第2話 女教師に御用心

信号の無い横断歩道を渡り、突き当たりを右折すると青花高校の校門が見えてくる。


「おい輝夜、あれ見ろよ。今日の当番、アイツみたいだ」


悠人が顎で指示する先に、猫背の女性が腕組みをして校門の前で待ち構えていた。


「あー……まあ、何とかなるでしょ?」


数人の生徒に紛れて、僕らも「おはようございます」と挨拶して通り抜けようとするが、


「あ! 輝夜、ちょっと待ちなさい」


名指しで呼び止められた。


「身だしなみの検査よ、こっちへいらっしゃい」

 

手招く彼女は社会科教員の高宮遥たかみやはるか先生。少し茶色がかったロングヘアに、きらりとひかる眼鏡の下にはクマが薄っすらと浮き出て目付きも悪い。学生に理解のあるいい人なので生徒からは慕われているが、いつも不機嫌そうなのが玉に瑕だ。


「たくっ、髪を下ろしてくるなんて聞いてないわ。はあ……可愛い、私のモノにしたい」

「……遥先生、そういう発言……あまり人前では、避けた方がいいと思うよ」

「私は感想を言ったまでよ。それにアナタ、自分が欲情を煽ってるって自覚してないの?」


自覚してるわけないだろ。そもそも身だしなみ検査って言うのもわざとらしい。


僕らの通う青花高校は校則が緩く、ある程度の染髪が認められるくらい普段から身だしなみも厳しくチェックしない。最近流行りの生徒の自主性だとか、自由な校風を売りにしているのも要因の一つで、治安も安定しているから問題はないみたいだ。一部の例外を除いて。


「僕と話がしたいなら、普通に声かければいいのに」

「そうだそうだ、このセクハラ教師。一体、なにを検査するつもりだ」


僕の後ろで悠人も応戦する。


「黙りなさい悠人。アンタは呼んでないわ。邪魔するならその頭、五厘に刈り上げるわよ」

「酷い脅しだ。コンプライアンスの『コ』の字もない」

「私にとって輝夜との大切な時間よ、しゃしゃり混んでくるじゃないわ」

「まあまあ遥先生、悠人にあまり意地悪しないで」

「あら、ごめんなさい。ちょっと調子に乗りすぎたわ」


余談ではあるが、僕等と遥先生は昔からの顔馴染みだ。僕が七歳のとき、とある事が切っ掛けで仲良くなり面倒を見てくれた。いわばお姉ちゃん的存在。昔からの癖で『遥ちゃん』と呼んでしまうときはあるが、親しき中にも礼儀あり。

学校では基本的に遥先生と呼ぶようにしている。


「でもね、輝夜……アナタが私にとって大切な存在のは本当よ。輝夜が生きているだけで私は嬉しいのよ」

「それはまた……随分と大袈裟な」

「いいえ、断じて大袈裟ではないわ。人生、死ぬ以外なにが起きるかわからない。それなら後悔のないように、気持ちは伝えたほうがいいに決まってるでしょ」

 

真剣な眼差しで教えを説く姿は、やはり教師だなと思わされる。

普段の様子からは忘れがちだけど。


「輝夜なら、わかってくれるはずよ?」

 

遥先生は神妙に語り続ける。


「それにね、アナタはもっと自分の時間を大切にすべきよ。生きてく意味というか、生きる上で何か大切なモノを、これから探してみるのもいいわね」

「急にそんな難しいこと、高校生の僕に言われてもな」

「まあ、別に焦らなくていいわ。生きがいってのは、突然生まれるものなんだから」

「ふ〜ん。じゃあ、遥先生にはあるんですか?」

「もちろん! 私の生きがいはね輝夜、アナタそのものよ‼ アナタと話したりだとか、頭を撫でて匂いを堪能して抱きしめること、輝夜の温もりを感じることよっ!」


この変態セクハラ教師め。

教育委員会いや、警察に通報してやる。野に放ってはいけない危険人物が、何をカッコつけて人生語ってるんだ。感動を返せ。


「きっしょ……。昔はともかく、今の輝夜がそんなの許すわけないだろ。この妄想メガネ」


僕の隣でサラッと棘を放つ悠人。

遥先生を見ると顔が引きつり、ただでさえ厳しかった目つきがより鋭くなっている。どうやら今年、二十五歳になる女教師の堪忍袋の緒を完全に引きちぎったようだ。


「も、妄想メガネですって? 嘘じゃないわよ。この前の正月だって、輝夜がコタツで寝てる間に抱きついてほっぺにちゅう……」

「……僕に抱きついて、ほっぺにちゅう?」

 

遥先生は「ゴホン」と咳払いをして誤魔化す。


「悠人、アナタいい度胸してるわね。放課後、私が特別に生徒指導してあげるわ」

「話を逸らすな。そんでもって皆目、俺が指導を受ける理由がわからんのだが?」

「あら? 年上の、それも教師に対する侮辱。十分指導の対象よ」

「ちっ。屁理屈並べやがって、陰湿メガネの間違いだったか?」

「おいこらクソガキ! あまり調子乗ってんじゃないわよ」


徐々にヒートアップし始める二人、それを横目に僕は呆れていた。

些細なことで口喧嘩をする姿は、いくら歳をとっても変わらない。

変わったとすれば、昔の遥先生なら暴力で解決していた。けどさすがに社会人、ましてや教師としてそれは不味いと判断したのだろう。プルプルと震える握り拳が我慢を物語っている。

とりあえず、ここは丸く納めてもらうか。


「遥先生、そんな怖い顔したら美人が台無しですよ」


 作り笑顔を全面に押し出し、遥先生を下から覗き込む。


「やだ‼ 輝夜ったらいきなり。お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞なんかじゃないよ。だからお願い、喧嘩はやめてほしいな」


遥先生はやりにくそうに「ふぅ」と息を吐いて、細くなった目つきを緩める。


「よし悠人。今度、アンタと輝夜で買い物に付いて来なさい。予定空けておくのよ」

「えー、なんで遥なんかと貴重な休みを」


悠人の返答を聞くと、遥先生は鋭い眼光で威圧。


「は、遥先生の……仰せのままに」

「まあ、これで今回は許してやるわ。それじゃあ、楽しみにしてるわね」

 

遥先生は気をよくしたのか、僕に向かって優しく微笑む。

ハッキリ言って僕は巻き添えを食らっただけだが、大事にならずに済んだのだから喜ぶべきだろう。ホッと胸を撫で下ろすと、遥先生はジャケットの内ポッケから紙を取り出した。


「アナタ達、クラスの確認はまだでしょ? ほらこれ」

「あ、ありがとう」


僕は三つ折りに折られた紙を受け取り、広げて内容を確認する。


「二年三組をご覧なさい」


遥先生に促されるように二年三組の欄へ視線を向ける。


『担任 高宮遥たかみやはるか

 

そこには遥先生の名前。どうやら今年も、持ち上がりで担任を任されみたい。おめでたいことだ。あくまで他人事のように、僕と悠人は顔を見合わせて微笑む。

……あれ、なんで僕等だけにわざわざ紙を渡したんだ? 

不審に思いつつ、続きを見るとすぐ下には『石川悠人いしかわゆうと』の名が印字されていた。

「おいおい、悪夢か? これは」

悠人はきっと、この先自身に起きるパワハラという理不尽に恐怖を抱いているのだろう。

軽く震えている彼の顔から、わかりやすく血の気が引いている。

……待ってくれ、悠人が三組ってことは?


僕の想像通り『星川輝夜ほしかわかぐや』の文字は当然かのごとく、二年三組の欄に記載されていた。


「いや〜、たまたまね。担任は色々と面倒だから、顔馴染みがいてよかったわ~! それにしても、輝夜の担任になれるなんて……ほんと、すごい偶然よね‼」


なんだ、そのわざとらしい言い草は? 余程去年、僕の担任になれなかったことを引きずってたんだろう。明らかに声色が弾んでる。まあ、色々言いたいことはあるが、すでに決まってしまったものは仕方がない。それに今年も悠人と同じクラスになれたんだからよしとしよう。

僕は項垂れる悠人に肩を貸し、「またね〜」と手を振る遥先生に「失礼します」と言ってその場を後にした。

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