉は大笑いした。ジョッキが傾いて、中身がこぼれそうになる。
「なになに、なにを言ってるんですか?! 私が何百年生きてきてると思ってんですか? 大丈夫ですよ、ビールの百本や二百本――」
なるほど。彼女は自分が不死身だとか五百歳だとか言う前に、酒に弱いということをきちんと言うべきだった。
「あら、スズちゃん今日もべろべろね」
赤毛の女店主が水を運んできた。中尉はたしか、バルバラと呼んでいたか。
「これ、いつもなんですか?」テオは尋ねる。
「ええ。だいたい
「違います」テオはすぐに訂正する。
「バルバラおしい! この人はですね、私を殺してくれる人なんですよ」中尉が言う。あまりろれつが回っていない。
テオは彼女をにらんだ。まったくこの女は、自分が軍の特殊部隊を担っていることを自覚しているのか。
「またスズちゃんの死にたがり病が出てるわね」
肝を冷やしたテオをよそに、バルバラにこにこしながら中尉をいなしていた。
どうやらこの魔女は、少し頭のねじが外れており、残念な冗談を口走る女の子、くらしにしか思われていないらしい。女店主は賢明である。
「まあ、ちょうどいいわ。あなた、この子のこと送ってあげてね」
店主はそう言って、別のテーブルへ注文を取りに行った。中尉はへらへらと笑って手を振っている。
「いい店主だね。中尉もずいぶん愛されているじゃないか」
「はい。バルバラはいつも優しくしてくれます。ですが、そろそろここにも来れなくなります」
中尉は笑ったままだったが、わずかに
「引っ越しでもする予定があるのか」
「そんな予定はありません」
テオは首を傾げる。「どうしてまた。こんなにいい店なのに」
「私は、ここに通い始めてもうすぐ三年が経ちます。三年は、私からすればそう長い時間ではありません。ですが、バルバラにとっても、この店に通う常連客たちにとっても、三年というのはそれなりの年月と言えます。そのあいだ私は、
「わかった。すまん、わかったよ。もういい」
酔いが回っているのは、おれの方か。テオは自分を自分で殴りつけたくなった。
ずっと生き続ける。年をとらない。その意味を唐突に理解した。
ラングハイム中尉は、始めて寂しそうな笑顔を見せた。
アルコールのせいでいくらか頬が赤らんで、
「情けない話、私は怖いんです。今までよくしてくれていた人が、あるとき、曇った顔になる。この子はなにかおかしい。普通じゃない。そういう顔になるんですよ。本当に、ぞっとするんです」
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