第4話 『奏多』

 さすがにもう無理だろう。ちゃんと言わねば。関係の断絶は避けたかったが、吉成の尊厳をこれ以上傷つけたくない。でもなんて言えば伝わるだろう。それにかなり衝撃を受けてしまうのでは。


 あいつはあんな能天気に見えて友達思いの奴だから、俺に危害を加えてしまった、なんて考えて思い悩むのでは。充分あり得るから怖い。でも怖がっていては前に進めない。


 願わくば、避けられない精神的ショックと共に、俺にやったことを全て忘れてほしいと思っていた。忘れられるのは正直辛い。でもそんな感傷に浸る資格はない。俺は吉成の認知の狂いを利用して、いままで散々身体を繋げてはよがり狂ってきたのだ。もう潮時だ。いい思いをさせてもらった。文章や画像には絶対残せない、素晴らしい思い出を貰ったのだ。


 好き好んで洗脳したわけではないが、そういう類の間違いを正すつもりで吉成の家の門を再度くぐった。長期戦になるかもしれない、と気合いを入れる。お盆の時期を過ぎても変わらなければ、残り少ない夏休みを一日ずつ数えては焦るばかりになるだろう。時間はあまり残されていない。


 相変わらず俺が『カナちゃん』に見えているらしい吉成は、上機嫌で迎え入れてくれた。本物の彼女をここに招いていたときも、こういう顔と仕草を見せていたのだろうか。男友達には絶対に見せない姿を。




「すげーなカナちゃん! 手際いいー。卒業したら結婚してよ!」

「別に普通、っていうか親と比べたら遅い方だよ。結婚のほうはまだ早いよ」


「えーだってー。早くしないと取られるじゃん」

「誰に。あっ、テーブル拭いてってば」


「はーい」

「拭き方が違う。四角いテーブルは四角く拭いて!」


 本音を言うと、吉成の奥さんごっこに付き合うのは骨が折れた。うちは飲食店だが、店でも家でも誰が何役をやるなんて一切決まっていない。手隙の者がやるというのが不文律だ。それは子供だからといって免除はされない。できる事からやらされたし、勉強という大義名分がなければ家事をどんどん任されていたと思う。現に妹は勉強嫌いなのと、小遣い増額目当てという動機をもって活躍している。


 うちはある意味、世間一般の人たちが作ろうとしている理想の家庭なのかもしれない。単に親たちの仕事が同じであるからして、協力関係を築く他ないというのが実情だが。


「肘つかない」

「あっ、はーい」


「寄せ箸しない。行儀が悪い」

「寄せ箸ってなんだっけ?」


「だからそれだよ。お皿が倒れたり、滑って落ちたりしたら料理がもったいないでしょ」

「ふーん、わかった」


「箸の持ち方が違う。こう」

「んー……それ、なんか持ちにくくて」


「今から慣れれば良いでしょ。ペンの持ち方もおかしいし……」

「カナちゃんお母さんみたーい。小言多いけどイイ奥さんになりそうだなー。料理もすげー美味しいし! お店みたい!」


 小言を言わせているのはどこのどいつだよ、とイラッとしたり作ったものを褒められてちょっと嬉しく思った食事を済ませ、洗い物は当然のように俺が片付け、一息ついたところでお風呂をいただいた。


 頭を洗いながら『カナちゃん』も色々大変だったのではないか、それとも似たような人種なのかと細かいことをブツブツと考えていた。


 いや違う。俺は甘やかされ三男坊である吉成の躾をしに来たわけではない。しっかり真実を告げて、この奇妙な関係を終わらせるために来たのだ。


 手前勝手な寂しさとは折り合いをつけた。つけたつもりだ。もしぶり返しが来てしまっても、幸いクラスは分かれている。部活も違う。一旦リセットがかかるだけ。


 将来はきっと、甘えたで寂しがりなところのある吉成は誰かと結婚するのだろうが、俺は中学のときからその道に諦めをつけておいてある。元からひとりで歩む道に、再度戻って歩くだけ。




「……吉成、待って」

「今日はもうダメ? あと一回だけ。おねがい」


「やだよ、ダメ……ダメって言ってるでしょ、話聞いて。準備してないから」

「準備? なんの。できてるじゃん。いい匂い〜」


「あのな、俺はな、男だから。よく見ろ。目ぇ覚ませよいい加減……、あっ、ちょっ……」

「なんなのその喋り方。違うでしょ……」


「吉成、なあ、お前のカナちゃんは、去年の冬……っ、あ、そこ、噛むなよ……!」

「………………」


「……吉成! 嫌なのはわかるよ、ショック受けたくないのもわかるつもり、でも全部本当のことだから! マジで聞けよ! おい、吉成!」

「うるっせーんだよ奏多かなた!! オレだっておかしいなとは思ってたんだよ!!」


 ——…………え? 思ってた?


 客用布団がないという言葉を間に受けて、二人では少々狭いがベッドを使うかと話した途端、一緒に見ていたそこに向かって俺は強引に押し倒されてしまった。


 最後の思い出作りという俺の勝手な名目はすでに終えている。もう寝るだけとなった頃に話をし、もし決裂したらそのまま帰ろうと決めていた。食事も風呂も済ませているので、何があっても互いにあとは眠るだけ。眠れないかもしれないが、一日のノルマとも言える行動を済ませたあとならより気が楽であろう、という家事全般が出来そうにない吉成のため、ちょっとした配慮を込めたつもりの行動だった。


 しかしここに来てこの発言である。予想不可能な言い草に、俺の情緒は大きく乱された。いま俺の名前を呼ばなかったか。音が似ているから間違えたとか? いや、友達と彼女は間違えない。いくら似ていてもそれはないだろう。


 おかしいなとは思ってた? いつから? 一体どこからだ? やっぱりあれだけ好き放題触っていれば、違いにはちゃんと気付くよな。じゃあなぜあんなに躊躇がなかった? ずっとノリノリだったぞお前。ほんの少しでも勘付いているなんて、俺は夢にも思わなかった。


 無意識に口を開けていたのだろう、先ほど拒否したばかりのキスを勝手に再開され、思いっきり舌を入れることを許してしまった。あの病室でのキスと同じように、舌と舌の境目がわからなくなるやり方で。


 うるせえ、と俺を罵ったばかりの口で今度は俺を愛撫する。優しく柔らかに舌を這わせて可愛がり、身体を繋げたときの音と感触を連想させて興奮を引き出すための前戯のひとつ。


 これをされるのに俺は弱かった。身体が勝手に目蓋を落とし、もっと味わっておくべきだ、と他の情報を遮断するべく働き出す。俺はそんなつもりはないのだ、と理性を総動員して抵抗を試みてみるも、もう腰に力が入らない。周囲の血液は股間の先端へと送り込まれ、すでに四肢は使わぬ判断を下された。


 俺が演じる下手な『カナちゃん』にするのと同じように吉成は、衣服を掴んで引き剥がしてくる。俺の両脚を掴んで開き、平らな身体に視線をじっくり這わせている。今は何が見えているのだろう。本当に幻想の世界から帰ってきたのか。


 見つめていた時間は数秒だった。あろうことか吉成は、立ち上がって先端から透明な液体を滲ませ続け、根元までもを濡らしていた股間のものを、指の腹で拭うようにそっと撫で始めたのだ。


 裏の筋から先端へ。一緒に濡れた指を細かく動かして、不規則に痙攣する竿のくびれを輪にした指をもって捉え、親指で表面だけを優しく擦る。やがて指の全てを添えて包み、やや力を込めて握り、いつも俺が自分でやっているのとは違う感触と強さで粘液の噴出を促す動きをし始めた。


 俺は夢中になってしまった。これは念願だったから。拒否の選択肢など選べない。しかし、まさか現実のことになるなんて。俺にも夢を見る権利が回ってきたのか。


 脚が勝手に細かく震えるのが止まらない。なぜか踵が上がり、つま先だけで脚を支えてしまうからだ。腹筋が痛い。腰が前後に動いてしまうため、その運動に無理やり腹が付き合わされているからだ。


 しかし次から次へと沸いて出てくる脳内麻薬が身体的苦痛を和らげていたらしく、自分が無理な姿勢を取っていることや、ずぶ濡れの指で後ろの孔を触られていることにもろくに気付かず、俺は快楽だけを貪り食わせてもらっていた。熱のこもった脳は頭蓋骨の中に密封されたままで汗みずくになり、それが髪の生え際から押し出されているような心地だった。


 ふいに吉成の手が引かれ、夢心地の感触が消えた。うっとりと余韻に浸りながらも、これでおしまいなのかと切なくなった。しかし弾んだ呼吸を整えている間に事は次へと進んでいたようで、少々強引な仕草で腰を持たれて下の方へと引っ張られ、きつく脚の間へ割り込まれた。


「あっ、待っ……いた! 痛いから!」

「あー……そうだった。ごめん、痛いよな。待ってて、ここに良いものが……」


「ちょ、何それ。マジで……? ……なあ、お前わかってんだろ、俺がっ……! 嘘だろ……!」

「ちょっとだけだから。あとで話そ」


「うそ……!! …………!!」

「声出してもいいよ、カナたん」


 なにがカナたんだ。変な呼び方しやがって。わざわざそんなもんを使って濡らしてまでヤリたかったのか。入れば誰だっていいのかお前は。変態だな。最悪だ。


 そんな思いはまた口の中に突っ込まれた舌と、興奮の意思を示す肉の塊を下からねじ込まれたことで封じられた。出しても良いと言われた声は頭の中だけで反響し、すっかり逃げ場をなくしていた。


 本当に夢なんじゃないかと思った。現実の俺たちはさっき眠りについたばかりで、今頃は狭くなったベッドの上で無意識に陣地を奪い合ってうなされているのでは。


 でも閉じようとする目蓋を無理やりこじ開けてみれば、灰色がかって見える真剣な眼差しをした吉成が見える。怒ったような目と目がかち合う。冷えているはずの室内で汗をかいている。いかにも邪魔くさそうに、上に着ていたTシャツを引っ張り上げて脱いでいる。


 履いていた部屋着を剥ぎ取られた俺の脚が視界の端で揺れている。そういえば一応毛を剃ってきたのだ。冷房の風が当たるたびにスースーする。今日はさすがに必要なかったかもしれないなんて、余計なことを考えていた。


 俺の両脇に手をついて腰を動かしていた吉成が、おもむろに俺の片脚を持ち上げてキスをした。そのまま膝の裏の柔らかいところを舐めしゃぶられ、舌を這わせてきたのでくすぐったく、反射的に引っ込めてしまった。


 そのまま高く脚を持ち上げられ、さっきよりも激しく穿たれた。視線は俺の局部に注がれている。全部見られていると気付いた途端、顔だけに熱風を当てられたかのような感覚に襲われて、とてもじゃないが見ていられずに目蓋を強く閉じた。


 記憶は定かではないが、吉成は事の最中で俺に『泣くなよ』と言った。そんな自覚はなかったが、少し視界が曇って見えたのは揺れのせいだけではなかったようだ。



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