第11話 星川咲夜は許さない

どこからか音楽が聞こえる。

しばらく聞き惚れていると、姿の見えない奏者に自分から歩み寄るような、不思議な感覚が全身に伝わり始めた。イントロからAメロにかけて徐々に上がっていく高揚感。目まぐるしい転調と共にBメロの歌詞は状況をいい方向へ進める為、幸せになる準備を展開してサビに繋げる。かなり鮮明に聞こえるようになってきたところで、この曲が聞き覚えのあるものだと完全に理解することができた。この曲はあれだ、僕が好きなバンドの曲。


春の訪れを予感させる暖かいフレーズに、ありったけの希望を詰め込んだって……。

あれ、なんか音が大きくなってないか?


 ────違和感に気づいた瞬間、僕は眠りから目が覚めた。


「うるさっ‼」


 開口一番、大声でツッコんでも音楽が止まることはなかった。僕は慌てて部屋をライブハウスに変えた要因を探す。しかし、微睡のせいで思い通りに体が動かせない。こういうときに限って、止めなきゃいけないという焦りが出るから困りものだ。 


「やばい、やばい」

 

程なくして枕元にあるスマホを見つけ、僕は全力でアラームの停止ボタンを連打。音楽は無事、鳴り止んでくれた。不自然に早くなる鼓動に合わせて肩で息をする。徐々に落ち着きを取り戻し、事態を収集したところで、再び横になって時間を確認。

 

スマホの液晶に表示された時刻は、午前五時四十分ちょうど。

今日はあの日から三日後の土曜日。

正直、不安すぎてここ二日間は生きた心地がしなかった。


予定よりも一時間ほど早く起きてしまったが、もう一度寝ようにも眠気はとっくに覚めている。

僕は二度寝を諦めて、目をこすりながら洗面所へ向かうことを決めた。


家族を起こさぬよう体重を掛けずに、そ〜っ廊下を歩く。

洗面所の前に着くと、ドアの向こうから「うーん」と唸る女の子の声。引き戸を開けると、そこには妹の咲夜さくやが癖っ毛をかしながら鏡を睨みつけていた。


「あっ、お兄!」


咲夜は僕に気づくとくしを置き、僕と鏡写しの顔を嬉しそうにくしゃっとさせ、惜しげもなく絶賛成長期の体を押し付けてくる。いつからか、朝の挨拶はハグをしてくるのが決まりだ。

拒むと咲夜は怒るので、仕方なく僕は受け入れている。


「えへへ、おはよー」

「おはよう、咲夜。今日は早起きだね」

 

もしや、さっきのアラームで起こしてしまったのでは? 


「えっとほら、部活で遠征するって……言ってなかったっけ?」

「そっか、ならよかった」

 

元々予定があったのか。

僕は安堵からかほっと息を吐く。


「え、遠征⁉︎ お弁当がいるってこと⁉」

「……あっ、ごめん。言うの忘れてた」


咲夜は顔をしょんぼりとさせて少し俯く。


「いや、ごめんね咲夜。お兄ちゃんが確認しなかったから」


こういう場合はしっかり注意べきなんだろう。それでも、つい咲夜を甘やかしてしまうのは、これまでに染み付いた僕の習性なのかもしれない。


「ううん、お兄は悪くないよ。私が連絡を怠ったからだし」  

「……とりあえず大丈夫。お兄ちゃんが何とかするから」


何とかすると言っても、どうしようかな? お弁当は……ご飯さえ炊ければ、晩の残りと冷凍食品とかで済ませよう。朝ご飯は食パンと目玉焼きで我慢してもらうか。


「あ、ありがとう。お兄!」

 

咲夜はどこか心苦しそうに笑う。


「そういえば、お兄も相変わらず朝早いね?」

「う、うん。今日は僕も、友達と出掛ける予定があってさ」

「そっかー、珍しいね。ちなみに友達って、もしかして悠くんと?」 

「いや、悠人じゃないんだ」

「……まさかとは思うけど、女の子と一緒とかじゃないよね?」

「うーん。なんていうか、イケメンでカッコいい王子様みたいな人かな」


僕がそう答えると、咲夜は急に抱きしめる力を強めた。


「なにそれ? 遊び慣れた男ってこと?」

 

なんか咲夜の顔が怖い。 


「ダメだよ、お兄! そんな女たらし、きっとお兄の体目当てだよ」

 

そんな発想と言葉、どこで覚えてきたんだ。


「大丈夫、咲夜が思うような悪い人じゃないから」

「騙されちゃダメだよ! 悪い奴は最初、優しい顔して近寄ってくるんだよ? くそ、私のお兄を誑かす害虫め、許せん‼」

「ねえ咲夜、僕を大切にしてくれるのは嬉しいけど、ちょっと……苦しい……」

「あっ、ごめん。つい力が」

 

まったく、そんなてへぺろみたいなことして。 

昔から何かあるとすぐに甘えてくる可愛い妹だが、今年でもう十五歳になる。いつまでも、兄にべったりさせるのは良くないよな。僕よりも背が高くなったことだし。


「お兄、どうしたの? 私、お腹すいちゃった。朝ご飯、一緒に食べよっ!」

 

うん、別にいいや。

 

満面の笑みを浮かべる咲夜の頭を撫でながら、僕はもうしばらく甘やかすことを決めた。

 

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