第10話 甘くて苦くて手に余る

颯さんの事情に首を突っ込むべきじゃないのは理解している。けれど、そんな嬉しそうな反応を示されたら、この身勝手な庇護欲は抑えられそうにない。


「ねえ、颯さん。昨日のお礼として……何か、願い事はない?」

「願い事?」

 

首を傾げる彼女に、僕はコクリと頷いて続ける。


「今まで我慢して出来なかった事とか、友達として力になりたいんです。それに僕には、アナタの秘密を知った責任がある」

「そんな、もう十分だよ。今日だって、無理して来てもらったのに」

「いいんですよ。これまで頑張ってきたんだから……少しくらい、ご褒美がないと」

「……そうか。じゃあ、お言葉に甘えて……早速だけど、聞いてくれるかな?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとう。それでは一つ、お願いなんだけど」

 

颯さんの深刻な表情に僕の背筋はピンと伸びた。


「ボク、どうしても行きたい場所があるんだ」

「行きたい場所……ですか?」

「うん。横浜駅の近くでさ、ホワウサの期間限定コラボカフェがあってね。もしよければ、女装して一緒に来てほしいんだ」

「な〜んだ。それなら全然、構いませんよ」


難しいお願いを要求されるかと思って肝を冷やしたけど、付き添うくらいなら問題はない。僕の全身から一瞬で力が抜けて背中が丸まる。


「……ん、颯さん。もう一回、内容聞いてもいいですか?」

「え? ああ、ホワウサのコラボカフェに」

「いや、その後」

「女装して一緒に来てほしい」 

「女装って……僕が? ははっ……冗談ですよね?」

「ボクは本気だ」

 

真剣な眼差し。

これ以上、聞き直しても意味がないことは理解した。


「えっと……なんで、僕が女装を?」

「ボクはあくまで、誰かの付き添いって程で行きたいんだ。それなら後日、誰かに見つかっても言い訳できる。知り合いに頼まれてってね」

「……だとしても、僕が女装する必要性がないですよね?」

「それは君の変装も兼ねてだよ。まったく、自覚がないのも困りものだな」

 

颯さんは呆れ顔で肩を竦める。


「だって君、男子生徒から相当な人気があるだろ。そんな君と一緒に出掛けているのを見つかったら、後日学校で騒ぎになるのは目に見えてる。それにボクだって、これ以上は男からの余計な嫉妬は買いたくない。ちなみに、ボクのファンも熱心な子が多くてね……賢明な君には、もう言わなくてもわかるだろ?」


颯さんは意味深に笑いながら顔を覗いてくれる。


まあ確かに。僕が原因で颯さんに迷惑を掛けることは避けたいし、あらぬ誤解を周りに与えて騒がれでもしたら面倒だ。僕もこれ以上、平穏な高校生活を乱されては困る。

だから変装として、女装することは理にかなっている……のか?


「こんなお願い、到底ファンの子には言えないし……頼むなんてもっての外だ。そんな中、君がボクの前に現れた。お願い、最後のチャンスなんだ! もう君にしか頼めないんだよ」

「でも僕、演技力なんかないし……それにもし、いざって場面が来たら」

「大丈夫! そのときは絶対にボクが守るよ。だからお願い、一緒に来てくれ」

 

これほどカッコいい台詞は、プロポーズとかで聞きたかった。

 

どうしよう、行くのはやぶさかではないが……まさかこんな展開になるとはな。僕だって一応は男だから、女性の格好をするには抵抗感があるし躊躇してしまう。


だが……颯さんだって、色んなリスクを負ってまでお願いするのだから、その思いを無碍にするなんてできない。そもそも、お礼をすると言ったのは僕の方だ。

ここは、腹を括るしかないか。 


「……わかった。その願い、聞き入れます。一緒に行きましょう、コラボカフェ」

「ほんとっ! いいのか⁉︎」

「はい、男に二言はありません」

「や、やったー‼ ありがとう輝夜くん。じゃあ今週の土曜日、早速だけどよろしくね」


両手を上げて喜ぶ颯さんは、これまでで一番幼い反応を見せた。

これだけ喜んで貰えるなら引き受けて良かったんだろう。多分そうだ。ぬるくなったコーヒーとともに、胸に残った複雑な想いを一気に飲み込む。


「なんか、ホッとしたらお腹空いてきちゃったな」

 

颯さんはお腹を押えながら、少し溶け始めているパフェを凝視する。口角の緩みきった顔に、もはや王子様の面影は微塵も感じない。


「颯さん。よかったら、僕の分も食べていいよ」

「えっ、いいの⁉ じゃあ代わりに、ボクのコーヒー飲んでよ」

「あ、ありがとう。でも、いいんですか? 僕が飲んでしまって」 

「……白状するとボク、君の前でカッコつけようとして、苦手なのにコーヒー頼んじゃったんだ。砂糖もミルクもないし……悪いけど、代わりに飲んでくれないか?」

「ああ、そうなんですね。ならば遠慮なく、頂きます」


お子ちゃま舌なんだなと思いながら、僕はコーヒーカップを皿ごと受け取る。


「どうぞ! ……にしても君、よくブラックで飲めるな」


────苺を頬張る幻想的な彼女の甘い笑顔を、冷めたコーヒーの現実的な苦みが相殺する。それにしても、ほんと美味しそうに食べるな。クールでしっかり者な王子様のイメージが先行してたけど、こんな子供の様に感情を剥き出してくるのだから素直に驚いてしまう。

勝手な憶測だが颯さんは日頃、厳しく自制している反動で心を許した人には油断して甘えてしまうんだろう。理想を求められてばかりも大変だ。

 

自己紹介がてらお喋りしていると、颯さんが追加で頼んだココアが届いた。それなのに彼女は、カカオの甘い香りには目もくれず、湯気の奥から何か言いたげに僕を見ている。


「どうされました? そんなモジモジして……あっ、トイレなら気にせず」

「違うよ‼ ボクは君に聞きたいことが……てか君、今のはデリカシー無さすぎだよ」

 

気を遣ってあげたつもりなんだけど、乙女心は難しい。


「失礼しました。では、どうぞ」

「その、似合ってるとは思うけど……なんで、髪をそこまで長く伸ばしてるの?」

「え? ああ、これ」


僕は指に毛先をクルクルと巻いたりして弄ぶ。


「どうしても聞きたいですか? なら、今日のお代は全部颯さん持ちで」

「待った! 元からそのつもりだったけど……いくらなんでも高くない?」

「まあ、ただ伸ばしたいだけです。それ以上は誰にも話す気ありません」

「そんな〜。ボクは友達として、もっと輝夜くんの事が知りたいのに」

「そ、そうですか……興味を持ってもらえるのは嬉しいですけど」

「ならいいだろ? 勿体ぶらず教えてくれよ」

「う〜ん。やっぱり、今はダメです。然るべきタイミングが来たら、お教えします」

「なんだよそれ〜、意地悪〜。教えてくれてもいいじゃんか〜」

「や、やめてください。騒いだら迷惑ですよ」

「ぐぬぬ……こうなったら」

 

颯さんは突然立ち上がり、移動して僕の横隣に座る。


「最初から、こうすればよかったんだ」

 

一瞬にして纏っていた雰囲気が変わった。

颯さん自然と僕の顎の下に手を当て、クイっと上に向ける。いわゆる顎クイってやつだ。したことは当然として、されるのも初めてなのでとても驚いた……って、顔近っ!


「なあ、ボクと君だけの特別な関係じゃないか。いいだろう?」

 

特別もなにもただの友達……いや、これから人を欺くのだから共犯関係か?

王子様は煽情的で、低くセクシーな声で誘惑を続ける。


「ほら、早く言いなよ。じゃないと……悪戯するぞ」

 

いやらしい手つきで僕の太もも辺りを触り始める。


「い、悪戯? こ、こんなお店の中で、ふざけないでください」

「そんなこと言って……ほら顔、真っ赤だよ。可愛いな、緊張しちゃって」

「べ、別に緊張なんか」

「あはは。それにしても、本当に綺麗な髪だな」

「ひゃん♡」

 

颯さん手が耳に触れた一瞬、つい変な声が漏れ出た。


「おやおや〜? もしかして、この子猫ちゃんはお耳が弱いのかな〜?」

「ち、ちがっ。んんっ♡ いやっ、あっ♡ や、やめへ♡ くっ……はぁ♡」


颯さんは得意気に笑いながら、耳元で執拗に吐息と甘い言葉を掛けてくる。

喘ぐのを我慢していると、王子様はさらに煽ってきた。


「こんな可愛い声出しちゃって、お店の人にバレてしまうよ? まあ、やめてあげないけど」

 

くそ、なんとかこの場を切り抜ける方法はないだろうか?

 

そんなピンチの連続に、ふと幼い頃の記憶が蘇る。それは遥先生もとい、遥ちゃんの言葉。 


『いいか輝夜。困ったことがあったら、お前は上目遣いで人に媚びろ。それだけできっと、世界から争いも失くせるぜ』


────僕は彼女の手を握り、目を潤ませ、上目遣いで口を開いた。

「はうぅ♡ は、颯さん……僕、怖いよぉ。優しくしてよぉ♡」

「……ゔっ!」

 

悶える颯さんの隙を突き、大きな声で「店員さ〜ん」と叫ぶ。向かってくる店員さんを見て、王子様は「やられた」と悔しそうに肘をついて僕を睨んだ。


それにしても、やれやれ。

王子様の願いを叶える流れ星なんて、僕なんかでは手に余りそうだ。


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