14 さやかな
このところ続いていた雨が夕方にようやく止んだ日だった。暮れなずむ太陽が空を橙に染め、夜の帳が下りてくると、暑さも湿気もようやく落ち着く。涼やかな空気の中でも、美津子の心は晴れなかった。
今日は散々な日だった。女学校が終わって帰宅すると来客があり、同席するようにと言われるがままに客間に向かえば、こちらを品定めするような目つきの横柄な男が二人もいた。父の同僚とその息子だとかで、習い事や女学校でのことを一通り聞かれた後、ただ黙って首を横に振られた。美津子としては何が意に添わなかったのかすら、分からずじまいだった。
客人たちを送り出した後、美津子の父はただ一言「お前もなかなか片付かないな」と呟き、自室に戻っていってしまった。散らかったままの部屋とか、こびりついた汚れを見ての感想のようで、無性に腹立たしく悲しかった。親にとっての娘とは、ある程度育ってしまえば、後は子を生むために他所に出すだけの厄介者なのだろうか。意気消沈したまま台所に立って作った夕食は、米を研ぎすぎて口当たりが悪いだの、薬味の茗荷がうまく切れず繋がっているだのと母に言われた。
食事の後片付けも終えてようやく一息つけるようになり、開け放した縁側から空を見上げた。久しぶりの星空は、連日の雨に清められて一層冴え冴えとしている。南の空に赤い星が瞬いているのが見え、夏の空だと実感した。
「美津子さん」
離れの縁側から豊の声がした。振り向くと、下駄を突っ掛けた豊が寝巻きの浴衣姿で庭を横切ってくるところだった。
「今日は、大変でしたね。急な見合いだったとか」
「……見合いにすら、なったのかどうか。お相手の方には、無駄な時間を過ごさせてしまったようです」
美津子が自嘲気味に言うと、豊は気遣わしげな顔で美津子の隣の縁側に腰掛けた。
「お相手が悪かったんですよ。美津子さんに合わないのなら、縁付く必要もないでしょう」
「でも、お父様やお兄様はそう思ってないみたい。早く縁談がまとまってしまえば、私を育てた甲斐もあるでしょうけれど。いつまでも決まらないのは、不出来だと示しているようで」
「そんなことないです」
豊はいやに確信めいた口調で言った。美津子が顔を上げると、豊は熱っぽい目で美津子を見ていた。
「こんなに努力して、真面目に頑張っているのですから。僕は、美津子さんが不出来だとは思いません」
――ああ、やはりこの人は優しい。私を好いてくれているのだ。美津子はそう思ったが、それでもときめくというよりは、沈んだ気持ちが少しばかり慰められるようなくらいにしかならなかった。何にしても、長雨と湿気のお陰で、心身共に疲れが溜まっているのかも知れなかった。
「ありがとう、豊さん。今日は疲れてしまったので、もう休みますね」
素っ気なくならない程度に言って、美津子は縁側から立ち上がる。豊は少しだけ肩透かしを食らったような表情になったが、気を取り直したのかいつも通り穏やかに微笑んだ。
「……そうですね。お休みなさい、美津子さん」
「お休みなさい」
美津子は自室に入ると、縁側に面した障子を締めた。夜を照らすさやかな星影は見えなくなり、ただ暗闇だけが部屋を満たした。
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