22 雨女
「お姉様、今なんて」
「だから……私、お輿入れが決まったところなのよ」
お花の稽古の後、小枝子が見送りがてら少しそこまで、と言うものだから、何かお師匠――小枝子の母の前では言いにくいことでもあるのかと思っていた。外はあいにくの雨で、二人は蛇の目傘を差して、しばらく歩いた。小枝子の住む町と美津子の住む町を繋ぐ、川にかかった橋のたもとで小枝子は重い口をようやく開いた、と思ったら、先ほどの発言だったのだ。雨のせいで川は増水し、泥の色をした流れがごうごうと走っている。美津子は小枝子の言葉をよもや聞き間違えたのではあるまいかと願ったのだが、その一瞬の願いもむなしく、小枝子は美津子の望まない答えを返してきた。美津子は同じ言葉を聞いてもなお信じ難い思いで、小枝子に詰め寄った。
「女学校はどうされるのですか」
「卒業までは待ってくださるって。……だから、この人のところなら嫁ごうと思えたのよ」
美津子は当惑を隠せなかった。対する小枝子は、言葉こそ重かったが、何かを決心したような表情があった。ただその決心は、諦めとも取れるようなものに、美津子には見えた。
「美津子さん。女学校を卒業したって、嫁いだって、私たちが友であることに変わりはないわ。たくさんお手紙を書くし、今まで通り仲良くすればいいの」
「でも、お姉様」
その先の言葉は続かなかった。反論する言葉は何一つ見つからなかった。友でしかない美津子には、小枝子の家の決め事に口を出すことができない。雨足が強まり、蛇の目傘にぶつかり、橋にぶつかり、川の水面にぶつかって、ざあざあと音を立てた。美津子は、熱い涙が頬を濡らすのを感じた。雨の向こうから、小枝子のやさしい指が伸びて、涙のしずくをすくい取っていく。
「私たち、こうして生きるしかないのよ」
小枝子は独り言のように呟いた。美津子は、絶望を上塗りされるような心地がした。どうして、悪いことは重なるのだろう。泣き顔をこれ以上晒すのが惨めでうつむくと、下駄の足や着物の裾に泥がはねているのが見えた。小枝子のすらりとした足は、泥に汚れていてもなお清く、蓮のようだった。けれど美津子は、自分はそんな存在になれないと思った。胸の内は、どす黒く濁ったもので満たされてしまった。自分から蓮の花は生えてこない。
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