第26話 不幸にしてしまうから
「……大丈夫かい? ほら、これで涙を拭いて」
颯さんは素早く駆け寄り、青いチェック柄のハンカチを牧さんへ手渡す。
「うう、ごめんなさい。ご心配をお掛けして」
「なに構わないさ。ファンが悲しむ姿を見るのは、ボクだって辛いからね。……そうだ。ボクに出来る事があれば遠慮なく言っておくれ。君の涙を笑顔の花に変えてみせるよ」
「なら颯様ぁ……星川先輩とは、もう仲良くしないでください」
「……へぇ⁉」
思いがけない頼み事だったのか、颯さんの瞬きが多くなった。
「だって颯様には、私達ファンがいればいいじゃないですか‼ だから……星川先輩を贔屓するのはやめてください」
「お、落ち着いてくれ。ボクは別に、彼一人を特別視してるわけじゃなくてね」
「どうして⁉ どうして颯様は、私達の気持ちを理解してくれないの‼」
颯さんは真剣な面持ちで、泣きじゃくる牧さんの頬に優しく手を添える。
「……すまない。この件は日を改めて話そう。だから、今日はゆっくり休んでくれ」
「……わかりました」
そう言って、牧さんは一人でに教室を飛び出す。颯さんはそれを見て一瞬、どこか悲しさと申し訳なさが混ざったような苦しい表情を浮かべた。
「ねえ、君達?」
「「は、はい! なんでしょうか⁉」」
颯さんはすぐさま立て直して、残された二人に目配せをした。
「悪いがボクの代わりに、彼女を追いかけてくれないか? そして出来る事なら、傍で寄り添ってあげてほしい。……頼んでもいいかな?」
「「しょ、承知しました。では、失礼します」」
二人が去るのを確認してから、颯さんは僕にペコっと軽くお辞儀をした。
「ごめんね、輝夜くん。見苦しいところを見せてしまって。それにこの様子だと彼女、なにか君に酷い事とか言ってる……よな。本当にすまない」
「は、颯さんが謝ることなんてないよ。それに牧さんを泣かせたのは、僕が原因だから」
「……そうか」
颯さんは、ゆっくりと机の上に座った。
「虫がいいのは重々承知の上で……どうか、牧さんを許してあげてほしい。庇うつもりはないが、彼女はとても優しい子でね。普段、人に迷惑を掛けるような子じゃないんだ。それに昔からボクを熱心に追いかけてくれてて……大事なファンだからこそ、君に誤解されたままなのは嫌だなって思ってさ」
「そう……だったんですね」
思い返せば、僕は颯さんと二人きりの機会が多かった。まあ、颯さんの秘密が知られぬように隠れて行動する必要があったから、必然的にそういったシチュエーションになってはしまうのだが。
ただ牧さんを含めたファンは、そんな僕らの事情なんて知らない。急に現れた厄介者が本来、自分達が過ごすはずだった王子様との時間を奪ったとしか思わないだろう。その不満や不安が今日になって溢れでたのかもしれない。
歯止めの利かなくなったストレスは、受け入れ先がないから恐怖に変わる。だから恐怖の原因である僕を排除したくなった。大切な王子様を奪おうとする、不誠実なお姫様を。
「……ねえ、颯さん」
もし颯さんが僕と関わり続けたら、ファンからの不平不満はやむことなく噴出し続けるだろう。もしファンからのヘイトが僕でなく彼女に向けられて、積み上げた信頼が崩れ去ってしまったら、颯さんは王子様でいられなくなってしまう。
「牧さんの言う通り、僕とは距離を取った方がいいよ」
「は? なんで君まで……」
僕も本心で言ってるわけじゃない。
けれど颯さんにとって幸せなのは、王子様としての期待に応えて多くの人に慕われることのはずだ。約束があるからとはいえ、颯さんがこれまで積み上げてきた努力や苦悩を知っている僕が、そんな彼女の幸せを台無しにしたらダメじゃないか。
「ま、待って、輝夜くん。牧さんが心配なら、ボクが何とかしてみせる。だからそんな嫌なこと言わないでくれ」
「でもこのままじゃ……僕のせいで、颯さんとファンの間に亀裂が入っちゃうよ。そんなの、黙って見てられない」
「だ、大丈夫。ファンには君の事、ボクから友達だって説明すれば納得してくれるって」
「無理だよ。今日の牧さんの様子見たでしょ? そもそもとして、僕が王子様の傍にいることがダメなんだ。颯さんの言葉でも、ファンに届くとは思えない」
「……だ、だからどうした。輝夜くんの事が気に入らないのなら、彼女達がボクから離れればいいんだ。だって、だってボクには……」
「颯さん‼」
僕の人差し指が、無意識に颯さんの唇を奪っていた。
「……そんなこと言っちゃダメだよ。アナタはみんなの王子様なんだから。それに僕じゃ
なくても、颯さんを大切に思ってくる人はたくさんいる」
指をおもむろに外して僕は続ける。
「王子様の幸せに僕は必要ない。これが運命なんです。だからもう、約束は忘れてください」
「……それ、本気で言ってるのか?」
すっと立ち上がった颯さんは、僕をじっと睨んだ。
「じゃあ、なんであんな約束したんだよ。ボクを受け止めるって、離れないって言ってくれたのに、あれは嘘だったのか?」
嘘なはずがない。心から支えてあげたいと、本気でそう想ったから約束したのだ。
だけど、僕じゃダメだった。
「ごめん……」
どこか心苦しくて、思うように次の言葉が紡げない。
「……なら、さっさとボクの前から消えてくれ。君みたいな嘘つき、存在だけで目障りだ」
側から見れば一瞬、僕からすれば永遠と間違うような無音空間。ただ呆然と、颯さんが言った言葉の意味を噛み砕いた。
「……わかった。じゃあね、颯さん」
これでいい。僕なんかでは、また大事な人を不幸にしてしまう。
────星川輝夜に、約束や願いを叶える力なんてないのだから。
微かにする血の味が、下唇から舌先を染めるように支配する。
「あっ……か、輝夜くん‼ 今のは違うんだ‼ ついカッとなって……ごめん」
「なんで? なんで颯さんが謝るの? 悪いのは全部、無責任な僕なんだから」
「そ、そんなこと言わないで。ほら、ここでしっかり話し合おうよ。ボクと君の関係をファンに誤魔化す方法をさ。うん、それがいいな。だから……」
「ごめん。僕……天音さんに鞄、渡しにいかないと」
僕は鞄をぎゅっと抱き、覚束無い足取りでドアに向かう。
「そんな、輝夜くん! 待って! やだ、お願いだよ。置いてかないで」
「……悪いけど、その願いは……聞けそうにない」
颯さんとの繋がりを遮るように、僕はドアを強く閉めた。
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