第3話 『湊』

「えっ、えっちょっ、待って! やめよう、やっぱやめよう!」

「やめようってなんだよー。傷つくなー」


「やめ、うっ…………! お、お友達! 来るんじゃないの!?」

「えー? 来ないよどうせ。あーあ、友達ひとり失ったー……」


「は、話し合えばいいじゃん、喧嘩したわけじゃないんでしょっ……! ねえ……!」

「話し合いってー、相手が応じてくんなかったら意味ないんよねー。はあ、ほんとになんかしたっけかー。記憶にない。ん? なんか今日の下着かっこいいなー」


俺はそのつもりで支度をして、そのつもりで訪問した。が、いざ本当にそういうことになってしまうと、妄想とはまるで違うリアリティに圧倒されて怖気付いたのだ。アホだなんだと笑うがよい。


背丈はそんなに変わらずとも、上に乗られてしまうとかなり大きく見えることを知った。興奮している相手というのは話が通じず、意志に向かって真っ直ぐ進んでゆくため説得が難しいことも今知った。生の人間と交わったことなどないが、意思のない無機物相手とは違い先に進んでしまうと、当然記憶を共有するため後戻りはできないことは知っていたつもりだった。


俺の身体を見て我に返る可能性だってちゃんと考えていた。もしそうなれば、それはそのときに考えようと思っていた。甘かった。事の重大さを舐めていた。


「なんだあ、もう濡れてんじゃん。挿れていい? 久しぶりすぎて既に限界」

「ま…………まっ……てっ……」


「あ、暑い? 冷房強くする? 顔すっごい赤いよ。汗かいてるし」

「だいじょ……いいっ、もう脱がさなくて

、いいからっ……」


「えっ? んー……それはそれでエロいな。じゃあ汚さないように気をつけよ」

「え、え、あ、よしな……じゃなっ、湊っ、みなと……!!」


自分で自分の欲を処理することには慣れていた。これで収まるのだから安いものだと。相手の機嫌や交際期間や雰囲気作り、そんな前段階を踏む必要もなく、気遣うための手数がない、手軽で良いものである。だから相手は別に生身の人間じゃなくても良い。全くもって構わないと。


しかし相手は人間、しかもずっとずっと好きだった人。性欲に感情を乗せた性交は、足し算ではなく掛け算となり処理し切れない数字の積となる。想像以上の感情量は飲み込む以前に溢れてしまい、酔わされて、他のことが考えられなくなる。これも今初めて知ったことだった。


目で確認することのできない弱い粘膜だらけの奥までは、自分の手を使ったときでも怖くてろくに進めなかった。浅いところだけを押して擦って、一時的に欲を満たしていたのだ。


その見えず光も届かぬ狭くて暗い場所に、熱くて硬い自分と形の違うものが、己の意思とは別の動きと速さをもって侵入する。慣らしたはずの肉壁は思った以上に広げられ、鈍い痛みがわずかに走った。少し焦ったが、その痛みすらも良いものだと勘違いしてしまうくらい、今まで到達したことのない奥の奥を硬い肉で押しつけるように擦られ続ける快感は、病室でのキスと比べて何十倍も気持ち良かった。


こんなことは好きでなければ、また信頼していなければ、到底受け入れられないことだと思った。しかし心と身体、両方の中に入れても良いと思える愛しい相手でも、緊張が解けてくれるとは限らない。いまも破れそうなくらいに心臓がドクドクと鳴っているし、目に入って痛いくらいに汗をかいており、手をどこにやれば良いかがわからない。


吉成の肩を掴んだり、ベッドの上で彷徨わせていた手に手を重ねて握られたその瞬間、心臓がギュッと強く収縮したあと悲鳴をあげたように大きく鳴った。さっきよりもずっと身体と身体は密着し、吉成も鼓動を早めていることが皮膚感覚で伝わってくる。


笑顔を消して、俺をじっと見つめている奴の目に何が見えていたっていい。関係ない。いまは身体を繋げて同じ方向を向いている。想像上の生き物ではない、元気に生きている俺の好きな人と。


やがて大きく開いた脚の付け根が徐々に痛くなってきていたし、中をもっと濡らせば良かったなどと思っていたが、まだ終わらないでほしい、官能的な時間がもっと続いてほしい、と願っていた。


何度達したかはわからなかった。中が収縮していたのか、その都度動きを緩めてくれてはいたのだが、前に触ってくれることはほとんどなかった。興奮して上に上がった膨らみの下は指で優しく擦ってくれる。それだけでも気絶しそうなくらいに気持ち良かったが、その上で屹立しているものには自然と意識が向かないようだった。


それがとても切なかったが、だからといって自分で扱くわけにもいかない。ほんの少し残った正気でなんとか我慢をしていたが、その生殺し状態のせいもあり何度イッても甘イキ、という状態になっていたと思う。


先に意識の限界が来そうだ、と星の見える不思議な視界を眺めながら上下にガクガクと揺らされていたそのとき、吉成が大きく息を吐き、腰の律動を早めてきた。もう出るものが出ず、喉はカラカラで脚の感覚も鈍く正直かなり辛かったが、それでも身体は次がないかもしれないと貪欲に食らいつき、感じることをやめてはくれなかった。


次がなかったらどうしよう、よりも痛みと快感の区別がつかなくなったらどうしよう、というのが最後に考えたことだった。まあ、なったらなったでその時だろう。俺の思考の癖はどんなことがあっても簡単には変わらぬようだ。




「声出してもいいよカナちゃん」

「うんっ……! でも……!」


「もうすっごい濡れてるけど。ここで挿れていい?」

「え、ここで……あっ……!!」


「あー、ごめんごめん。最近すごい感じてくれるから、ちょっと我慢できなくて……」


朝から殺人的な暑さである。当分の間は外出禁止を言い渡されたという吉成は、宿題を一気に終わらせてしまおう、という誘いを『カナちゃん』の俺にかけてきた。


また約束を破ることになるのは心苦しいので、家のせいにして『俺』とは会えない設定にしておいてある。その寂しさも相まってか、ことさら奴は『カナちゃん』に会いたがった。


あんなことはそうそうないだろう、だって付き合いたてじゃないんだし、と俺は自分で自分を納得させていた。だが違っていた。


入院中は検温やら様子伺いやら、誰がどのタイミングで病室に入ってくるかわからない。たとえトイレに行ったとしても、大きな病院は人が多い。入院患者や、外来患者が採尿のために利用したりで騒がしい。消灯時間は一人になれるが、そこは夜の病院というシチュエーション。どうしても気分は沈んでしまう。だから思うようにはいかなかったそうだ。


ある意味禁欲生活明けの吉成は、部屋で二人きりになってしまうと宿題なんかそこそこにして、すぐにそういう雰囲気を醸し出してくる。あれ、もしかしてこれってアレか、と思ったころには背後を取られてその場に押し倒されたり、スキンシップ程度に見せかけたキスから入り、本気のキスが始まったりする。


さっきも背後から抱きしめられて、振り返ったところで唇を奪われ、Tシャツの裾をたくし上げて手を入れられた。胸など全くないことに気付かないのか、女の子とは違うはずの突起を指で優しくこねくり回して遊び出す。


そうされると俺もスイッチが入ってしまう。ちょっと体重をかけられただけで簡単に倒れてしまったし、楽だから着ていたスウェット地のズボンを下着ごと引っ張られ、下を剥き出しにされている。


冷房の風がひやりと太腿を冷やしてすぐに、吉成の熱い肌が密着した。『カナちゃん』はこういうのが好きだと思ったのか、いつも全部は脱がされずに事が始まる。


「今日さ……、泊まってかない? 親いないから」

「あっ、あっ……え? 泊まりっ……? あっ」


「一緒にお風呂入ろーよ」

「え、やだ、ダメっ……やっ、あっ!あっ!」 


「いいじゃん。なんでダメ?」

「そんなっ、人様のお家でダメだよ、勝手なこと……!」


恋人の家はラブホじゃない。そういう常識というか、心理的抵抗があったのはもちろんとして、風呂場で全裸を見られたのがキッカケで我に返られる可能性もある。それはこちらとしても全力で避けたかった。


呆然とした全裸の男共が風呂場で棒立ちしている光景。突っ込み役が不在の空間。惨劇じゃないか。いたたまれない。そんな妄想をしていると、集中していないことを咎めるように腰の打ちつけ方を強くされた。


「明日からお盆に入るじゃんか。オレは近々本家に行くからしばらく会えないしさあ、今日だけ特別。ねー、いいでしょ?」

「あ、んっ、強いっ……! んんっ……!!」


「うわ、きっつ……! すっごい締まる……! 緩めて緩めて」

「はあっ……! はっ……! ちょ、ちょっとまっ……しゃべれ、ないっ、あっ、やっ、みなと!」


「じゃあ、一緒にお風呂は諦めるから。とりあえず準備してまたうちに来てよ。いい? わかった?」

「わかっ……わかった、わかったからっ、あっ、みなとっ、つよくしないでっ……みなと! わざとでしょ!」


吉成は片手で低いテーブルの縁を掴み、もう片手で四つん這いになった俺の腰を掴み揺さぶっている。ガタガタと一緒に振動しているテーブルからペンが転がり落ちてきた。その様子をなんとなく目で追いながら、これはいつまで続くものなのか、夏休みも後半へ突入しかけているのに、と今更なことを考えていた。身体の内側から何度も強く圧迫され、吐き出す途中で切れてしまう息と同じように思考も途切れさせながら。


節ばった手のひらが一瞬視界に入って引いた。猫のように上げた腰を両手で掴まれ、後ろの方へ引き寄せられる。そろそろ限界に近いようだ。揺れによる視界不良のせいで、落ちたペンの輪郭がひとつも見えない。


俺には余計なものがついている。誰にも触ってもらえず硬くなっているだけのそこは、時折吐き戻すように白濁した粘液を溢してしまう。ゴムをつけるタイミングなどないので、いまも淡い水色のカーペットにうっすら光る跡をつけてしまった。拭くものは持参してあるので、また自分で片付けをしないとならない。それが惨めだと感じた。少しだけ。



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