第8話 王子様は突然に

結局、その後も遥先生にお茶やお菓子をご馳走されて長居してしまった。

さて、帰ろう。

職員室を出て僕は、今晩の献立を考えながら廊下を歩き始める。移動のピークを過ぎたのか、昇降口までの道のりはだいぶ閑散としていた。


献立といえば今頃、悠人は懇親会を楽しんでいるだろうか。

今日は色々と世話と迷惑を掛けたし、彼の大好きなハンバーグでも作ってあげよう。

そんなことを考えながらバッグを地面に置き、上履きからローファーに履き替かる。そのとき、黒い影の様なものがぬっと僕を覆った。

確認しようと顔を上げて振り返ると、


「やあ、待っていたよ……輝夜くん」

 

影の正体は青花の王子様、佐野颯さのはやてだった。


「は、颯さん? なんで……懇親会は?」


疑念を抱く僕に、颯さんはフローラルな香りを漂わせながら距離を詰めてくる。


「遅かったじゃないか。まったく……このお姫様ときたら、飛んだシャボン玉の行方のように気まぐれだから困るよ。まあ、その方が都合良かったのも事実だけどね」


とても嫌な予感がする。

僕はたまらず後ずさるが、背中が下駄箱のロッカーとくっついて逃げ場がない。


「あ、あの颯さん。一体どのようなご用件で?」


彼女は相変わらず、不敵な笑みを浮かべている。


「別に大した用事はないさ。ただこの後、ちょっとだけ付き合ってほしいんだ」

「こ、この後ですか?」

「そんな怯えないでよ、襲って食べるわけじゃないんだから。なあ、少しだけだから」

「その、ごめんなさい。僕、今日はちょっと」


────バンっ!


「ひゃっ!」


僕が断りを入れた瞬間、顔のすぐ横を腕が通過していった。


「まさか、ボクの誘いを断るなんて言わないよな?」

「え?」


俗に言う壁ドン状態で颯さんは問いかけてくる。


「輝夜くんさ、ボクにお礼するって言っただろ」

「た、確かに言いましたけど」

「なら付き合ってくれよ。ほんの一時間ぐらい、お願いだよ」

「わ、わざわざ今日じゃなくても。後日、絶対時間取りますから」

「そうか、ダメか」

 

颯さんが壁から手を離すのを見て、僕は背中を下駄箱から浮かせた。


「残念だな、手荒な真似はしたくなかったんだけど」

「えっ⁉」


次の瞬間、颯さんは僕の背中あたりに手を回していた。


「ごめん、悪く思うなよ」

「はい? ……うわっ!」

 

足を払われ、ポンっと宙に浮いたような感覚が僕を襲う。 

訳がわからないまま瞑った目をゆっくり開くと、なぜか颯さんの横顔が目の前にあった。


「は、颯さん……い、い、一体何を⁉」

「どうしてもダメっていうなら……君をこのまま、お姫様抱っこして連れて行く!」

「……はあ!? じょ、冗談だろ? 下ろして、下せよ!」

 

ジタバタしていると、王子様は意地悪そうに笑う。


「こらこら。危ないから、そんな激しく暴れるなって。いや……言うこと聞かない子猫ちゃんには、躾が必要だな」

 

そう言って勢いよく右へ左へ、かなり乱暴に僕を揺らしてくる。


「や、やめてよ。危ないだろ!?」


僕は狼狽えながら、颯さんの首周りに抱きついた。


「臆病だな〜、しょうがない。下ろしてあげるから、今日付き合ってくれるかな?」

「うっ」

 

致し方ない。ここは大人しく従うことにするか。


「……わ、わかった、付いてく。付いてけばいいんだろ⁉︎」

「まったく。だったら最初から、ボクの誘いを断らなければよかったのに」

 

気分良さそうに、颯さんは軽く弾みながら光の刺す方へ歩き出す。


「颯さん、何してるんですか?」

「ああ、すまない。鞄が置きっぱだったね」

「いやそうじゃなくて。なぜ、抱っこしたまま外に出ようと?」

「まあまあ。にしても君、いくらなんでも軽すぎだ。もっとご飯食べた方がいいよ」

「うっ、余計なお世話だ。それより早く下ろして!」

「いや、やはりこのまま行こう。かぐや姫が月に奪われぬよう、ボクが守ってあげないと」

「十五夜は当分先でしょ⁉ それに僕は姫じゃないって」

「ははっ。その困った顔も、実に可愛いな」

「もお〜」

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